ネガとポジティブ

生きていれば、誰しもが日々「葛藤」をし、生きているのだと思う。

欲しいものを買うか買わないか。
友人からのご飯の誘いに行くか行かないか。

葛藤を繰り返し、選択をしている。

これは人それぞれの価値観や育ってきた環境などで変化をするものだ

それは「言葉」や「行動」となる

ネガティブとポジティブ対比となる言葉
マイナスな言葉などがネガティブ
逆にプラスに変わる言葉がポジティブと表現される事がみんなの認識だと思う

コロナ禍と呼ばれる時代の渦の中に生きてる僕ら
毎日のように、感染者数と死者数がテレビやラジオから流れる。人の命が簡単に消えていく
もう、危機感も恐怖心も薄れてしまい、慣れという物が時にこんなにも残酷な物なのだと痛感する

しかし、僕がこのコロナ禍に入り1番注目して見ている事は、「自殺者」の人数だ。
以前にも人身事故について、このnoteで言及した事があった。
コロナウイルスにより、病に倒れ亡くなった方
コロナウイルスにより、生きる希望を失い自ら命を落とした方もいる。
より良い国にしようと取り組んだ政治で人が亡くなる。
これは、果たして、次の時代の「犠牲」や「代償」と呼べるのであろうか?

年々増加傾向にある自殺者数
偽善者の様に聴こえるかも知れないが、ここに僕は目を背ける事が出来ない
偽善者と呼ばれようが構わない。

何故なら、自殺する方の気持ちが僕は少しだけ理解が出来る。それは、一度僕もそう思い行動しようとした事が18歳の時にあったからだ。

ただその時僕は「死にたい」と思ったからでは無い。
生きる事が辛かったから。常にクラスの中心、人よりも勝る物が多いと思い込み、それが打ち砕かれた瞬間。
なんのやる気も起きず、なにも自分から見出だす事が出来なかったから。
生きる事が辛い=死にたい
と勝手に結び付けてしまったのだ。大きな過ちだ。


では、「死にたい」=「ネガティブ」なのか?
これは全然違うと思う。
ネガティブで全てをマイナスに捉えてしまって自ら命を絶つことに踏み切ったのか?

死にたいと思う分には、仕方ないと思う部分はある
でも、誰しもが生きている。

「自殺」=「ポジティブ」だと、僕は思う。
これは、僕が導き出した訳ではなく、以前に紹介した社長の言葉だ。
この社長の言葉は今の僕じゃまだ経験が足りなくて、簡単にいつも理解が出来ない。その度持ち帰り考えて、僕なりの答えを出す。ある意味これが僕がまだまだ生きていく理由の1つでもあると思ってる。
まだまだ、僕は小さく、無知だから。

話を戻そう。
誰しもが「1人」で生きてるぜって奴は居ないと思う。
いやいや、私は自分で仕事をして、誰にも迷惑や手を借りずに生きてます。って言う人が居るかもしれない。

ならこう返そう。今の日本において
仕事をして、対価としてお金をいただき生活をしてる。
簡単に話をすると、そこには生産者がいてそれを買う消費者が居る。だから、お金は周り物というより、動く。


そして、1人1人に親がいて、家族兄弟がいて、誰かに認知をしてもらい、支えられ生きてる。


自ら死ぬ決断をした方は、これらを放棄してしまっている。
自分という1人の世界に入り込み、取り巻く周りの環境や人間を考える事を放棄している。

自分という人間だけを考えて生きてる人間を、「自己中心的」な人だねとよく聞くと思う。
それと、全く同じだと思う

もちろん、先程死にたくなる気持ちが僕にはわかると言った。そんな気持ちになってる時に周りの事なんて、考えられないし、誰か助けてよって叫びたくなる気持ちもすごい理解は出来る。

確かな情報ではないが、聞いた話によると、自殺をした人の顔は安らかな顔はしてないという
とても苦しい顔をしているという

正しい表現かはわからないが、人を思いやる気持ちというのはある意味「本能」と呼ばれる物なのかも知れないな。


今の僕には、支えてくれるメンバー、家族、ファン、友人の方達がいる。そして、僕がやってる音楽というツールで1人でもこの自殺者数を減らす事ができると信じてる。
かの有名な「ボブ・マーリー」は南北戦争を音楽で止め、人々の命を救ったのだから。

ネガとポジティブが入り乱れてしまう、感情をほんの一周だけでも、一緒にポジティブに変えて行けたら良いな。

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