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地下室のボタン

01 起源

これは、本当にあったお話です。
教室でも何度かお話しました。
だから聞いたことのある生徒や卒業生も少なくないと思います。

ところで島村塾は学習塾です。

私も時々忘れそうになりますが、島村塾は学習塾です。
絶対そうなのかって言われたら、あれですが…
あれってなんなんだって言われたら、あれですが…

もちろん島村塾は学習塾です。

生徒たちは静かに勉強しています。
本当に静かに集中して勉強しています。
体験授業とかで親御さんが来られると驚かれます。
生徒達は静かに真剣に勉強しています。
そんなに勉強して面白いのって聞きたいくらい勉強しています。

遊んでいるのは私だけです。
いつも教室の隅っこで1人で遊んでいます。
1人で遊んでると寂しいので、たまに何かのきっかけで昔話を始めたりします。

もちろん私は芸歴36年、アマチュア時代から数えると芸歴44年の経験豊富な講師です。
静かに勉強している生徒たちのことは、なるべく邪魔しないように気をつけています。
当時の事情や登場人物のキャラについては、かなり端折ったショートバージョンでお話します。
だから客席の食いつきは悪くていつもスベリ気味です。
ショートバージョンだからなのか、元々つまらないのか…多分、つまらないんだと思います。

日頃ショートバージョンででしかできないお話を、ここではフルバージョンでお話します。

ちなみにタイトル画像のギタリストは、このお話とは関係ありません。
後ほど紹介しますが、ここの読者の皆様ならよくご存知の卒業生です。
お話の中に出てくる別のギタリストと同じ島村塾音楽部門バンド学科の卒業生ということで登場してもらいました。

さて…

私が生徒の試合や演奏会を撮りに行くことをご存知の方は多いと思います。
初めて生徒の試合を観たのは33年前、徳島県高校総体陸上男子100mでした。
島村塾を開く前に講師をしていた石井の明峰塾の生徒でした。
やっと決勝に出られるようになったというので応援に行きました。
真剣勝負の生徒は美しかったです。
話したこともない選手のプロスポーツよりずっと面白いです。

それから陸上競技以外でも大きな大会には応援に行くようになりました。

翌年、独立して島村塾を開きました。
近所の高2の男の子1人とその友達の女の子2人、生徒3人からのスタートでした。
そのうちの1人が城東高校の軟式野球部でした。
蔵本球場のコーチャーズボックスでサードベースを蹴るランナーに腕を回す雄姿は、今も目に焼きついています。

単焦点のコンパクトカメラしか持ってなくて選手を撮っても風景写真にしかならないので、まだ試合の写真は撮っていませんでした。

試合の写真を撮るようになったのは、その数年後、徳島中学サッカー部のフォワードとサイドバックが入ってからです。

当時の徳島中学サッカー部はとても強かったです。
特にフォワードは、陸上競技の大会でも決勝に進むほどの俊足とシュート力でチームの中心でした。
中学3年の後半にはガンバユースの練習に参加していました。
すらっと長身でモデルみたいな男前で、しかもいいヤツで他校にも女の子のファンがいました。

その相方のサイドバックも、いいヤツで生徒会副会長も務める人気者でした。
ただ残念なことに…本人的には別に残念でないのかもしれませんが…私だったら残念ですが…やっぱり多分、本人的にも残念だったと思うんですが…残念なことに、サイドバックの人気は、男子からの人気でした。
ここでは具体的にはお話しませんが、絶対やったらあかん時に絶対やったらあかんことをしたくなって、それを我慢しきれないヤツでした。

具体的な内容を聞きたい人は、私に直接聞いてください。
それでも捨てる女の子あれば拾う女の子あり、サイドバックにも熱烈なファンがいて、他の中学の女の子が2人、サイドバック目当てで入ってきました。
実際は、熱烈なファンは1人で、もう1人は付き合わされた感じでした。
本人はサイドバック目当てじゃないと言い張ってましたが、付き合わされた子からの情報なので間違いないと思います。

その熱烈なファンにサイドバックの試合の写真が欲しいと言われて、ズームのついたコンパクトカメラを買いました。
今、ハードディスクには2200の試合、演奏会、イベントを撮った106万枚の写真があります。

その始まりは1人の中学生の女の子の願いでした。
ちょっと『手天童子』みたいです。
『手天童子』は永井豪先生の名作です。
当時は銀塩カメラ…フィルムカメラでした。
試合は富田中学のグランドで徳島中学 - 加茂名中学だったと思います。

02 猫かと思った

1人の中学生の女の子に頼まれて徳島中学サッカー部の選手の写真を撮りました。

それからは他の生徒の試合も撮るようになりました。
まだ撮るのはうちの生徒だけでした。
フィルムカメラなので、そんなには枚数も撮ってませんでしたし、撮った写真は生徒にあげてしまったりして、手元にはほとんど残っていません。
生徒の試合を撮るようになっても行くのは大きな大会だけでした。
大きな大会なら観戦してる人も多いので、その中に紛れ込めます。
生徒や保護者様に見つからないように、試合時間ギリギリに行ってあんまりウロウロしないで、隅っこの方でコソコソして帰ってました。
保護者様に挨拶することも控えてました。

今は、よく行く競技だと生徒や保護者様以外にも顔を覚えてもらっているので、割と普通にウロウロしています。
でも、やっぱりコソコソはしています。
まあ、性分なんだと思います。

さて…

そういう訳で、行くのは大きな大会だけでした。
練習試合とかは、どんな様子か分からないし、誰も観戦してない中に1人でカメラ持ってウロウロしてて警備の人とかに囲まれたら怖いし…。
吹奏楽とか管弦楽とかの音楽系も遠慮してました。
屋内の人が集まる場所でカメラ持ってウロウロしてて警備の人とかに囲まれたら怖いし…。
囲まれたことは一度もないんですが。

ないことを想定して怖がるのが好きなんです。

私は、たまに…本当にたまにですが、舞空術を使えるんじゃないかって思うことがあります。
使えるんじゃないかって言うか、使えてたんじゃないかって思うんです。
もう舞空術を知らない人もおられるんでしょうね。
舞空術というのは、ドラゴンボールで出てくる空を自由に飛ぶ技です。

帰る生徒を見送りに自転車置き場に出て、周囲に人がいないと、ちょっと飛ぼうとしてみます。
そういう時は、一応、頭上の電線の位置を確認します。
ひっかかったら痛そうだし、感電とかしたらもっと痛そうだし、電線切ってご近所を停電にしたら大変です。

大丈夫ですよ。

本当は、飛べないって解ってますから。
だいたい、ちょっと飛ぼうとしてみるっていう努力の方向が解りません。
どこにどういう風に力を入れたらいいのか、そもそも力を入れたら飛べるものなのか…。
順番から言うと、かめはめ波から会得するべきです。
実は、かめはめ波はやってませんが、ギャリック砲はときどきやってます。
ギャリック砲は、べジータが使ってた技です。
かめはめ波は、タメが長すぎて危険です。
か~め~…で人が通ったら…想像しただけでゾッとします。

ギャリック砲は、そういう点では安心です。
誰かに見られても、なげやりなシャドーボクシングみたいにしか見えないと思います。
でも危険は危険です。
もし撃てたらケガ人が出ます。
だから、周りに人がいないことを確かめて、空か眉山に向けて撃ってます。
重ねて申し上げますが、本当は、撃てないって解ってるんですよ。
ないことを想定して怖がるのが好きなんです。

でも、モノは試しです。
やってみないとできるかできないかもわかりません。
もし万が一空を飛べたら、走り幅跳び、走り高飛び、三段跳び、棒高跳び、オリンピックのメダルは独占です。
水泳って飛び込みで向こうに着いたら失格になるんでしょうか?
スキーのジャンプは、飛ぶのはいいけど、あの急斜面を滑り降りるのが怖いから無理です。
メダルの荒稼ぎが終わったら、舞空術ショーで荒稼ぎです。
空中でムーンウォーク、もう世界中の人気者でしょう。
NBAもいいかもしれません。

でもいくら人気が出ても金メダルを集めても人気者になってもお金を貯めることはできないでしょうね。
なんせ地に足がついてませんから。

お後がよろしいようで。
ちゃかちゃんりんちゃんりんちゃんりん…

小学生の頃に古典落語を読み漁ってたのが、悪い意味で影響してます。
古典落語を読み漁る…嫌な小学生です。
『芝浜』とか『ねずみ』とか人情噺の大ネタが大好きでした。

この記事のサブタイトル『猫かと思った』は、『ねずみ』のオチです。
『芝浜』のオチの『夢になっちゃいけねえ』と迷ったんですが、文字数の点で『ねずみ』を採用しました。
僅差でした。

ないことを最後まで真剣に考えるのも好きなんです。
もちろん、一番好きなのは、話をちらかすことです。

ちらかしすぎて、自分が何を書いているのか分からなくなってきました。

03 マッドマックス

さて…

昔、厳つい高校生が1人いました。

大変長らくお待たせいたしました。
誰も待ってないと思いますが、ここからがやっと本筋です。

昔、厳つい高校生が1人いました。
どっから見ても、どう贔屓目に見ても、たとえ百歩譲っても不良でした。
細身、色白、ロン毛にトゲトゲのいっぱいついた革ジャン、それからグーができないくらい大きなドクロの銀の指輪をしてました。
今思うと、不良というよりはマッドマックスだったかもしれません。
ショットガンは持ってませんでした。
島村塾は生徒の自主性に任せて伸ばす塾です。
当然、持ち物検査などはしません。
だからショットガンを持っていなかったとは言い切れません。
まあ、持ってなかったと思います。

髪の毛は黒かったです。
百歩の友達は、みんな普通のカッコしてました。

その見た目の通りの中身なら島村塾には置いておかないんですが、彼は小学生とも楽しく遊んであげる、本当は真面目で心優しいお兄さんでした。

『竜起』で友情出演を果たした 島村塾 怖すぎる世界ランキング歴代ぶっちぎり1位の元徳島市高サッカー部キャプテンは、元々ガタイがいい上にサッカーの練習で日焼けしてて、大会前のセレモニーで坊主頭でした。
本人の意志ではないという点で同情の余地がありました。

今はなくなったみたいですが、昔は、徳島市高サッカー部は大きな大会の前は坊主にしてました。
それを拒否して廃止したのはうちに来ていた、四国一のフリーキッカーだったそうです。

島村塾は、運動部の生徒、それも強豪校の生徒が多いんですが、だいたいデカくて日焼けしててちょっと怖いです。
みんな中身は可愛いんですが、島村塾 怖すぎる世界ランキングは、そういう奴らが上位を独占しています。
別に私が個人的に言ってるのではありません。

島村塾は、小学生から高校生まで、一緒の教室で並んで勉強しています。
ときどき小学生とか中学生に尋ねます。
『この部屋で誰が怖い?』
指差し確認してもらうとだいたい一致します。
今は、城北高校サッカー部のキャプテンのゴールキーパーがチャンピオンです。
ほとんどが男子なんですが、たまに女子のエントリーもあります。
当時女子で無敵のマルチナ・ナブラチロワが男子のジミー・コナーズのエキシビジョンマッチしたみたいな感じです。
違いますけど。

男子の闘いに参戦する女の子は、真の実力者です。
現代の巴御前です。
そしてそういう女の子は、怒ると本当にメッチャ怖いらしいです。

さて…

百歩のマッドマックスは明らかに狙ってました。
ところで徳島市立高校ラグビー部のナンバー8のマッチョの話は読まれましたでしょうか?
まだの方は、こちらからどうぞ。
涙と笑いと感動の青春ファンタジー 『流星群』

Janne da arc…Acid Black Cherryの yasu さんの大ファンのナンバー8は、タイトなカラーシャツのボタンを2つはずしてアシンメの前髪でした。
百歩は X Japan の大ファンでした。
X Japan の誰のファンだったかは覚えていません。
多分、聞いていなかったと思います。
百歩のマッドマックスは、X Japan を大好きな結果でした。

ある日、百歩が言いました。
『先生、ライブ来てくれませんか?』
百歩がマッドマックスなのは見た目だけで、喋り方とか中身は普通の高校生でした。
ショットガンも出しません。
っていうか、結構礼儀正しいヤツでした。
そして百歩もナンバー8と同じようにバンドをやってました。
X Japan の大ファンの百歩は、X Japan とか LUNA SEA をコピーしてました。
彼もギターでした。

『先生、ライブ来てくれませんか?』
百歩譲ってものこの一言が、音楽系のイベントにも行くようになるきっかけでした。
その後は、中学や高校の吹奏楽部や管弦楽部の定期演奏会やコンクールにも行くようになりました。

これまでに吹奏楽に12回、管弦楽に4回行きました。
それから女の子のソロの弾き語りのライブが2回、ライブハウスのバンドの演奏は百歩とナンバー8の2回です。
ハードディスクの写真で確認しましたから、間違いないと思います。
文化祭での演奏は、数に入れていません。

そのきっかけが百歩でした。
百歩のライブ以外は、全部写真があります。
コンクールは会場内撮影禁止なので、演奏が終わって会場の外に出てきたところだけですが…。

タイトル画像はナンバー8です。

先にも書きましたが、百歩と同じ島村塾音楽部門バンド学科の卒業生ということで登場してもらいました。
島村塾音楽部門バンド学科の卒業生としては、他に『スピラ・スピカ』のボーカルの幹葉ちゃんや『白い朝に咲く』のボーカル & ギターのたえちゃんがいます。
『kernel』のkaito も卒業生です。

彼にもおもしろい話があるんですが、それはまた別の機会に…。

たまに教室で『スピラ・スピカ』や『白い朝に咲く』の曲をかけたりしますが、推しってワケじゃなくて、まあ応援してるから推しかもしれませんが、卒業生だからです。

さて…

タイトル画像はナンバー8です。

どうして私の話はこんなにちらかるのか。
先にも書きましたが、百歩譲ってもと同じ島村塾音楽部門バンド学科の卒業生ということで登場してもらいました。
写真出したらナンバー8を匿名のA君にした意味がありません。
でもまあ、彼の青春の瞬間です。
きっと怒らないでしょう。
私が悪いんじゃないです。
悪いのは、早すぎる梅雨の降り続く雨と無観客で開催される高校総体です。

続きます。

04 ボタン

島村塾は小学生から高校生まで全学年を教えています。
だから3月は毎週卒業式やってる感じです。
3月初めに高校の卒業式、それから中学校、小学校と続きます。
百歩が高校3年生、高校を卒業した年のことです。

その数日後に1人の女の子が中学を卒業しました。
卒業式の後で優しい同級生の男の子の制服のボタンをもらいました。
大人しい彼女としては大変な勇気だったと思います。

その翌日、その男の子は優しい同級生から優しい彼氏になりました。

百歩と私の会話に戻ります。
百歩『先生、ライブ来てくれませんか?』
私『行けるか分からんけど、チケットは買うわ。』

本当は行けるか分からんのではなく、行かないつもりでした。
それまでも定期演奏会とかのチケットを買ったことはありました。
でもどの音楽イベントにも行きませんでした。
理由は、先に書いた通り、囲まれたら怖いからです。

『私も、そのチケット欲しいです。』
私と百歩の会話を横で聞いていたのは、卒業式の後でボタンをもらったボタンちゃんでした。
私『かんまんけんど百歩ようなんが一杯おるよ?』
ボタンちゃん『いけます。百歩さんの友達なら大丈夫です。』
百歩は、見た目は超絶厳つい百歩譲ってもマッドマックスですが、中身は優しいお兄さんです。
それに百歩はボタンちゃんの中学の先輩でした。
ボタンちゃんは、チケットを2枚買いました。

1枚は自分の分、もう一枚はもちろんボタンくんです。
ボタンちゃんとボタンくんの初デートです。
私『厳ついよ?ほれに場所解るん?』
ボタンちゃん『ほな先生、一緒に行ってください。』
私『ほれはなんぼなんでもあかんやろ。』
ボタンちゃん『いけます。』
私『初デートに塾の先生はおかしいって。』

っていうか、初デートじゃなくても塾の先生の同行はおかしいです。
ボタンちゃん『いけます。』
私『ダーリン、ドン引きやで?』
ボタンちゃん『いけます。』
私『ほんま?』
ボタンちゃん『はい。』
私『どうなっても知らんよ?』
ボタンちゃん『はい。』
私『ほな、どっかで集まって入ったら解散な。』
ボタンちゃん『はい。』

信じられないと思います。
私は信じられませんでした。
今も信じられません。
中学生の初デートの付き添い…。
しかもボタンくんは私の生徒じゃない…。
これが芸歴36年の今なら、そして2人とも私の生徒なら大喜びでついていって写真撮ってブログに載せるか、動画録ってyoutubeで配信します。
なんなら頼まれなくてもついていってyoutubeで実況生配信します。

当時はyoutubeはありませんでした。
ボタンくんは私の生徒ではないし話したこともありませんでした。
ただし、ボタンくんのお顔はボタンちゃんに写真を見せてもらってたので知ってました。
こんなにボタンくん、ボタンくん書いてたら、中田カウス師匠になった気分です。

ボタンくん、今日も黄色のスーツできまってるねえ。
それでボタンくん、そのスーツはどこで盗んだん?
高島屋で…あほか!

中田カウスボタン師匠の漫才ってどんなんでしたっけ?

さて…

ただし、ボタンくんのお顔はボタンちゃんに写真を見せてもらってたので知ってました。
中3の夏くらいだったと思います。
ボタンくんがどんなにカッコよくて優しくて男らしいか、色んなエピソードを交えながら何度も詳しく説明してもらってました。
卒業式の後でボタンをもらう計画についても聞いてました。

ああ…

芸歴36年の私には分かります。
リアルに分かります。
どうしてでしょう。
手にとるように分かります。
目の前に情景が浮かびます。
4Kテレビよりも鮮やかに浮かびます。
ボタンちゃんがこれを読んだら、私は確実に怒られます。
きっと電話がかかってきます。
多分、こんな感じで始まります。

『ちょっと先生!』
それからこう続きます。
『恥ずかしいけんやめてください。』
まるで目の前で起きたことのように映像として浮かびます。

ある日、このお話の記事が全部消えてたらボタンちゃんに怒られたんだろうなって思ってください。

だいたい、ここで書く私のお話は、生徒の誰かに怒られるようなのが多いです。
それでも私は書きます。
それがジャーナリストとしての使命だからです。

続きます。

05 地下室

初デートの中学生2人と私の3人は、紺屋町の時計台の下に集合しました。確か時計台の下に集合だったと思います。
お昼過ぎだったと思います。

そこから中学生2人と私はドキドキしながら歩きました。
私は別にドキドキしなくてもいいんですが、まあ、これが大人の対応ってやつです。
百歩が演奏するライブハウスは両国町のビルの地下にありました。
そのビルは今もありますが、もうライブハウスはやってないみたいです。
雰囲気のある階段を降りたところに受付がありました。
受付でチケットを渡して会場に入ると、満員に近かったです。

ところで百歩は、島村塾の小学生と仲が良かったです。
他の高校生は小学生とはほとんど関わらなかったんですが、百歩だけは小学生にも話しかけてました。
仲がいいというか、あのビジュアルで怖がらせてました。
最初のうちは小学生も本気で怖がってたんですが、島村塾の教室ですし、わざと怖がらせようとしているのが分かると半笑いで怖がって、近くに座ってました。

お化け屋敷とかホラー映画とかジェットコースターとか、安全な恐怖は最高の娯楽です。
その小学生のお母様が、百歩のライブを私が観に行くと聞いて、ビデオカメラを貸してくださいました。
今ならデジカメやスマホでも綺麗な動画が録れるんですが、当時はフィルムカメラしかなくて動画を撮る環境を持ってなかったので、ありがたかったです。

ビデオカメラも今みたいなメモリじゃなくて、8mmビデオテープでした。
録画したテープはダビングして小学生と百歩にあげたので、何の画像も動画も残っていません。
どうして手元にも1本残しておかなかったのか…。
百歩のマッドマックスをお見せできないのが残念です。

そういうわけで、タイトル画像は、『流星群』のナンバー8です。
ナンバー8の観客は、ほとんどが高校生くらいだったと思います。
時期的にも卒業ライブだったんだと思います。
ナンバー8の写真も徳島市高の卒業ライブでした。
ナンバー8以外にもうちの生徒が4人出てて、観客には生徒が6,7人いました。
親御さんも何人かは来られてて、中でご挨拶させていただきました。

さて…

百歩のときも観客も、ほとんどが高校生くらいだったと思います。
親御さんはお見かけしませんでした。
ステージの周りの男の子の何人かは X Japan や Luna Sea みたいな髪型してました。
それから、ステージに上がる子は上半身裸が何人かいました。
百歩は、金髪を立ててました。
そういう時代だったんだと思います。

ナンバー8のライブは、金髪も上半身裸もいませんでした。

タイトル画像みたいな感じの子達ばかりでした。
百歩のライブも女の子は普通だったと思います。
Show-Ya や persons みたいな髪型の子はいませんでした。
ちゃんと上半身も服着てました。

このお話の何年か後のことです。

漫画が大好きな高校生の男の子が来てました。
『ダッシュ!四駆郎』という漫画が大好きで、大好きで、大好きで、大好きすぎて、自分で同人誌のコピー本を描いて配ったり販売したりしてました。
いわゆるオタクでした。
誤解している方もおられると思いますが、オタクの子はとても常識的で社交的で話していて楽しいです。
それに学力の高い子が多いです。
特に国語は抜群に強いです。

当然です。
あんな難解な小説や漫画やアニメを夢中になって読んだり観たりしているんですから。

昔、大学院の同じ研究室に中国から来た留学生がいました。
東京の学会に行くときとか、一緒に行動することが多くて、色々とお話をしました。
その留学生は、山奥に家がありました。
中国の山奥は、日本の山奥とはレベルの違う本当に山奥で、毎日、山道を2時間走って学校に通っていたそうです。
当然、足腰は鍛えられて、もう少しでオリンピック代表というところまでいったそうです。
残念ながら足を怪我して陸上競技は断念して、それで勉強して留学してきたんだそうです。
彼とのエピソードは、『小指』の中でお話ししています。
毎日走ってるから足が速くなる、毎日読んでるから国語が強くなる。

同じことだと思います。
夢中になりすぎて勉強が後回しになる子もいますが、そういう子でも国語だけは飛びぬけてたりします。
国語だけ飛びぬけてる子がいたら聞きます。

『オタクなん?』って。

だいたいリアクションは微妙です。
それがオタクという言葉のイメージなんだと思います。
スポーツが好きな子のうちの何%かは、そのスポーツに没頭します。
音楽が好きな子のうちの何%かも同じです。
オタクは、その対象が小説や漫画やアニメだというだけで同じです。

野村総合研究所が2005年10月06日に発表したオタクの定義は、こだわりの対象に所得や余暇の全てを費やし、そのこだわりに関して特有の心理を持つ人…でした。

オタクの人達は、勉強でも何でもいいです。
そのまま興味のある分野でもいいです。
そのこだわる力と集中力を活かしてください。

本当に私の話はちらかります。

さて…

そのオタクの彼が、近所の農協会館で開かれるアニメイベントで自費出版の同人誌を販売するというので買いに行きました。
もちろん、カメラを持って。
コピー本というのは、自分で描いた漫画や小説をコピーして簡単に製本したものです。
自費出版の同人誌というのは、印刷屋さんに頼んで製本してもらったものです。…だと、思います。

会場はコスプレしてる子も多くて、中には露出の激しい子もいて、ほとんど裸に包帯巻いてるみたいな女の子とかもいて、おじさんは怖くて泣きながら帰ってきました。
あんなところで首からカメラぶら下げたおじさんがウロウロしてたら速攻で身柄拘束されて翌日の新聞の1面を飾ってしまいます。
なんでも気軽にホイホイ顔出すもんじゃないです。
まあ、1面は飾らないと思いますが、時の人になってしまうのは間違いないです。

それ以来、屋内のアニメイベントには行ってません。
屋外のアニメイベント…マチ☆アソビは、生徒がコスプレするときはカメラ持って行ってます。

さて…

ライブハウスの女の子たちは、普通の格好をしてました。
っていうか、男の子も女の子も観客は普通の格好でした。

続きます。

06 Jr 最終回

ライブハウスの女の子たちは、普通の格好をしてました。
っていうか、男の子も女の子も観客は普通の格好でした。
制服もいました。
高1、高2の在校生…だと後から聞いた気がします。

『かんまんけんど百歩が一杯おるよ?』と言いましたが、実際のところ観客には百歩は、いませんでした。
私は、ボタンちゃんとボタンくんに言いました。
『私はビデオ録るけん、こっから自由行動。解散な。』
私は後ろの壁まで下がって百歩たちの出番を待ちます。
ビデオの準備をして…気がつくとボタンたちが横にいます。

『怖い。』

周りにいるのは普通の高校生だと思うんですが、場内の照明が落ちて薄暗い中、たくさんの高校生に囲まれるっていうのは、中学を卒業したばかりのボタンたちにとっては、なかなかのことだったんだと思います。
百歩がいっぱいいなくてよかったです。
ライブの間、ボタンたちは私の横で演奏を聞いていました。
ライブが終わって会場を出て、今度こそ、本当に解散しました。
ボタンちゃんは高校も続けて島村塾に来てくれました。

ボタンくんと次に会ったのは、百歩ライブから7年半後、2004年8月13日、阿波踊りの帰りのアーケードでした。
ボタンたち二人で仲良く歩いてました。
日付は、そのときの写真で確認しました。
その写真を公開してもいいと思うんですが、絶対、
『ちょっと先生!』
って言われます。

しかもこう続くと思います。
『先生、恥ずかしいけんやめてください。』
この話し方は、かなりボタンちゃんだと思います。

さて…
ボタンたちは、ゆっくりと時間をかけて幸せな家庭…ボタンズファミリーを作りました。
ボタンちゃんがこれを読んだら、私は確実に怒られます。
どう怒られるのか、私には分かります。

リアルに分かります。
手にとるように分かります。
目の前に情景が浮かびます。
4Kテレビよりも鮮やかに浮かびます。
どうしてそんなにリアルに分かるのか、その理由も私には分かります。

さらに時間は過ぎて少し前、ボタンJrが、島村塾に来ていました。
それからボタンちゃん改めボタン母さんの紹介で、ボタン母さんのお友達のお子さんが島村塾に来ました。
ボタン母さんのお友達のお子さんの体験授業の後で、ボタンズファミリーの起源について…つまり『地下室のボタン』をお話しました。
もちろん芸歴36年、アマチュア時代から数えると芸歴44年の豊富な経験に基づいて、当時の事情や登場人物のキャラについては、かなり端折ったショートバージョンでお話しました。
当事者であるボタンJrにも話しました。
当時を知る私の語り部としての責務として話しました。

ボタンJrは、家で話したと思います。

家庭内で何でも話せる、素晴らしい家庭です。
ボタンJrをお迎えに来たボタン母さんに車の中から言われました。

『ちょっと先生!』
『先生、恥ずかしいけんやめてください。』

私は応えました。

『え~?ほんなん先に言うといてよ。この20年くらいで200回くらいして、私もちょっと飽きてきとんよ。』

ボタン母さんは、こう言いました。
『えぇ~。』

ボタン母さんの運転する車の助手席では、ボタン父さんが笑っていました。

これで、このお話は終わりです。

私は、小学生から高校生まで、全学年、全教科を教えています。
そう言うと驚かれる方も多いですが、そういう講師は、結構いるはずです。家庭教師から始めた講師はだいたいそうなると思います。
家庭教師が、あの教科は苦手とかできんとか言ってたら話になりません。

でも中学生の初デートに付き添ったことがある講師は、そんなにいないと思います。
さらに初デートに付き添った2人が結婚したとなると、ほとんどいないと思います。
しかもその2人の子供を教えた…もう奇跡じゃないですか?

いつかギネスに申請したいです。
ところでギネスってこういうのも受け付けてくれるんでしょうか?
ギネスに載ったら、また『ちょっと先生!』が来るんでしょうけど。

信じられないかもしれませんが、すべて実話です。
もう20年くらい前のことなので会話の細かい内容には自信がありませんが、要点は違ってないと思います。

もちろん盛ってません。

これをお話できるのは、これが『幸せな結末』だからです。

髪をほどいた君の仕草が
泣いているようで胸が騒ぐよ

ラブジェネは不朽の名作だし、大滝詠一さんは素晴らしいミュージシャンですが、それではないです。

これをお話できるのは、これが『幸せな結末』だからです。

振り返るのは終わりにしよう

さて…

これをお話できるのは、これが『幸せな結末』だからです。

さて…

これをお話できるのは、これが『幸せな結末』だからです。

ボタン母さんもボタン父さんも、二人で同じ時を重ねて素敵な大人になっていました。
そして、とても幸せそうでした。

もちろん、それを見せてもらった私も幸せでした。

最後に最高のフォローが炸裂したところで、このお話は本当に終わりです。