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依存症と責任

私は、FXで大損した話やギャンブル依存症の話をしばしば意識的に見に行っています。そこには、人の不幸は蜜の味という感情も1桁%は持っているのですが、なぜそんなことになったのかや、そんなことになった時にどのように感じるかにとても興味があるからです。

なぜ興味があるかと考えると、
「自分が『そっち側』に行くことはあり得ない」
とは思えないくらいに親近感を覚えるからでしょう。「そっち側」には絶対に行きたくないですが、行く可能性はあります。ならば、そうなる仕組みを理解することで反面教師にしたいというわけです。

ただし、競馬で負けがこんでマーチンゲールをしたくなる心理などは、理解していても私にとっては抗うのがなかなかに難しいものです。だから、破滅の仕組みを理解したところで自分が類似の場面でストップをかけて回避できるかは未知数です。
それでも、知っていると知らないのとでは雲泥の差なので、できる限り知っておきたいと考えています。

最近も、ギャンブル依存症で借金がある人のブログなんかをお風呂でしばしば読んでいます。そういったブログを集中的に読むと引き寄せられてしまうので、ほどほどが一番だとは思いますが。

ギャンブル依存症は「病気」か

ギャンブル依存症から抜け出せない人は、お決まりのパターンを繰り返しています。ギャンブルを少しだけ辞めたけど、お金が手に入ると入金して使ってしまうとか、ギャンブルをやりたくなって借金をしてしまうとか。

自制できないのはアル中と同じなので、「病気」ではあります。
ただ私は、病気とカテゴライズすることには何の異存もありませんけど、本質的には本人の気持ち次第だと感じます。

ギャンブル依存症者は、責任感がない

ギャンブル依存症者にはありがちなのは、やらないと誓ってスリップして、やらないと誓ってスリップして・・・というループです。そして何とかお金を借りたりして「この恩は忘れない。必ず返す」と誓ったり、自己嫌悪に陥った後に皆のコメント等に涙し、立ち直りながら「絶対に生きてやる」と誓ったり。

読んでいると、その言葉のあまりの薄っぺらさに驚きます。本人にしてみれば本当に誓っているつもりなのでしょうが、文章を読んでいるだけの私でさえ、一時の感情の高まりで発しているだけの言葉だとわかってしまいます。いずれ反故にして言い訳を述べそうだなとわかってしまいます。

そんな言葉を吐いてしまう理由は、
「自分の人生の責任を自分で取ろうという姿勢がない」
ことに尽きると思います。なぜそうなったのかは人それぞれでしょうが、共通するのは自分の人生を軽んじているということです。

「病気」という免罪符

ギャンブル依存症者が立ち直るには、まずは自分の状況を正しく認知することがスタートです。ですが、責任感の欠片もない人間が、自分のUnkoのような立ち位置を正しく受け入れられるわけはありません。目を背けるに決まっています。

「病気」というカテゴライズをすることは、
「あなたは悪くないですよ」
と優しく呼びかけることです。それによって、目を背けたくなる気持ちが和らぎ、自分を省みることができる可能性が上がります。

ギャンブル依存症者の大多数や鬱病患者の半数ほどに対して、究極的には「お前のせいだよ」と私は思っています。病気だから悪くないのではなく、病気になるような選択をし続けた点が悪いです。ただ、それを本人に言ったところで何の解決にもつながりませんよね。それよりも、
「あなたは頑張りすぎたのよ」「あなたのせいじゃないわよ」
と優しい言葉をかけることで安心させた方が更生につながります。だから、様々なことを「病気」とするのはある程度効果的です。

ただし、病気だから仕方ないとか言って好き勝手するUnko野郎も輩出してしまうので、功罪あると思います。

依存症にならないためには

依存症者は責任感がないということは、逆に言えば、責任感のある人は依存症にはなりにくいということになりますね。実際そうでしょう。

「いや、仕事一筋の真面目な人間がギャンブルに狂う例もある」
と思われるかもしれませんが、そういう人はたぶん、責任感があるから真面目だったわけではありません。例えば、「自分の無価値観から目を背けた結果、真面目になった」という類いじゃないでしょうか。これも、乗り越えるべき課題から逃げていたという意味で、自分の人生に責任を持つ姿勢がなかったことになります。

あとは、自分の軸が確かな人も依存症にはなりにくいでしょう。自分がどう考えているか、何を望んでいるかが明確な人は、「ギャンブルで生きるぞ」みたいな選択をしない限りは、楽しみも上手に見つけられる人です。
ギャンブルが楽しくても、他にも楽しいものがたくさんあるならギャンブルだけに傾倒する必要はありません。

責任感を持つ、自分の軸を持つ。
どちらも、自分の人生を自分らしく生きていると換言できます。
心から楽しく生きることで、健全な生活を送っていきたいものですね。

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