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『いちばんすきな花』の危うさ。でも、それでいい。

現在5話まで放送中のドラマ、『いちばんすきな花』が面白い。今期一推し。

"男女の間に、友情は成立しますか?"年齢も性別も過ごした環境も違う4人の友情と愛情の物語。

フジテレビドラマ公式HPより

幼い頃から"2人組"に悩まされてきた、20〜30代の男女4人の物語。

いや、4人が主人公の、というより、4人の物語という印象。

それくらい彼らの絆は出会ってからの時間の短さに対して不自然なくらいに強固だし、逆に主人公以外の登場人物と主人公たちとの親和性はあまりにも低い。

まるで4人の正当性を補強するために、周りの人たちをあえて悪意を持って描いているようにすら見える。

先に言っておくと、私はこのドラマにどっぷり共感する側の人間だ。
主人公たちに自分を重ねて苦しくなったと思えば、優しく温かみのある映像の中で傷を癒し合う4人の姿を見て自分まで癒やされたような気になる。

ただ、このドラマは決してただの優しい物語ではない。
作品の隅々に、違和感、あるいは歪みみたいなものが潜んでいるような気がする。

あの『silent』の脚本家とチームの新作ということで放送前から注目されていたけれど、いい意味で前作とはまるで違う。どこまでもまっすぐで純粋で多方面に配慮した『silent』に対し、今作の主人公4人が見ている(生きている)世界はおそらくかなり歪んでいる。

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その繊細さゆえに幼い頃から色々なことに傷つき生きづらさを感じてきた、一対一で本音を曝け出せる相手がいなかった彼らにとって、4人の関係性そのものが誰にも邪魔されることなく互いを肯定し慰め合えるユートピアなのだろう。

外の世界で傷つくと、彼らは椿(松下洸平)の家に集まって、安全地帯で羽を癒す。

例えば第4話。自分の悩みが誰にでも当てはまるものではないために、いつしか人に相談できなくなってしまった夜々(今田美桜)。そんな、誰にもわかってもらえなかった長年の悩みを打ち明ける夜々と、ゆくえ(多部未華子)の会話。

ゆくえ「当てはまらないものって、不安なんだろうね。」

夜々「当てはめないと、間違って傷つけちゃうかもしれないから、確かめたかったんだと思います。優しさだったと思います。」

ゆくえ「そういう優しい人って、さらに辛い思いをしてる人を探し出して、その人使って慰めるんだよね。あなたはこんなに恵まれてるのよ、って、幸せ強要して。」

ゆくえの言葉はきっと夜々の傷ついた心を救った。その様子を観て、視聴者もまた救われる。

しかし同時に、この場面はこのドラマの危うさを象徴的に表していたようにも思えるのだ。

ここでのゆくえの慰め方は、極端に言えば「自分たちを生きづらくさせている人たちって〜だよね。」という、似通った感性を持った人間同士でしかできない特別な構造をしている。

そして、4人の主人公たちは、いつもこうやって語らうことで居心地の良い関係を築いているのである。

すごく簡単に言うと"気が合う"ってことで、気が合う人といるのは楽だし、心地良い。

とくに周囲で自分だけが違うことを考えてしまっていると日頃から感じているような、彼らみたいな人たちにとって、些細なモヤモヤを共通言語で話せる人は貴重だから。
相手を肯定することで、自分自身を肯定してあげられるから。


しかし、ユートピアに居続けるのはリスクを伴う行為でもあると私は思っている。

"わかってくれる人"と話していると、どんどん自分たちの感性が正しく、間違いのない事実かのように思えてきてしまう。「○○さんって〜な人だよね」、「きっと〜だからあんなこと言うんだよ」なんて言って、「そうそう!!」と盛り上がる。

これがすごく危険で。

ユートピアの中から外の世界を眺めて、そこにいる、自分たちとは違う種類の人たちを分析する。その分析は正しいかもしれないけれど、ユートピアの中からは決して見えない部分が確実にある。

さっき挙げた4話の会話で言えば、夜々がわかってもらえなかった人にだってその人なりの優しさはあったはずで、その人の正義があって、その秩序の中で生きているという点では人間みんな同じなのに、ゆくえと夜々はそれを認められない。自分がわかってもらう努力をしていたか?ということも顧みることはしない。わかってくれない人を無意識のうちに敵にすることで、わかりあえる自分たちのユートピアはもっともっと居心地の良いものになっていく。

その代わり、外の世界の人たちを見る目はどんどん歪みを増していくのだけれど。

椿の家は外の世界の生きづらさから解放されることのできる場所として描かれていて、4人はここでの会話を通してもっと心地良い世界を築いていく。このドラマの基本的な構造はこれだと思う。

ここにいれば、ここに来れば傷つかない。だけど、ここ以外にいる人たちへの偏見は、どんどん大きくなる。気付かぬうち溝はどんどん深まっていく。

主人公たちの、というかおそらく脚本家の見ている世界は決してまっすぐじゃない。この作品は皮肉なことに『silent』とは真逆で、自分と違う生き方、境遇にある人への想像力を欠いている。



でも、それで良いのだと思う。

これはドラマだから。 

常に多方面に配慮した、どこから見ても正しい作品ばかりだったら、疲れてしまうかもしれない。

24時間あらゆる立場の人たちのことを思いやって生きるのは大変だから、少なくともドラマを見ている間だけは、都合よく歪んだ世界に浸って良い。

正しくないとわかっていながら、ついつい歪んだ目で人を見てしまう、分かり合えない人は悪で、私はこの世界で生きづらい人間だと感じてしまう人たちに、歪んだ見方を正面から提示しているのではないだろうか。

最終回までのこり半分くらい、4人の関係性は今後どんなふうに進展していくのかな。楽しみ。


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