見出し画像

あのとき決めたこと

高校野球

#自分で選んでよかったこと

梅雨が明け、今年もまた暑い夏がきた。

野球が、甲子園が大好きな私は、この季節になると各地の予選のチェックもして、今年は何県はどこが出場するのかな 久しぶりにあの高校が出ないかな アイツの母校もしばらく出てないから今年は出られるといいな等々思いを馳せる。

春のセンバツが終わり、新一年生が入学し、3年生はいよいよ最後の甲子園を目指すのだが、ここで私の頭の中にはかれこれ40年以上前の記憶が蘇る。

もしあのとき俺はあの高校を知っていたら、もし先生の言う通りにしていたら もしあいつの誘いを受けていたら、今でもたまに夢に見るくらいの記憶、その後今に至るまでの人生はどうなっていたのかなと考える。

あれは中学3年のゴールデンウィークの頃。
野球部のチームメイトや近隣のシニアリーグや他の中学の友達たち それぞれにスカウトが訪ねてくる。

しかしまだ14、15歳の子供。
なので親や監督に先に挨拶が来るのが習わしだったのかな。
いくら昭和の話とはいえ、あまりに生々しいことは胸にしまっておくけど、あの頃自分の願いは唯一つ。

「甲子園に出たい」
それのみだった。
まだ中学3年生とはいえ、普通に受験して進学するクラスメイトと違い、僕らは遅くとも夏休みまでには決めないといけなかった。

あの頃も野球留学はあった。私は千葉県だったので、学校数は多かったけど、どのみち甲子園を目指す学校なら寮に入ることになる。
それなら遠くでもいいやと思う反面、まだそのときは自分にはそこまでの詳しいことは分かっていなかった。

今思うとその時は誘っていただいた学校と、中学の先生、親とで色々打ち合わせがあったんだろうと思う。

7月のある日、チームメイトで1番最初に決まった奴がいた。
1人決まると次々と決まっていく。
僕らの中でも、できれば同じ高校で一緒にやりたいと思う気持ちは当然あった。
だけどそれぞれの家庭の事情から学校の思惑、ようは大人の都合が当然優先されるものだ。
でも大人も僕らの事を真剣に考えてくれてるのだし、とにかく呼ばれるのを待つしかなかった。

そしてある雨の日、僕は校長室に呼ばれた。

ノックして入ってみたら、校長先生、監督、親がいた。
そして話が始まった。
どうやら3つの学校から僕に選ばせてくれそうな流れだった。
その前に僕の前に入った奴とすれ違うときに話した。
俺は◯◯に行く、お前ももしそこを選べたら一緒にやろうぜと言われたのを覚えている。

話が始まった。監督がいろいろ説明してくれた。
僕には神奈川県のその年も甲子園に出ることになる高校、東京の私立で力を入れ始めた高校、地元千葉のわりかし近い高校、何処に行きたい?って唐突に言われた。

思わず父さん母さんの顔を見たが、何も言わず黙っている。
本当は何処に行って欲しいのか? 親父の性格からして好きにしろってことなのか?
本来なら今ここで返事しないでせめて明日まで時間無いのかなとかいろいろ考えた。

おい僕、いや俺は まだ子供だと思うけど、俺が決めていいのかよって思った。

少しの沈黙があったけど、本当に皆何も言わない。
実はその3つの中で、友達が行くところが1つあった。

それは地元千葉の高校だ。
どこが1番甲子園に行けそうか? その前にレギュラーになれるかが肝心だよな、だけどそんなこと行ってみないと分からないし、本当に数多のことが数分で脳の中駆け巡ったと思う。
そして、もういよいよ声を出すしかないと思い、おそらく人生で初めて重大な事を、自分で決めたんだ。

◯◯に行きたいです、千葉県から甲子園に行きたいです。

……  言ってしまった。つい言ってしまった。

正直1番行きたかったのは神奈川の高校だった。
しかし口から出たのは千葉の地元高校。

そこは、さっきすれ違いざまに友達が行く高校でもあった。

その夜、夜飯をみんなで食べているとき、何故か父さんも母さんも進路の話をしないんだ。
しないからこっちもできない。 なんかもう、俺はそこに行くことが決まっていて、それが全ての状況を丸く納めることなんだろうなと、子供ながらに察した気がした。

3年後、ちょうど今頃 夏の予選大会準決勝で負けて、俺の高校野球は終わった。
2年生の時も甲子園まであと一つというところで負けた。

そして、あのとき名前が出た他の2校は、それぞれ1度ずつ甲子園に出場した。
もう40年以上前の話なのに、今でも強烈に思い出す。

今になって思うと、選んだ高校によってその後大学や社会人などの進路も、実際の自分の進路や人生も、大きく違っていたと思う。

いろんな思いがよぎる。甲子園行けたかな、出てたよな、いや辞めてたかも、もう妄想は止まらない。

今強く思う事がある。

あの選択で良かったと。
何故なら今、俺は、人生いろいろあったけど まだ元気で生きている。
そしてこの歳になっても、幸か不幸か離婚したおかげで、とても好きな人を慕い、恋ができる。

どんなことがあっても、自分の人生悔いたことはない

希望を持って生きてきた。

あの中学3年生のときの自分で決めたことは、今でも間違いなかったと自信を持って言えることに、感謝しています。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?