バイデン大統領誕生に思うこと

アメリカ合衆国・バイデン大統領の勝利演説を聞いて、こんなことを考えた。

政治家というのは理想を語るべきだと思う。それも個人的な理想ではなく、共同体や人類共通の。

確かに所得を増やします、生活が楽になりますという目先のことも大事。同時に、その国が向かう方向を指し示すことも必要だ。人はパンのみにて生きられないのだから。

敗戦直後から高度成長期までの日本は、新憲法と民主主義という旗を得て、頑張れば幸せになれる、豊かになれるという理想があった。だから国民は懸命に働き、子供を産み育てた。

その目標は、バブル経済とその崩壊で消えた。

以後の日本は、国としての理想の姿を失ったまま迷走を続けている。平成になってから現在まで、この国には19人の首相がいたが、誰一人として明確な日本の理想像を国民に提示できなかった。

そう、彼らはバイデンが今日、「分断ではなく結束を目指す」「アメリカを癒やす」と言ったような言葉すら用意できなかった。自分が覚えているのは、ちょうど10年前に菅直人が言った、「最小不幸社会」ぐらいだ。

アメリカ合衆国はもともとが移民の国、多民族国家なので、一人ひとりの考え方が違うのが前提。だからこそそれぞれの意見をぶつけ合い、努力して国という形を保とうとする。しかし、単一民族国家という幻想を多くの国民が抱いている日本は、その意識が薄い。多くの国民が、ある程度の豊かさを手に入れてしまうと、もはや共同体としての目標が見えない。欧米諸国などと違って宗教が背景にあるわけでもないので、精神的なバックボーンもない。

そこに出てきたのが、安倍晋三だったのだと思う。

安倍晋三自身には、実はイデオロギーは何もない。総理大臣として、特にやりたいこともなかったと思う。唯一の例外は憲法改正だが、あっけなく、それも二度にわたって自分から投げ出しているので、口で言うほど執着していなかったことがわかる。じゃあなぜ首相をやっていたのかというと、単純に「権力の座にいることが楽しい」からだろう。ただ、首相になる以前から、大好きだったおじいちゃんの岸信介が左翼・リベラル系の文化人たちに批判されていたので、腹が立って逆張りで右に振れた。それが、簡単に言えば反韓反中のネトウヨのカリスマに祭り上げられてしまったのだろう。

今回の大統領選挙で、アメリカの分断が深刻であることを改めて感じたけれど、日本の分断とは少し意味合いが違うとも思った。トランプは、曲がりなりにも減税を実施したので、彼の支持者は経済・雇用を重視して今回も投票したのだろう。しかし、1%しかいない富裕層と大企業を優遇するだけの安倍・菅政権を支持するのは「ファンタジー派」としか言いようがないからだ。

一方で、「日本の野党は理想論と反対ばかりで現実的な政策がない」という意見もあるが、それも実際を見ていない。たとえば10万円の特別給付金は、もともと野党が提案したものだ。また、れいわ新選組や共産党は、実際は社会福祉目的にはほとんど使われていない消費税の廃止と減税も提唱している。

しかし、多くの国民はそうした事実を知らない。それは、日本の大手メディアが政権の広報と化してしまったからだ。今回、ABCテレビなど全米三大ネットワークが、根拠のない「不法選挙」を延々と主張するトランプの中継を、事実に反するとして中断したが、そうしたジャーナリズムの信念やプライドは、この国のマスメディアには感じられない。

もちろん、今回の大統領選挙は僅差で決まったもので、トランプも相当数の支持を得ている。が、大多数の国民は、最終的にはバイデンを選んだ。1993年以降の大統領は、2期務めたクリントン、ブッシュ、オバマ以外は、4年ごとに民主党と共和党が入れ替わっている。これがアメリカのバランスなのだと思う。

パンがなくては生きられない。しかし、やはり理想がないと、人も国も生き続けられない。アメリカ合衆国の民は、それがよくわかっているのだろう。

さて、日本は、どうだろうか。

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