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1976年・1977年生まれのLeica人へ

カメラを買う理由には色々有ると思う。

子供が産まれたから。子供の運動会が有るから。初めて海外旅行に行くから。とか、好きなカメラが発売されたから、好きな被写体を撮るのに、それに適したカメラが欲しいから。

そんな中に、自分の産まれた年に作られたカメラが欲しいって理由もあると思う。いわゆるbirth year cameraとか。

1976年、1977年生まれで、ただ産まれた年のカメラが欲しいって人はNikonを買いましょう。

1976年、1977年は F2を作ってた年です。シリアルナンバーで製造年が分かります。確か月もわかったと思う。この年代はレンズもシリアルナンバーで管理されてます。 F2はNikon最後の完全な機械式カメラで修理すれば一生使えますし、プロが過酷な現場で使うカメラでしたので、古くなった今でもメンテナンスさえしていれば信頼性は間違い有りません。普通の人はこれ以降は読まない方が良いです。くそ長い駄文が続くので。

1976年、1977年生まれで、少しひねくれてて産まれた年のLeicaのM型が欲しいって人で、生まれた年のM型が無いと悶絶してる人は是非続きをお読み下さい。

数々の本ではM4は1972年で一旦終了、1971年発売の後継機M5にバトンタッチ。

しかし、M5があまりにも不人気で1974年にM4が復活し1975年まで製造された。

その後、1976年はM型は生産されておらず、後継機となるM4-2の生産が1977年に100台。その100台の発売は1978年となってます。

私は1977年生まれです。買うとすると100台のみ製造された赤バッチ付きのM4-2か?このカメラは入手困難度がかなり高く高額となります。

もう、悶絶しました!そんな馬鹿な!生まれ年のカメラを買えないなんて!と。この時はNikonのシリアルナンバーの事を知らなくて、シリアルナンバーで製造年が判別出来るのはLeicaだけだと思ってました。

この勘違いから、私の長い長いLeica研究が始まります。とはいえ、やった事はLeica関連の書籍をひたすら買って読むというだけですが、それでも私なりの結論に達するまで約3年かかりましたので、その研究結果を記しておくとと共に、1976年・1977年生まれの人の僅かながらの希望の光になればと思います。

以下はあくまでも私の考察であり、確実な事実では有りません。色々な文献を読むとこうなんじゃないかという話です。

私の結論は1976年・1977年にもM型のLeicaは作られてます。

この当時の時代背景としてLeitz社は深刻な経営難に陥っており、スイスのウィルド社がLeitz社の株式の25%を所有していましたが、1974年に26%を買い増し過半数を抑えられLeitz社は経営権を失った時期です。

このウィルド社はシリアルナンバーでの製品管理にあまり重点を置いておらず、この時期は資料が作成されなかったり、作成されても誤りがあったりしたそうです。またシリアルナンバーも実際に作った物を記録した訳ではなく、生産計画に対して割り振った番号というだけで、生産数が多ければ計画にない番号が割り振られたし、生産数が少なければ、作られなかった番号もそのまま記録に残されたそうです。

そして、多くの記事にM4-2の登場は1978年とされております。1977年とされてる文献も有りますが、それは初期ロットで特別仕様の限定100台のみが年末に出荷されたとなってます。

しかし、どうやらここが1年誤りがある様です。

M4-2に割り振られてるシリアルナンバーは

1977/1978年 1468001-1468100

1978年 1480001-1482000

となっています。1977/1978年の100台が初期ロットの100台です。そして、その後のシリアルナンバーが約20000番飛んでいます。ここが肝です。

まず、M4-2はフォトキナでプロトタイプが発表され、その年の年末に出荷されたと書かれてる記事が有ります。とすると、シリアルナンバーが割り当てられた1977年の末の出荷となります。しかし、ここでシリアルナンバーが誤りと思われる事実が有ります。

フォトキナの歴史を調べると1977年はフォトキナは開催されてないのです。

1976年の次の開催は1978年です。また、M4-2の最初の出荷時の写真が残されており、そこにはM4-2と共に出荷日が1976年12月23日と書かれたプレートが写り込んでいます。この事実からすると、M4-2は1976年のフォトキナで発表され、その年の年末に出荷されて、実際の販売が1977年になった物と思われます。これでまずは実際の製造開始年は1976年と分かりました。

次の疑問は1976年に製造が開始していた場合には、先程記した1977/1978年 1468001-1468100の100台分のシリアルナンバーは1976年には作られてしまっている事となり、つぎのシリアルナンバーの割当は1978年 1480001-1482000と約1年間、番号にして20000台分飛んだ事になり、1977年にはM型の製造はされてない事となり、1977年生まれの私にとっては非常に都合の悪い事となります。

しかし、ここにも肝があります。

まず、M4-2の生産はライツ・カナダ社のカナダのミッドランド工場で行われたという事。そしてM4-2の生産設備は1976年にウェッツラーからミッドランドに移管されているという事。そして、この移管の条件として年間4000台を上回る生産をする事で、ライツ・カナダ社は世界中から年間9000台の注文見込みを受けたそうです。

となると、当時シリアルナンバーを重要視してなかったウィルド社が、自社生産でなくなったカメラの移管時に、生産計画をたてていなかった可能性もあり、その後1976年に生産を開始して100台分の製造後に1468100からそのまま番号を続けて製造して、1977年にもM4-2を作り続けて可能性があります。そして、シリアルナンバーが、20000万台分飛んでるのは、年間9000台注文見込みがあるから、9000台×2年で1978年以降のシリアルナンバーは20000台飛ばしておけばいいか。っと考えたとしても不思議ではありません。

従って、1976年と、1977年には生産計画の無いままシリアルナンバーが打たれたカメラが存在し、1978年からシリアルナンバー管理を再開したと思われます。

事実、シリアルナンバー表にないシリアルナンバーのM4-2は何台も見かけます。おそらくそのカメラは1976〜1977年に作られたカメラと推測されます。

そして、1976年は12月23日に初期ロットを出荷してるとなると、おそらく製品版の製造は年の相当後半に行われてると思われます。ですので、1976年の生産台数は相当少ないと思われ、シリアルナンバー表にないM4-2のうち1468100にごく近い番号のみが1976年製で、殆どが1977年製造なのではないかと推測されます。また、当然ですが年間9000台も生産されてるはずもなく1978年の生産計画が2000台なので、1977年も同程度かそれ以下と推測されます。

これが私の出した結論です。

1976年生まれの人は、初期ロットの100台を探すか、それに近い番号のM4-2を探す。初期ロットは相当に高額ですが、全く無かったよりはマシだと思います。そして、初期ロットに近い番号なら10万円台前半で見つかると思います。

1977年生まれの人は、シリアルナンバー表にないM4-2を買っておけばほぼ1977年製です。約2000台有ると思えばいつかは見つかります。

そして、私は見つかりました!最初に生まれ年のカメラが欲しいと思ってから約5年かかって1468×××番のM4-2を買えました。結果安かったです。

そして、、、、

カメラを買ったら次はレンズです!

こちらは未だに買えてません。本当は1977年以前で近い年にモデルチェンジした35mmか50mmのレンズが欲しいのですがその様なレンズは1976年にモデルチェンジした、NOCTILUX 50mm  F1.0しかなく、相場は約80万円!そんなの買えるか!という事でズミルックスかズミクロンになりますが、50mmのズミルックスはカッコ悪い。35mmは周八枚を買ってしまったので、35mm の優先順位が下がってしまった。そうなるとズミクロンの50mmとなりますが、こちらはなかなかリーズナブル(それでも高いわ!)なお値段なので、これ一択となりました。


私のbirth year camera探しはひとまず完結で、第二幕というか次の沼のbirth year lens探しを頑張ります!! 




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