スラップ訴訟への対抗手段:表現の自由を守るために

 私はTwitterをTorブラウザ経由で使用していて、他の人にも同様の対策を取るように呼び掛けている。

 これに懸念を提起された。
 先に言えば、この懸念は極めて正しい。健全な感覚である。

 私が紹介した方法は、「意図的な誹謗中傷をやりながら、司法の裁きからは逃れようとする人」が悪用できる。その危険性を顧みれば、本音では私も紹介したくはない方法だ。

 しかし、日本の司法運営の現状では、この対抗措置が必要だ。

 2022年10月に、誹謗中傷対策として発信者情報開示請求の司法手続きが大幅に簡素化され、スピードアップした。特に大きな違いは、発信者情報開示請求に非訟事件手続法が適用されることだ。

ア. 発信者情報開示命令事件とは
SNS等のインターネット上の投稿によって自己の権利を害されたとする者は、一定の要件の下、SNS等を運営するコンテンツプロバイダ(CP)や発信者がSNS等に侵害情報を記録する通信を媒介したアクセスプロバイダ(AP)等に対し、発信者情報開示命令の申立て(非訟手続)をすることができます。発信者情報開示命令事件の申立人は、同事件を本案とする特殊保全処分として、提供命令の申立て及び消去禁止命令の申立てをすることもできます(特定電気通信役務提供者の損害賠償責任の制限及び発信者情報の開示に関する法律(以下「プロバイダ責任制限法」という。)5条、8条~18条等参照)。
 なお、発信者情報開示命令事件に関する裁判手続は、令和4年10月1日施行のプロバイダ責任制限法の改正により、従前の発信者情報開示請求の訴訟手続等に加えて新たに創設されたものです。この裁判手続は、令和4年10月1日以前にされた投稿に関しても利用が可能です。

『11.発信者情報開示命令申立て』

 以前は非訟手続ではなかった為、発信者情報開示命令を出すにも裁判所に一定の責任が伴った。裁判所は、原告が「プロバイダは発信者情報を開示をしなくてはならない」と言える根拠を十分に用意できているかを精査し、少なくとも権利侵害が起きている蓋然性が相当に高いことを根拠として、「判決」を出す必要があった。
 よって、問題となるSNS投稿が権利侵害しているか微妙な場合、そう簡単に開示命令は出せなかった。

 しかし、非訟手続が使えるのであれば話は変わる。非訟事件では、まず「判決」を出さなくていい。非訟事件で裁判所が出すのは「決定」である。
 非訟事件は(ややこしい言い回しだが)「将来的な法律関係を形成するもの」であり、命令を出す裁判所の責任は相対的に軽い。「最終的に権利侵害となるかどうかは分からないが、それは後の別の裁判で争ってもらうとして、とにかく開示せよ」と「決定」できるのだ。

 冒頭で私は「Tor経由でTwitterを使うことは誹謗中傷に悪用されないか?」という問いに「YES」と答えた。正直にだ。だが、「現状の発信者情報開示請求の司法運用は、恫喝訴訟・スラップ訴訟に悪用されないか?」と問われても同じく「YES」と答える。

 SNS誹謗中傷の被害者にとって法的なハードルが下がったのは朗報だろう。それは良いことだ。しかし、恫喝訴訟・スラップ訴訟を目論む者にも朗報となってしまっている。

 名誉感情の侵害があったかどうかを争う最終的な裁判で負ける可能性が高くてもいい。情報開示だけでも成功させてしまえば、相手が一般的なサラリーマンなら「勝ったも同然」だ。まず間違いなく相手は示談和解を求めて謝罪するだろう。

 その理由は、コストとリスクを考えればそうするのが最も賢明かつ合理的だからだ。裁判には費用も時間もかかる。「ほぼ勝てそう」だと思い、実際に裁判で勝っても、「賠償金を支払わなくて済む」というだけで決して黒字になりはしない。勝てば交通費等の一部の裁判費用は相手に支払ってもらえるが、失った時間は取り返せない。また、弁護士を雇ったらその費用は相手負担の対象外だ。
 示談和解のために求められる「示談金」が仮に10万円程度なら、間違いなく払った方がいい。弁護士費用はどうやったって10万円以上かかる。

 加えて、勝ったとしても、サラリーマンは会社から解雇・左遷される可能性がある。法的にはセーフであっても、「弊社が定めているコンプライアンスに違反していたので、規定の処分を行う」等はありうる上に、適当な理由をつけて左遷することなどはもっと容易い。

 さらにそのサラリーマンに、守り養うべき家族がいたら、自分の意地だけで戦うという選択もしにくい。普通は出来ないだろう。

 むろん、「ほぼ勝てそう」でも、万が一にも負けたら最悪だ。
 名誉感情の侵害があったという事実認定について、裁判所の判断は非常に曖昧だ。つい最近も「いいね」を押しただけでも名誉感情の侵害に加担したという高裁判決が出たばかりである。この件では地裁判決が覆っている。
 つまり、専門知識があって実務経験も豊富な裁判官ですら、セーフ・アウトの判定が揺らいでいるのだ。よって素人である私やあなたが思い描く「これはさすがに『批判』の範囲だからセーフだろう」と思っている範囲はあてにならない。

 恫喝訴訟・スラップ訴訟はさらに工夫もできる。開示請求が成功しているのなら、相手の住所は分かっている。名誉感情の侵害を理由に訴訟するなら、「相手の住所から最も遠い地裁」で訴訟を起こすのだ。相手が沖縄にいるなら、北海道の地裁で訴訟する。そうすると、相手は裁判所の出頭命令を受けて、北海道に行かねばならない。

 遠いからといって出頭命令を無視したら、原告の主張がすべて正しいと認められる。交通費・宿泊費だけで痛手だ。これに弁護士費用までかけると、一般的なサラリーマンには相当苦しい。「無理だ」という人も多いだろう(ここまで「サラリーマン」を想定して書いたが、別に学生やアルバイター、派遣社員でも起こり得る)。

 そうする手前で、内容証明郵便で相手に「警告」してやろう。「北海道の地裁で訴訟するつもりだが、示談和解してやってもいい。示談金はまあ10万円といったところとしよう。あとSNS投稿を削除して、こちらが指定する謝罪文を掲載しろ」と。

 もう裁判の勝敗は問題ではない。10万円を支払い、投稿を削除し、謝罪文を掲載する。納得できなくてもだ。コストとリスクを考えたら当然に至る結論だ。私でもそうする。

 恫喝訴訟・スラップ訴訟に対抗しようと思ったら、「開示請求を受けても自分に到着しないようにする」しかない。誹謗中傷に悪用されうる方法だとしても、Torを採用し、それを周囲にも推奨しているのはそういう理由だ。

 私は2022年10月に今まで使っていたアカウントを削除した。裁判所のページで「この裁判手続は、令和4年10月1日以前にされた投稿に関しても利用が可能です。」と書いてあったからだ。過去アカウントでそれなりの投稿数があった以上、「裁判所に名誉感情の侵害と認定されるおそれのあるツイートは全くない」とは言い難い。むろん、自分の基準では誹謗中傷などに手を染めていないつもりだが、その「つもり」は裁判所に簡単に否定されるし、否定されなくても開示までされたら終わりだ。

 そして、2022年11月に今のアカウントをTor経由で立ち上げた。「表現の自由」はもう自力で守るしかないのだ。

 もし日本の司法がまともで、判断に十分な透明性と予測性があり、恫喝訴訟・スラップ訴訟を受けた場合の被害救済の仕組みも完備されているならば、私も誹謗中傷に悪用されかねない手段は紹介しない。当然、自分でも使わないだろう。

 私が他人の名誉を真に間違った形で傷つけてしまう可能性はある。その時の「被害者」がTor経由という障害によって私にたどり着けず、権利の回復が図られないのは正義に反する。

 しかし、その正義を守る役割が、私という一個人に帰せされるのは重責が過ぎる。恫喝訴訟・スラップ訴訟によるリスクに対応する仕組みを作ってから、「Tor経由というずるい真似をやめろ」と言ってくれ。その時、私は従うと約束する。

 最後にいつもの言葉を述べて終わりとする。

 私はnoteに銀行口座を登録していないし、今後登録するつもりもない。よって、サポートは受け取れない。

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