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3.11の魔法のかかった奇跡の物語

メモに残しておくのも勿体無いなと思い書いてみました!

この記事を読んで、自分達の止まっている足を前に踏み出す一歩になることを願っています。


3.11
誰もが忘れることのできない震災の日
沢山の悲しみと、絶望が渦巻いた恐怖の日
その時代に生まれた子への差別などもあったと聞く
本当に酷いことだらけでこの日が来るたびに思い出す人も嫌な気持ちになる人もいる。
僕もその1人だった…
いや…
その1人になっていたと思う。
あの人達に出逢わなければ…



2011年3月11日
僕は当時15歳中学校3年生でした。
当日は卒業遠足で朝から東京ディズニーランドへ
わくわくしながらとても楽しく同級生達とディズニーランドを満喫していました。

時刻は14時30分頃
15時にはバスに戻らなければならなかった僕らは
最後に「スプラッシュマウンテン」に乗って思い出の写真を買って帰ろうと思って乗りました。

最後だからテンションも最高潮。
いざ手を挙げて落ちる…という瞬間の出来事でした。

14時46分…

突然スプラッシュマウンテンの1番上にいた僕らが乗ってるライドが停止。
みんなと顔を合わせた瞬間…

ゴゴゴォォ
ミシミシ


人生の中で感じたことのない揺れを体験しました。

水の勢いで前に行こうとするライド…
とにかくライドが前に行かないように後ろにのけぞりながら頭を隠す僕ら

後ろに乗っている小さな女の子に
話しかけて「大丈夫だよ!ママにくっついててね!」と声をかける。

その後は

揺れが一瞬おさまりキャストさんが下に降りる階段まで案内してくれました。

下に降りてみんなの安全を確認しようと携帯を見ましたが全て圏外。
突然流れ込んでくる「震度7?福島?」の情報

先生にも連絡がつかない。

僕らはとりあえずバスに戻ろうと
ワールドバザールに向けて走り始めた。

15時15分頃
突然目の前に地面(アスファルト)の波が
こちらに向かって押し寄せてきた。
人生で経験したことがない
アニメの世界でしか起こりえないと思っていたことが
目の前で起きていた。

僕たちの真下を波が通り過ぎていく。

キャストさんに
「しゃがんでください!」と
指示を出され、しばらくしゃがんで身を守った。

揺れが収まってからワールドバザールに
向かったが、建物に亀裂が入った為
閉鎖することになったアナウンスが流れる。

ここから約3時間パーク内に閉じ込められたが
キャストさんの数々の対応の素晴らしさに感動した
のを今でも覚えている。

退路を絶たれたとき、突然の雨が降り出す。

当然雨予報ではなかったため、
傘を持っている人は少なかった。

しかし建物にも入れないため
雨宿りできる場所もない。

それをいち早く察知したお土産屋さんのキャストさん

お店の中にある
商品の傘を外に並べ始め
キャストさんが一人一人に丁寧に手渡しで
渡しにきてくれた。

僕が受け取った時はお姉さんが、
「これ使っていいから風邪引かないようにね!
女の子達守ってあげてね!」
と一言添えて渡してくれた。

自分だって怖かっただろうに
手を震わせながらも渡してきてくれて
引きつった笑顔は今でも覚えている。

不安だったと思う。
きっと大学生ぐらいのキャストさんで
家族の安否確認や被害状況等分からないまま
でも仕事を全うしなければならない。
夢を壊してはならない
助け合って乗り越える強い信念で
身体を鼓舞しながら働いていたんだと思う。

その感情が15歳の僕ですら感じるほど
緊迫した空気の中キャストさんは
一人一人に笑顔で安心安全を提供し続けていた。

安全確認が済んだお土産屋さんを随時解放し
雨宿りができるようにしてくれた。
子どもが「おなかすいた」と母親に嘆いている所に
キャストさんがお店にあるお菓子をその場で開けて
「はいこれ!ミッキーが元気になる魔法をかけて
くれたお菓子だよ!これ食べてママを守ってあげてね!」
とクランチチョコを何個か渡した。

ネームタグにはトレーナーピンとスピリットの金
(当時はその意味を知らなかったがはっきり覚えている)

その人は独自の判断で
お菓子を開けて渡した。
会社の財産であることは間違いないため
勝手にしてはいけないことかもしれない。

SVがその後来て事情を説明していたが
SVはその人の行動に拍手して、
ほかの全てのキャストに今目の前にある
お菓子を開けて渡してきてと指示を出した。

ディズニーのキャストさんの判断、上の人間が
その行動に対して
「勝手なことするな!」
ではなく「素晴らしい判断だと思います。」
と拍手していたところを見て
僕は大人になったらディズニーのキャストになりたい。
と心の底から思った。

「寒い」という声が聞こえたら
カイロを渡してあげて、
子どもにはブランケットを準備し
食べ物は随時配りに来てくれた。

本当にあの時のあの対応がなければ
ディズニーでのトラウマをみんな払拭できなかった
と思う。

本当に一人一人の行動が
誰かに指示されたものではなく、
ゲストの気持ちを考えて行動する
ホスピタリティ精神溢れる行動だった。

僕は大学生になってすぐに面接を受けにいき
お土産屋さんを第1候補にして、それ以外は
書かなかった。

あの時の感動を僕は与える側になりたいと
思ったから。

それから4年間
お土産屋さんで働きました。
沢山のゲストから手紙を貰い、後輩や先輩とも
仲良く、キャストライフを過ごしました!

最後になりますが、
あの時の自分の恐怖の体験とテレビで流れた映像
一生忘れることはないでしょう。

しかし

あの時の感動や人に対する思いやりの気持ち
共に乗り越えようとする気持ちもまた同じように
これからも一生忘れることはないでしょう。

この魔法にかかった経験で僕は前を向いてこの日を生きています。

10年経っても、あの時のまま心が動かない人も
ディズニーの魔法がかかって少しずつ歯車が前に
進んでいくことを願っています。

長い日記になりましたが
最後まで見て下さりありがとうございました!!
ディズニーが素晴らしい所であることを
少しでも多くの人に伝わったら嬉しいです。


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