そんしの気づきの瞑想入門①
衆生の皆さんお久しぶりです。
noteの活動再開の第一弾として、リクエストの多かったそんしの気づきの瞑想実践についての記事を書きたいと思います。
長くなるので、いくつかのパートに分けて連載していくことになると思います。
はじめに
これから私が実践している瞑想方法について簡単に紹介したいと思います。
私が実践している瞑想方法は、タイやミャンマーやスリランカなどの上座部仏教(テーラワーダ仏教)と呼ばれる古代インドの言語であるパーリ語で説かれたパーリ仏典を採用している宗派で広く行われている気づきの瞑想とも呼ばれるヴィパッサナー瞑想と慈悲の瞑想と呼ばれているものです。
ヴィパッサナー瞑想にも様々なメソッドがあるのですが、私が実践したのはマハーシ式という言葉を使ってラベリングをするという方法なのでそれをベースに説明したいと思います。
私は上座部仏教徒ではありませんので、自身の行学や瞑想実践での経験や知見や実践上での工夫なども交えながら解説していきたいと思っています。
上座部仏教の伝統的な見解や他のマハーシ式の瞑想指導者の指導内容とは、かなり異なった解説や実践方法などにも言及する事があることをあらかじめご了承してくださると幸いです。
ヴィパッサナーとは
これから紹介するヴィパッサナー瞑想や気づきの瞑想というのは、パーリ語ではヴィパッサナー・バーヴァナー(vi-passanā-bhāvanā)といって明確に観る実践というような意味です。
今日様々な形で説かれているヴィパッサナー瞑想法は、2500年前に仏陀によって説かれたとされている大念処経( マハーサティパッターナ・スッタ:Mahāsatipaṭṭhāna-sutta)などを基にして、一切の現象の実相である無常・苦・無我を洞察する智慧を開発することで実践者を一切の執着から離れた境地である解脱へ導くという目的で考案された実践方法です。
宗教の世界で一般的に行われているような、一つの対象に集中して精神統一状態を目指す瞑想は上座部仏教ではサマタ瞑想と分類しています。
それらの宗教的な集中瞑想とは違った観察法がヴィパッサナーなのです。
四念処
ヴィパッサナーの対象は、身(身体、身体の部品)・受(感覚)・心(心理状態)・法(解脱に必要な四聖諦など)の四念処と呼ばれる四種類の現象です。
四念処について簡単に説明すると以下のようになります。
身随観は、身体で行っている呼吸や歩行などの動きを観察することや、身体の部品を分割して観察することで肉体に対する愛着や変化しない自己(自我、アートマン)が存在するという執着を手放すための実践方法です。
受随観は、感覚を苦と楽の二種類又はどちらでもない中性的な感覚を加えた三種類に分けて観察することで感覚も無常で変化していると気づくための実践方法です。
心随観は、心に現れる欲や怒りなどを観察することで心理状態も無常で変化していると気づくための実践です。
法随観は、これらの観察によってヴィパッサナー実践で智慧を育てて解脱に達するために必要な教えである四聖諦や八正道についての理解を深めることや、五蓋(ごがい:パンチャ・ニーヴァラナーニ: pañca nīvaraṇāni)と呼ばれる①欲、②怒り、③倦怠・眠気、④心の浮わつき・後悔、⑤教えや実践に対する疑いなどの瞑想の妨げになっている心理的現象などに気づくための実践方法です。
慈悲の瞑想
慈悲の瞑想(メッター・バーヴァナー:mettā bhāvanā)は分類上ではサマタ瞑想に分類されています。
しかし、慈悲の瞑想の基になった慈経(メッタスッタ:Metta Sutta)では、慈悲の実践は最終的には解脱に達する修行方法として仏陀によって説かれています。
どちらにしても、上座部仏教では慈悲の瞑想や実践はヴィパッサナーと並ぶ非常に重要な実践であるとされています。
瞑想の分類について
ヴィパッサナー瞑想でもっともポピュラーな実践方法の一つである呼吸瞑想の一種であるアーナパーナ・サティ(ānāpāna-sati)も上座部仏教の伝統的な学派ではサマタ瞑想に分類されています。
これらの分類については、経典の記述や実践的な視点からみると大いに疑問があるというのが個人的な意見です。
アーナパーナ・サティや慈悲の瞑想はヴィパッサナー瞑想ではなくサマタ瞑想であるという上座部仏教で主流の学説や、それから派生したそれらの瞑想では智慧は生じないとか解脱の道にはならないというような仏陀によって説かれた経典に矛盾する見解には個人的には同意しかねます。
実践の観点からしたら、ヴィパッサナー瞑想とサマタ瞑想を単純に分類することは難しいというのが個人的な意見です。
これらの問題については、学者の先生方が議論すればいいのではないかと思うので実践を重視する方は気にしなくてもいいと思います。
ラベリングについて
私の紹介するヴィパッサナー瞑想では、マハーシ式という言葉を用いて観察する手法を基にして解説していきますのでラベリングについても少し説明しておきたいと思います。
例えば、呼吸を観察しながら「膨らみ」「縮み」などと心の中で言葉を使ってラベリングするのです。
マハーシ式では気づきを補助する為にラベリングという手法を用いていますが、厳密に言えばラベリングは言葉や思考の機能なので気づきや念(サティ:sati)そのものではありません。
ラベリングという手法を使わないで、ただ心身の感覚の変化を観察するという方法もあります。
しかし、ただ感覚の変化を長時間感じ続けることは集中力の関係で難しいので、感じたものをその都度ラベリングするという強引な手法を使って呼吸などの一つの変化している対象の流れから気づきが逸れないようにするのが狙いです。
これによってヴィパッサナーに必要な集中力と気づきが同時に養われることによって、対象の変化を微細に観察できる能力が結果的に育つという仕組みです。
このような目的でラベリングという手法を用いていると理解してください。
ラベリングを目的にしてはいけません。
重要なポイント
・ここで扱っている気づきの瞑想方法は、一般的な宗教の世界での対象と一体化することを目的に行うサマタ瞑想とは目的も内容もかなり異なったものです。
・基本的には上座部仏教の教学や瞑想方法をベースにして解説していますが、私は上座部仏教徒ではありませんから伝統的な学説や主流な解説に忖度する気はありません。
・ラベリングは気づきの実践をサポートするためのガイドのようなものですから、仕組みを理解してラベリングに執着したりラベリングを目的にしないように気を付けましょう。
終わり
今回は、瞑想実践に入る前に必要な瞑想についての予備知識と私の解説のスタンスを説明するという内容で区切らせてもらいたいと思います。
次回から、瞑想実践を始める際の準備や心構えなどの説明などに入りたいと予定しています。
ここまで読んで下さった方々に智慧の光が現れますようにと御祈念申し上げます。