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まわりの人々を大吉にできるように2022

元日から、ふと性別について思ったこと。

私はいわゆる「どちらもイケるくち」。あえて、カテゴライズされるなら、LGBTQなのだと思う。

しかし、昨今よくメディア等で取り上げられることが増えた、その表現に何かしらしっくりこない、、、のは、なぜかな〜ということが、なぜか今日、自分の中で答えが出たのでメモしておきます。

私がなぜ「女性」なのかというと、女性器を持っていてるから。社会の便宜上、戸籍「女」という記号を与えられているだけ(「便宜上」、というには疑問のある制約もあるけどー)。でも、やはり、ただの記号。

だから、何かの調査ものでは(男か女しか選べなければ)「女」を選択するし、校則で「女性用」を着けなければならないと言われれば、何の抵抗もなく着る。逆に、校則で学ラン詰襟を着けて、、、とあれば、それも同じく。そこには、あまり、こだわりや信念みたいなのはないかも。どちらでも、かわいいもの、かっこいいものを選べればサイコー。(←それが選べない現実が深刻)

私服の選択基準は、ただただ、自分が着けたいか、自分に似合いそうか、だけ。パンツスタイルが多いけれど、スカート系がいいかも思えば着ける。

恋愛対象も、自分がステキ!と思う人が基準で、性別で判断したことはないかなーと思う。

LGBTQは、ジェンダーフリーとか多様性とかの象徴のように言われることがある。でも語弊を恐れずに言うと、、、「身体は女性だけど心は男性だから、制服スカートは着たくない!」(逆もしかり)という感情も、またジェンダーに囚われているのかな〜と思ったりする。「男はスカートは着けないべき(スカートは女が着けるもの)」というフリー(自由)ではない考えがあるのかな〜と。そんな考えは、ダイバーシティと言えるのかな〜と。

メディアの発信、表現の仕方の問題で、(私も含めた)当人たちの思想とは違うのかもしれないけど。

とにかく今年も、

服選びだろうが、パートナー選びだろうが、仕事への向かい方だろうが、自分の審美が趣くままに生きるしかない。

酔っ払いながら、整理途中の思いついたことをつらつら書いているだけなので、もし偶然にもこの記事にぶち当たって、嫌な思いをした方がいたら申し訳ないです。

と言いつつも、こんなことを書きつつも、

せめて周りの人を大吉に、せめてあの人を笑顔にできる1年にしようと思ってます。


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