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介護は仕事じゃないかも

最近、介護は本当は仕事じゃないかもと思ってます。
つまり家事や子育てと一緒で、生きていくためには誰もができた方が良いものなんじゃないかなーと。例えば、家事や子育てを全てお金で解決して自分は何も関らず、自分のやりたいことだけをする。それほどまでにやりたいことがある幸福な人(皮肉ではなく私はそれほどまでに夢中になれるものを持つ人を尊敬してます)を除いて、家事や子育てに少しも関らない人生って味気ないと思いませんか??

ところが、介護に関しては多くの人が「少したりとも関わりたくない」と思っているように感じるのです。

介護の仕事をしているというと「偉いですね」「すごいですね」と言われます。相手に悪気がないのはわかっていますが、その言葉の裏に「オレは絶対できないけど」という言葉が隠れている気がしてモヤっとします。なんか偉そうに言ってますが、私も介護の仕事を始める前には同じような気持ちでした。だから始める時には「エイヤ!」という気持ちが必要でした。

しかし介護施設で働き始めて感じたことは、介護に関わることは、人としてとても大切な学びがあるということです。それは老いていくこと、できないことが増えていくこと。それを受けいれることができず、苛立ち、怒る人。そしてやがて全てを諦めたようになってしまう人。しかし、その中でも自分に残された能力の中で生きることを楽しんでいる人もいるのです。どうしたらそんな境地に立てるのでしょう。そして死は唐突に訪れ、抗うことができないということ。それらを間近に感じられることは生きていく上での大きな学びで、多くの人にも知ってほしいと思えるものでした。

それは子育ての同じくらいの学びではないかと思うのです。そして生きていく上で必要な家事。料理をしたり掃除をしたりすること。これもお金を払って外注することができるものですが、自分ですることで日々の生活の充実につながることもあります。にも関らず介護だけは「介護保険」の名の下に「介護のプロ」に任せるんだから自分は関らないというのはちょっと勿体無いと思うのです。

これは親の介護を家族がちゃんとやった方がいいという話ではありません。もちろんやりたい人はやればいいいとは思いますが、家族だからという責任感だけで行われる介護は最も不幸な介護だと思っています。
私は血の繋がりを過剰に重視した家族観がキライなので、子育ても介護も家族がやらない方がむしろ良いとさえ考えています。

私は介護の仕事で出会ったお年寄りの中に、血の繋がりも何もないのに不思議なくらい愛情を感じる人に何人か出会っています。もちろん仕事なので他の人たちと同じように接していますが、そういうお年寄りに出会えたことはとても幸福だと感じています。

何が言いたいかというと、人生に余裕のある人は、休みの日に半日だけでもいいから近くの介護施設や訪問介護で働いてみたらいいんでないの?と思うのです。

私の友人でプログラマーをしていて休みの日は障害者施設で働いている人がいるのですが、普段の仕事はリモートワークでまったく人と会わないので、施設に行くと生きている人間と会えるので非常にバランスが取れると言っていました。そういう人、他にもいるのではないでしょうか。

「老い」や「死」が日常の生活の中で見えない暮らしは、不完全で不健康な社会だと思います。ぜひ皆さん「遠くの親より近くの他人」自分の日常の中に少しだけ「介護」を取り入れてみませんか??ふと思い出したときでかまいませんので。日本なら当面の間は、日本中いつどこででも関わろうと思えば関われるはずですので。