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父の命日にお墓詣りへ行ったら先にお花があった~父を覚えていてくれる方の気持ちに感謝

先日は亡き父の命日でした。父が亡くなってから丸7年。

7年前のことを思い出しながら、雨の中を、母と一緒にお墓詣りへ行ってきました。

お昼ごろにお墓へ到着して、墓地の中を歩いて見えてきた父のお墓には、すでにお墓にお花がありました。亡くなって7年たっても、命日に父のことを想ってくれる人が、家族以外にもいることに感謝でした。

今年も父の命日にお花が・・・

そういえば、去年は実家売却した直後で、なんとも寂しい気持ちのなかで、父の命日を迎えました。

実家売却のときの想いは、以下の記事に記しました。

今年は、母も私も気持ちがだいぶ落ち着いていました。「時間が癒してくれることってあるな~」と感じました。

「去年は、お花があったはず・・・」と、母が墓地を歩いていたときにボソッと言いました。

そして、父のお墓が見えてきたら、きれいなお花がありました。

「アッ、お花があるね!」と、母と2人で驚きました。

小雨に濡れて色鮮やかに見えるお花と、燃え尽きてそう時間もたっていないお線香の燃え残りがありました。今日来てくれたんだな~とわかりました。


あえて探さないけれども、感謝しています

父が亡くなって7年たち、家族以外の人から思い出されることもほとんどないだろうと思うのに、父の命日にお墓詣りをしてくださる方がいることに、胸が熱くなりました。

母の話では「もしかしてこの方かしら?」と思い当たる人は数人いるそうなのです。でも、「命日にお墓詣りにきてくださいましたか?」と聞いてもし違ったら失礼になってしまうから、「このことをあえて確認することはしないでいようね」と、2人で話していました。

父は不器用な生き方をして大変な人生でしたが、今も父を思い出してくださっていることに、父もきっとあの世で喜んできてくれると思います。

お礼を直接に伝えることはできませんが、ありがとうございます。

お墓は残された人のためにある?

父のお墓詣りをしていたとき、同じ墓地内の近くで、お墓に納骨をしている家族がいました。まだ癒えない深い悲しみの中にいる家族の雰囲気が、こちらへも伝わってきました。7年前の私たちのようでした。

父が亡くなった日に、父の亡骸とともに病院から実家へ戻る車から見た、ハナミズキが満開に咲き乱れている光景を、今でも忘れることができません。そのときから、ハナミズキの花を見ると、「ああ、父に逢いたいな~」と涙がこぼれそうになります。

至るところでハナミズキの花がきれいに咲いてました。そんな同じ季節に、父のお墓へ来ている私たちのことを考えると、お墓は「残された人にとってその人に逢いに行く場所」ということを、あらためて感じました。

状況によっては、必ずしもお墓という形を作る必要ないけれども、共同墓地でも手元供養でも、亡くなった人を想う場所や供養できる方法は大切だな~と思いました。

(当記事は元ブログからの移管です。オリジナル公開日:2019年4月25日)


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