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無為自然(2016年)

全ての生物は利己的な遺伝子が組み込まれている。その影響もあって生存競争から逃れる事が出来ない。愛も平和も環境も利己的動機に基づく利他的。人類は中途半端な知恵と、旺盛な欲によって繁栄した。しかし、その知恵と欲が災いを繰り返してきている。

人類は紀元前に既に限界を迎えていて、文明の進歩に反比例して劣化する人間の質、比例して増大する災い。紀元前から色々と警告されていたのに、進歩したのは物質面のみ。そして、その物に振り回されている。物が増えれば、その分、維持したり学ぶ時間が必要になり、時間やエネルギーの配分が分散される。分散された結果、心や愛の面が疎かになったり、結婚や出産の年齢が高齢化していく。人類は果たして、文明の進歩で幸せになったのだろうか?不幸になったのだろうか?禍福の波が大きくなっただけだろうか?

この世は、万物が表裏一体していて循環している。自然の摂理の大いなる河の流れを、ちっぽけな存在である人間が変える事は出来ない。人間の善かれとした作為が、地球に混乱を来たしている。ともすると、人間が何かを為す事に、果たして意義はあるのだろうか?

有史以来、人類は争いを止めれず、組み込まれた利己的な遺伝子に翻弄され他の生物や地球に犠牲を強いて今日まで存続してきた。その事を省みず我が世の春を謳歌し地球の君臨者の如く闊歩している。人類の存在なんて白駒の隙を過ぐるが如し(荘子)風の前の塵に同じ(平家物語)それなのに…?それなのに何かを為して成す意義は?

人類は生存競争の影響からより良い知恵・分別・品行・善行・容姿・健康・金品などを追求した結果、人類が人類自身に淘汰圧を掛け続けてきたのかも知れない。でも、人間が勝手に作った価値観の知恵・分別・品行・善行・容姿・健康・金品などは万物斉同(荘子)なんだよね。


旧ブログにて2016年01月23日に記載

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