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ピカソを利用するピエロたち

「ピカソは、30秒で描いた自分の絵に1万ドルの値をつけた。その理由は……」

この話は、真偽不明にもかかわらず、多くの人たちによって語られてきた。推測するに、一部の人にとって、とても “使い勝手のよい話” なのだろう。


聞いたことのない人のために。以下のようなストーリーだ。

ある女性がカフェでピカソを見かけた。即席で何か描いてほしいと頼んだ。ピカソは了承した。

描けましたマダム。
ステキ!おいくらお渡しすればいいかしら?
1万ドルです。
……30秒で描いた絵よ。冗談でしょう。
いいえ。私がこれを描けるまでに費やした時間は、40年と30秒です。


人材管理会社の経営者であるマーク・マコーマックという人物は、著書『ハーバード・ビジネス・スクールで教えてくれないこと』の中で、この話(繰り返すが、この話は真偽不明である)を書いた。ピカソ氏が亡くなった後にだ。

そうして、この話は世に広まっていった。

日本でも。ビジネスの成功の秘訣を語る中でこれを使う人、マルクスの論と組みあわせて語る人などを散見する。


誤解を恐れずに言うと。

かつての画家たちは、アーティストというよりも、職人に近かったという。依頼主が存在し、何をどのように描くかヒヤリングして金額交渉が済んでから、描き始めていたという。

(全てがそうであった/現代は全く商売的ではないという意味ではない)

産業革命がおこり、写真機が発明された。市民革命により、画家たちのパトロンであった貴族は没落した。

以後、それなりの値で買われることを前提に描くーーということが減った。


当時イギリスで活躍した画家、ジェームズ・マクニール・ホイッスラー。

ホイッスラー氏は、今回取りあげたピカソ発言に、大きく関わった可能性がある。

『黒と金色のノクターン』

『Nocturne in Black and Gold – The Falling Rocket』
James Abbott McNeill Whistler

ホイッスラー氏は、この作品を売ることに対し、高値を設定した。現代の日本で換算すると、2000万円ほどだろうか。

ジョン・ラスキンという美術界の権威が、そのことを痛烈に批判した。

ラスキン氏は、「絵の具を投げつけたような絵。そもそも高すぎる。詐欺に近い」「何を描いたのかよくわからないような絵は、芸術ではない」などと言ったそうだ。

(まぁ、当時の価値観に基づいての、発言だったのだろうが)

ホイッスラー氏は、名誉棄損でラスキン氏を訴え、2人は法廷で争うことに。

結果、ホイッスラー氏の訴えが認められたのだが……


この裁判中に。ピカソ氏が言ったとされている「30秒で1万ドルではなく40年と30秒で1万ドル」に類似した発言をホイッスラー氏がしていたことが、確認されている。

この作品は、(30秒ではないが)2日間で制作されたとのこと。

「2日間の労働でそんな大金を要求するな」と言われたホイッスラー氏が、「いや、一生ものの知識としてお願いしている」と答えたのだ。

もしも、ピカソ氏が言ったというのが偽りであるなら。その本当の発言者は、ホイッスラー氏であった可能性が高いのではないだろうか。

また、ピカソ氏が言ったというのが事実である場合も。ピカソ氏の発言は、ホイッスラー氏のそれに影響を受け、同様の気持ちを抱いて発したものである可能性も出てくる。

偽りだったとしても。偽ったのはピカソ氏ではなく、彼の死後にそれを語った者たちだ。


オーストラリアの『シドニー・モーニング・ヘラルド』紙が、「ビジネスマンの聴衆にあわせて、パフォーマンスを調整するコメディアン」という記事を掲載したことがある。

このような内容だ。
メルボルンのとあるエンターテイナーは、自身のショーの高額なギャラを正当化する目的で、観客たちにピカソ発言をアレンジして語った。30秒ではなく10分に変えて。

前述したマコーマック氏は、作品の値段を1万ドルから10万ドルに変えて、語り直したことがある。

その時ピカソは木炭で山羊の絵を描いたーーなどの嘘で脚色されたストーリーは、より聴衆を引きつけた。

今回私の言いたいことが、伝わっただろうか。


おまけ

ホイッスラーは、ジャポニズムがヨーロッパに広まっていた中でも特に、日本美術の愛好家だったと言われている。

日本人女性を描いた作品や、日本とロンドンを融合させた作品が、複数残されている。

『La Princesse du Pays de la Porcelaine』
James Abbott McNeill Whistler

彼のイニシャルである「JW」と蝶を同時に表すサインは、日本の落款印(らっかんいん)からイメージされたものだったそうだ。