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競馬は歌と同じ

競馬はスポーツとは言うものの、本質はギャンブルだと私は思っています。eスポーツなどというゲーム大会よりは100倍スポーツではありますが、「競馬は何ですか?」と言われれば、私にとってはギャンブルです。

ギャンブルですから、競馬のせいで生活が苦しくなるとか、借金を背負うとかって人も出てきてしまいます。この負の側面の危険性があるため、興味のない人を無理に競馬に誘うことはしない方がよいでしょう。

一方で、競馬にはよい側面も存在します。今日は、競馬のよい側面について少々お話しします。
 


お金が儲かる?興奮する?感動する?

競馬のよい面と聞いてパッと思い浮かびそうなものが、見出しの3つかなと思います。

①お金が儲かる
93%の人は儲かっていないですが、一時的であれば誰でも儲かる時は儲かります。お金が増えたら大体の人は嬉しいでしょう。

②興奮する
お金が儲かると切れない関係の話になりますが、馬券が的中すると興奮するものです。この興奮にハマってギャンブル中毒になることには要注意なものの、興奮の種類としては日常では味わえない類いの感情です。

③感動する
競馬はスポーツだという認識寄りの人ほど、この感情を味わえます。調教師やオーナーの悲願だったり、血のドラマだったり、ライバルとの激闘だったり。競馬を知るほどこの感情を味わいやすいでしょう。

とまあ挙げてみましたが、私が考える競馬の本当のよさは、これらとは別のところにあります。
 

競馬は歌

「競馬は記憶のスポーツである」と聞いたことはありますか?
競馬は過去のデータ等から未来を予測するギャンブルですから、記憶が大きくかかわってきます。

「記憶のスポーツ」という言葉が言うところの「記憶」とはおそらく、歴史は繰り返す系の、いわゆる「予想」のための記憶を指しています。
確かに、記憶の引き出しが多ければ、あっと驚く大逃げの可能性などもケアができたり、過去の場面に似ているからという理由で勝ち馬を想像できたりと、予想が上手くなることでしょう。

それはそれでよいんですけど、この意味の記憶は結局は、競馬で閉じている記憶です。

競馬の本当に素敵なところって、人生の中という位置づけで見た時の競馬の記憶じゃないかと私は感じます。
つまり、競馬は歌なのです。
 

あなたの思い出の歌は何ですか?

みなさんには好きな歌、思い出の歌がありますか?
その歌をよく聴いていたのはいつですか?

サイレンスキャットの思い出の歌

私が小学生の頃は、五輪真弓の「リバイバル」やWANDSの「孤独へのTARGET」が好きでした。
子どもらしからぬイカツイ趣味ですが、親が運転する車で流れていたテープの中の一曲だったからです。

中学生の頃は、accessの「JEWELRY ANGEL」などが好きでした。初めて自分のお金で買ったCDがaccessのCDでした。

大学生の頃は、XやGLAYを聴いていました。
友達と頻繁にカラオケに行き、Xの「BLUE BLOOD」で
「死にものぐオイ!」
とライブを再現したり、GLAYの「KISSIN' NOISE」のおかしな展開を味わいながらGOOD LU---------CKと歌っていました。

歌には感情や匂いがついてくる

このように、好きな歌について考えると必ず、その歌を聴いていた時のエピソードだとか、季節の色がくっついてくるものです。
思い出がくっついてる歌は、人生の財産だと思います。

あなたの思い出のレースや馬は?

では、競馬です。
あなたの思い出のレースや馬はなんでしょうか?
そう問われて浮かぶレースや馬にも、競馬で閉じていない思い出がくっついてきませんか?

十人十色の、この馬といえば

例えば、エルコンドルパサーという名馬がいますね。
競馬ファンに、エルコンドルパサーについて聞けば、最後方からぶっちぎった新馬戦、まさかの強い勝ち方のJC、日本馬初の凱旋門賞での勝ち負けなど、色々とエルコンドルパサーについて教えてくれるでしょう。

しかし、リアルタイムに応援していた人たちにとってのエルコンドルパサーは、調べれば誰でもわかるような知識ではない、素敵な思い出をそれぞれが持っているものです。

私は、エルコンドルパサーの2戦目の500万下を中山で目撃しました。
当時は過去映像を簡単に見られるような時代ではなかったため、相手がザコだっただけかもしれないと馬券では軽視しました。
スタートも遅くてよしよしとか思っていたら、4コーナーですでに他馬とは役者が違う感じで直線ぶっちぎられ、強い馬はいるもんだなあと寒空に似合う懐具合で感じました。
友人はその後、ダート変更となった共同通信杯でハイパーナカヤマとの馬連を1点で太く的中させ、私は伝説の毎日王冠でガミりました。

サイレンスキャットにとっての、競馬の匂い

少し違う話をしますが、私にとっての競馬には匂いがあります。煙草の匂いです。それはパチ屋や雀荘の臭いとは違って、ゲームセンターの匂いに近いです。

馬券を買い始めの、競馬が楽しくてたまらなかった頃の中山競馬場は、煙草臭くてゴミゴミした雰囲気を持っていました。その頃より今の中山の方が断然過ごしやすくなりましたが、当時の匂いが私の競馬の匂いです。
 

歌も馬も思い出を運ぶ

このように、競馬を長くやっていると、馬の名前やレースに思い出がくっついてきます。そこが競馬の最も素敵なところです。
 

お金という「欲」を載せて競走馬は走ります。
その面しか見ない・見えない人にとって、金銭的に勝たない限り競馬は「知らない方がよかったもの」です。

載せた「欲」が成就しても、打ち砕かれても、その競走馬は「思い出」を載せて運んでいます。嬉しい時に聞いた歌、悲しい時に聞いた歌があるように、競馬は味わい深い人生の1ページを記してくれます。
競馬のギャンブル性に傾倒しすぎた時は、立ち返ってSong of Windを感じることができるといいですね!

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