1億総京都人に見える病

私が上司のこと嫌いなポイントシリーズ、第2弾。
「私が1番できる」と言うこと、です。

上司と私が異動してきたのは半年違いで、私のこの部署での半年の経験と、上司のウン十年の営業経験、それぞれを生かすと別のところに強みが出てくるのは当たり前のことで、実際に私の能力が高いとか、そういうことではありません。(そういうところも少なからずあったと思いたいですが。)

ただ入社4年目の私に、「パソコン担当」の重荷を背負わせるのは、やっぱり違ったと思う。
今の職場では、パソコン担当=日本語担当、くらい普及していて、どの業務にも欠かせません。(本社はどこもそうだと思いますが)
パワフル家族顧みないおじさん世代の上司の行動すべてを翻訳する仕事の量。
定時に仕事を終わらせても、そこから3時間は新しい指示が来るし、金曜21時までかかって終わらせても、おじさんが土日(勤務時間外)にやった仕事が「至急案件」として月曜の朝には山のように降ってくる。
一つ一つ、仕事を片付けるたびに、様々な職位階級の方から浴びるほどの誉め言葉をいただきました。
遠い支社にも名前が知られ、様々な方の翻訳作業が飛んできました。
もちろん、通常のルーティン業務は減らないままで。

強みを生かし、働くことでやりがいを得られる人もいるかもしれません。
この状況を生かして、昇進するのが、おそらく、サラリーマンってもんなんでしょう。

私はというと、
褒められるたびに、だんだんと「大袈裟」「この程度で褒めらるなんて、おかしい」と思い始めて、
最終的に信頼していたお偉いさんと、嫌いな上司が組んでいるように感じてきました。
組んでお芝居をして、私が喜んで、それを見てかげで笑ってるんじゃないか。
「早かったね!」は、本当は待ちくたびれたって意味だったんじゃないか。

上司から得ていた「一番できる」という口先の評価は、
積もった業務の重圧で、「できないくせに調子乗ってるやつ」に変わってしまいました。

私の中だけでの話ですが、
病気になるには十分だったみたいです。

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