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神の声

この時期になると思い出すことがあります。

17年前のことです。
私は、沖ノ浜のバイパスの平惣に向っていました。
平惣というのは、当時、よく行っていた本屋さんです。
私の家からは遠いのですが、問題集の品揃えが良かったので週に1回は行ってました。
今は、同じように問題集の品揃えがよくて近くにある紀伊國屋書店に行くことが多いです。
今もそうですが、徳島市内は、だいたい自転車で行きます。

さて…

平惣への道の途中、富田小学校の近くの交差点で信号待ちをしていたときのことです。
1羽の鳩さんが飛んできて、私の自転車のカゴにとまりました。

私は、驚きました。
道で会ったニャンコやワンコと立ち話をするときも、こんなに近くでというのは経験がありませんでした。
あんまり近くだとニャンコやワンコが警戒するし、うっかり長話をしてしまうと周囲の人間の不審者を見るような目…っていうか、本気で完全に不審者を見る目が痛いからです。

最近はワンコの一人歩きはめったにありません。
ワンコの一人歩きのように見えても、長いリードの先には飼い主さんがいます。
だから、うかつに一人歩きのワンコに話しかけると長いリードの先の飼い主さんがびびるので、ワンコにはなるべく話しかけないようにしています。

ニャンコにしても、どんなに近くても3mは離れて話します。

ましてや、鳩さん…

でも、あからさまに驚いて鳩さんが気分を害するといけないので、極力冷静を装いながら、話しかけました。

「どしたん?」

「…………」

「おなか空いとんで?」

「…………」

「今、何も持っとらんでよ。」

「…………」

話しかけても、何の「クルックー」もありません。
赤信号は、青に変わりました。

「もう、そろそろ行きたいんやけど?」

「…………」

「何か困っとんで?」

「…………」

「悩んどんだったら、相談に乗るけど?」

「…………」

「ほな、みんなに自慢したいけん写真とってもいいで?」

「…………」

初対面の相手に対して、いきなりカメラを向けるのは、撮影マナーの点からも、肖像権の点からも好ましくありません。
私は、何よりもマナーを大切にする塾の講師です。

「…………」

何も言わないのは暗黙の了解だと解釈しました。
ときにはマナーよりも大事なものがあります。

カバンからデジカメを取り出して、写真を3枚撮りました。

その間も、鳩さんは、じっとしています。

外で会ったニャンコやワンコを撮ったことのある方はお分かりだと思いますが、カメラを向けると、ニャンコやワンコは一瞬緊張します。
一瞬緊張して…近すぎるときは、逃げ出します。
カメラを出すために、カバンに手を入れただけでも逃げそうになります。

ところが、この鳩さんは、むしろ写りを気にするかのような素振りさえ見せます。
本当に…いろんな方向を向いて…。
それが3枚の写真です。

もしかしたら動物タレントの経験がある鳩さんなのかもしれません。
おかげで、いい写真が撮れました。
私は、デジカメをカバンにしまいました。
赤だった信号は、青に変わり、また赤に…

「もう、そろそろ行きたいんやけど?」

「…………」

「私、授業あるし…」

「…………」

「なんなら一緒に帰って授業受けるで?」

「…………」

「文系?理系?どっか行きたい学校とかある?私、教えるん上手でよ。」

「…………」

やっぱり、何の「クルックー」もありません。

私は、顔を近づけて、鳩さんの目を覗き込みました。

そのときです。鳩さんの声が聞こえました。
聞こえたというのは、正しい表現ではないかもしれません。
ある考えが、思念の塊として流れ込んできたのです。

私は知りました。

この世に生まれてきた理由、

ここに存在している理由、

私は…

私の魂と肉体は…

私のすべては…

教え導くためにこそあるのだと…。

私が『知った』とき、鳩さんは、穏やかに微笑みました。

そして…一瞬のうちに鳩さんの体は空に浮び、かすかに光りはじめ、次第に透き通りはじめました。
「いいかい、孝? わたしは鳩なんだ。たぶん…」
「ジョナサン!いや、鳩さん!」
眩い光がやんで、そして鳩さんはたちまち虚空に消えさりました。

『かもめのジョナサン』は、私の心のバイブルです。

2004年5月5日、午後1時を少し回っていました。

島村塾では、この瞬間を奇跡の『闘神覚醒』と呼んでいます。
島村塾塾長 島村孝 は自らの奢りを戒めて初心に戻るために、毎年5月5日に 眉山の奥深くにある『闘神の瀧』にて、流れ落ちる水に打たれることを習わしとしています。

うちの生徒や卒業生は聞いたことがあると思います。

徳島大学の総合科学部や理工学部だったら誰でも入れたげる。
実際、言った通りにしてくれるなら、本当に誰でも入れられます。

昔からそうだったわけではありません。

それまでも、塾として生徒を合格させる力は優秀だったと思います。

でも15年くらい前から、その生徒の志望校合格までの道筋が具体的に見えるようになったと感じています。
それが経験によるものなのか、覚醒によるものなのか、ただの錯覚なのか私にも分かりません。

ジャージィ・ローマンの『神の声』のようなものかもしれません。

分からない人は、『修羅の門』を読んでください。

タイトル画像の鳩さんと記事中の鳩さんは関係ありません。
多分、別の鳩さんです。

終わりです。

【島村塾の受講生と保護者の皆様へ】

島村塾の塾長は、少し人見知りをする面はありますが、基本的に真面目で誠実な常識人です。
もちろん、島村塾は、どの宗教とも関係がありません。

鳩さんが自転車のカゴに乗って飛んでいかなかったのは本当です。
少なくとも15分間は、鳩さんとお話していたと思います。

このお話、まったく…ほとんど…ちょっとしか…あんまり盛ってません。

大人になったらわかります。
この世の中はきれいごとだけでは生きていけないと。

いつか、大人になる君たちへ。