『みんな』『世間一般』

意見の違う誰かと言い合いになったとき、こんなことを言ったこと、もしくは言われたことはないだろうか?
 
「みんな言ってたし!」
「世間一般的にそれはおかしい!」
「誰もそんなことしてない!そんなんするなんてお前おかしい!」
 
言われたことがある人はこの言葉にカチンときたこともあるかと思う。言ったことがある人はこれから書くことに否定的になるかもしれない。読んでどう思おうが構わないが、できることなら考える糧にしてほしい。
 
内容が云々、と言うよりも考えてほしいのは
『みんな』
『世間一般』
『誰も』
などという言葉だ。
Twitterとかで見る政治関連のツイートに付いてる「国民はそんなこと望んでない」とかの『国民』もそれにあたる。
これらの共通点はわかるだろうか?
 
そう、『自分の意見を肥大化させる言葉』だ。
自身の意見は大衆の意見。そう思わせたいが故の情けない言葉だ。
何故そうする必要があるのか。それは数の暴力に訴えるためだ。数が正義だと信じて疑わないからだ。
別に数が正義ではないとは思わないが、数が絶対的な正義だとも思わない。水増しされたしっかりと検証もされてない数なら尚更だ。そんな幻めいたものに縋って自分の意見は正しい!って宣う姿は滑稽でしかないわな。

あと、責任を負いたくないからってのもあるだろうな。仮に決定的で客観的な『自身の意見を否定する』何かが出てきたときにこういうためだ。「みんな言ってたから」って。
いじめとかでもよくあるよな。「みんなやってるし」って。違うだろう?『お前が』気に食わないからやってんだろ?責任を分散させようとするんじゃない。
自身の意見に責任を負わずに安全地帯から石を投げたいから『みんな』という隠れ蓑に隠れようとするんだ。楽しいだろうなぁ?他人のせいにして自分が好き勝手相手を攻撃するんだ。これ以上のエンタメはない。他人がこう言ってるから(実際言ってるかどうかはともかく)自分に正義があると言い聞かせ、正義の名の下に相手を叩き伏せる。あまりに愚かでみっともなくて汚らしいやり口だ。
 
 

自身の気持ちを他人のせいにして、有象無象に隠れ潜んで文句だけ言う。そんな事して、生きてる意味あるのだろうか?自分がそのタイプだと言うならば、今一度考えてみてほしい。

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