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インプットとアウトプット、それは原初の理(ことわり)。足るに飽きず、不足を知れ。

どんな動物も、受精後細胞分化が始まって最初に作られる器官は、
口と消化器官だという。
エネルギーを得るために原初の生命は、口を手に入れ、
エネルギー吸収/変換器官としての消化器官を発達させてきた。
吸収し変換されたエネルギーは、その動物の活動エネルギーとなる。

卵が先か、鶏が先かという議論がある。
哲学的な、禅問答のような、よく知られた問いであるが、
こと入出力の話でいれば、入力が先で、出力は後ということになる。
※ちなみにこの場合の出力は、排泄物ではなく活動エネルギー

エネルギーの話だけではなく、
情報でもスキルでも、インプットしているだけでは身につかない。
アウトプットして初めて、インプットが形になる。
アウトプットの質は、インプットの量と質に加えてアウトプット回数に依存しながら、少しずつ上昇していく。
経験とはすなわちこのイン→アウトの回数であり、
イン→アウトの損失率が低いと学習能力が高いと考えていいかもしれない。

その前提に立てば、アウトプットは、インプットの総量を超えることはありえないということになる。
30のアウトプットは、20のインプットからは絶対に出てこない。
100のインプットから、10のアウトプットの場合もあれば、
20のインプットから、18のアウトプットの場合もあるだろうが、
50のインプットから、100のアウトプットは原理的にありえない。

感覚的には、少しのインプットからひらめきを得ることもある。
この場合、おそらくその時の「少ないインプット」+「過去のインプット」の総量で、50+αのインプットからアウトプットしているはずだ。
つまり、結局の所、インプットは蓄積し続ければ、未来において質の高いアウトプットが出せる可能性が高い。

この文章も、おそらくもっと研鑽(インプット→アウトプットの繰り返し)をすれば、よりコンパクトでシンプルなアウトプットに成るに違いないが、それまでは、まだ時間がかかるだろう。

山登りと同じで、インプットすればするほど、インプットが不足していると感じてしまうのは、貪欲なのか、強欲なのか。多分両方なのかな。
しかし、足りてると思うよりも、不足しているとして、人生が続く限りインプットしつづけ、アウトプットし続けることが重要だ。


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