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犬は猫をどう想っているか

 犬に追われた。たいしたことはない、地域の女の人が、犬の散歩をしているわきで、彼女の住宅で飼っている猫をみていたら、犬が反応してしまった。私は謝り、家にも謝罪しにこられたので、気にしていないので、気にしないで欲しいと伝え、謝った。

 私は、最初、犬は人間が猫を観察するという行為を理解できないのだ、と想った。それは、「権力の犬」という言葉や、猫につきまとう文学的な、自由人的なイメージによる。

 しかし、ひとつの疑問がわいた。犬は、猫を守るのか、という疑問である。そして、いろいろと調べてみると、犬が私を襲った理由が分かった。それは、「匂い」である。犬はとても嗅覚の記憶が高いらしく、ずっと前に嗅いだ匂いも嗅ぎ分けられるという。私は彼女の犬と接触がなく、匂いで、敵だと判断したのだ。犬は、匂いで、敵対する動物かそうでないか、区別しているという。犬が猫をどう思っているかはわからないが、匂いで、お隣の動物だとは思っているだろう。

 そして、もう一つの疑問が湧く。私を襲った犬の反射は、人間のための動物としての行動なのか、動物的本能か、である。おそらく、想像の域を出ないが、犬はもっとも野生的である層において、周りにいる人間をひとつの群れとしてみなし、仲間だと思っている。だから、その問いの立て方は間違っていて、そもそも、人間が、犬が人間を群れだと見做して、上位の者に忠誠を尽くしているのを、人間に従順だと思っているに過ぎないのだろう。それを擬人化ならぬ「擬動化」と呼ぶこともできる。

 私は犬について学ぶことで、犬嫌いにならないようにした。それは科学の原動力であり、科学は自然への恐怖心を克服する。そして、それは、人間が動物を擬人化してつくりあげた物語を、動物を生態として客観化する態度を生む。今述べたいのは、それがどちらが優れているか、どちらを優先すべきか、ということではない。人間はそれを時に使い分けて、その混沌のなかで自然を捉えているのだ。

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