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博徒(博打打ち)は、試験の休み時間に参考書を読まない

博徒とは、賭博で生計を立てる者を指す言葉です。一方ギャンブラーは、賭け事にのめり込んでる人、大金を賭ける人という世の中のイメージがあります。賭け事での勝ち負けは関係ありません。
ここでは「ギャンブラー」を、世の中のイメージ通りの意味で定義します。よって、博徒とギャンブラーは違います。

博徒もギャンブラーも、神頼みをします。
博徒もギャンブラーも、おそらく試験の休み時間に参考書を読みません。
しかしその意味は大きく異なります。今日はそれを解説します。


サイレンスキャットは博徒寄り

自分で言うのは烏滸がましいにもほどがありますが、客観的に見ると私はギャンブラーではなく博徒寄りです。

予想屋を名乗っておきながら最近は「勝負レースがない」などと言ってレジまぐでしか予想を売っていません。世のゴミクズ予想屋よりはだいぶ誠実に活動ができているものの、予想屋として生計を立てようとする者の態度ではありません。

予想屋としてさほどギラギラしていない理由は、前回の記事に書いたように、本物の予想屋なら自分の馬券で儲けていればよいからです。
などと大層なことを書いておきながら、「じゃあ実際に儲けているのか?」と、載せた馬券写真だけ試しに集計してみると、大勝ちにはほど遠く、わりと微妙ではあります。ただマイナスにはなっておらず、新聞代と食費くらいは出せているという意味で、博徒の定義に当て嵌めようとすればギリ可能です。自己申告なので信頼度は乏しいですが、そこを疑うと論が破綻してしまうので、とりあえず信じて読み進めることにしましょう。笑
 

博徒とギャンブラーの決定的な違い

再度簡単にまとめると、博徒は賭け事に勝てる人、ギャンブラーは賭け事にハマっている人のことです。

両者の決定的な違いは、
「すべきことを大体しているか、ナメているか」
です。博徒は、対象となる博打の性質をよく理解していますが、ギャンブラーは言うなれば「運頼み」で努力を怠っています。
 

博徒はたぶんよく遊ぶ

博徒の中には、日々研究に励んでいるタイプもいるでしょう。しかしおそらく、多くの博徒はよく遊んでいます。なぜなら、遊びが最終的に勝ちを引き寄せるからです。さて、一体どういう意味でしょうか?
 

博打は瞬間の勝負

博打は、試験などとは違い「みずもの」です。試験のように、準備の段階で9割方決まるようなものではありません。私は競馬しか真面目にやっていませんが、準備できることは多く見積もっても5割程度です。
準備よりも、当日の判断力が圧倒的に重要です。

例として競馬で考えます。

予想したすべてのレースを均等買いするタイプの博徒もいるでしょうが、それはどちらかというと統計的な判断に大きく寄っています。「インテリ博徒」とでも呼びましょうか。
馬券裁判の卍氏はこちら側ですね。オッズ切りなど、ルールを決めた振るいを利用している人もこちら寄りだと思います。このタイプの話はとりあえず置いておきます。

私はそうではなくてアナログ寄りなので、例えば4つ買いたいレースがあった時は、当日の気配やオッズを加味して1つに絞って勝負をすることが多いです。結果的に4つの中で3つ当たりでも外れを掴むかもしれませんし、1つしか当たらなくてもそこで勝負するかもしれません。全当たりでも日和って見送るかもしれませんし、全外しでもセンスで全回避できるかもしれません。すべては当日の判断力にかかっています。
期待値の高い勝負だけを選んではおりますが、最終的な部分はシステマティックではなく、感覚での勝負となります。

「博徒」自体が普段あまり使わない言葉ですけど、一般的な「博徒」がもしあるとしたら、私のようなアナログタイプを指す言葉のような気がします。
 

「遊び」が準備

博徒は、当日の感覚が研ぎ澄まされている必要があります。寝不足だったり心配事が多かったりしたら、間違った選択をする可能性が高まります。

だから博徒は普段遊ぶのです。
もちろん、できる準備は必ずこなします。その上で、空いた時間はしっかりと好きなことをします。遊んでフレッシュな状態をつくるのです。

みなさんは、試験のためにゲームやカラオケなどの趣味を我慢したり、健康診断のために断酒や食事制限をしたりしたことはありますか?
試験明けに趣味に興じる時間や、断酒後にお酒を飲む時間、食事制限後に好きなものを食べる時間は、久々の分楽しさや嬉しさが増すものです。

博徒も同じで、対象となる博打に閉じた生活をするよりも、普段は別の事をしっかり楽しんで、
「さあ、週末だ。博打だ」
と臨んだ方が、楽しく勝負ができる分だけ勝ちを引き寄せるのです。
 

章ちゃん

雀鬼流でおなじみの桜井章一さんは、勝負事の前は自然と一体化します。気づいたらポケットに石ころが入っていたりします。私の理屈が雀鬼流を模倣しているのかもしれませんが、同じ理論です。

「遊びが準備」
の話を、私同様に最近仕事を辞めて起業した親友に話したところ、
「リアル雀鬼流じゃん」
と言われました。親友は、私が平日暇な感じでよく遊んでいることを不思議に思っていたそうですが、この話で納得してもらえました。
 

ギャンブラーもよく遊ぶ

一方、ギャンブラーもよく遊びます。しかし、博徒とは理由が大きく違います。ギャンブラーが遊ぶのは、ギャンブルを運否天賦だと思っているからです。
できる準備をしているか、サボっているかが、博徒との違いです。
 

試験の休み時間に参考書を読まない理由

これでおわかりですね。
博徒は、準備できることは予め全て行い、勝負事の時はコンディションが整った状態であることを目指します。だから、試験の休み時間は好きなことをして、フレッシュな状態で試験を楽しむのです。
一方、ギャンブラーもきっと試験の休み時間に参考書を読みませんが、理由はただかったるいからです。このマインドではフレッシュな状態になりませんし、仮になったとしてもギャンブラーは準備をしていないので、結局どうにもなりません。
 

自分を過信するな、という実例

最後に、注意を述べます。

博徒を目指す人が仮にいらっしゃるなら、まずは対象の博打を徹底的に知る必要があります。それをせずに、
「博徒は遊ぶんだな。よし、遊ぼう」
と考えてはなりません。そのマインドはギャンブラーのそれです。

1つ黒歴史を話しますと、私は若かりし頃に浪人しています。
浪人時代の早稲田大学の受験時にたまたま、その月に発売された雑誌「サラブレ」を読んでいなかったので、
「試験の休み時間に参考書を読まない」
を実践しました。参考書よりも河内のおっさんを重視しました。

それによってフレッシュな状態にはなったのかもしれませんが、準備不足の人間だったため、当然のように不合格をGetすることに成功しました。

自分のレベルに合った行動を取ることが大切ですね!

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