吃音を乗り越えて

 大島は休憩時間に勤め先があるビルの屋上に上がった。年号は令和と決まり、花も散ったというのに、吹き抜ける風は妙に冷たい。
 西風に誘われるように、ふと過ぎ去った思い出が脳裏をかすめる。会社の若い女性と結婚できたらと夢想したこともあったけれども、振り向いてはくれなかった。そこには『吃音』という二字が付きまとう。

 大島は、もうすぐ定年を迎えようとしている。彼は香川県高松市で老舗呉服商の家に生まれた。もう六十年ほど前になる。間口は二十㍍ほどの木造三階建て、仕事場が一、二階で住居が三階だった。一階の目立つ所に、当時としては珍しいガラスがはめ込まれ、最上級の着物が飾られていた。
 家の前の道路は舗装されていなかったが、固められており風が吹いても砂ぼこりが舞いあがることはなかった。
 海抜が二㍍ほどで、台風と満潮が重なると水が歩道の上を五十センチほど上がることがあった。そのため近所の家もふくめ水害対策としてかさ上げしていた。夏は今ほど暑くはなく、冬は寒く雪が積もることがあった。家の前の道路まで積もるのは大島が小さい時に一度あっただけだった。そのときは珍しくて、弟や友達と薄着で雪の上を飛び回っていた。
 祖母が中心になって呉服商を切り盛りし、どんどん商いを大きくしていった。二階は四十畳ほどの畳の間が広がり、反物が産地ごとなどに分けられて積まれていた。大島が中学生のときに、祖母が八階建てのビルを建てた。大島が四十五歳の時に呉服商は破産した。今はアニマルカレッジになっている。
 大島家の邸宅は祖母と父親の家族が四人、叔父の家族が六人と十一人で同居していた。祖父と祖母にとって初めての内孫で、祖母からは大事にされたが、両親からは粗末に扱われた。
 
 大島の父親は一九二八年、四人きょうだいの長男として生まれた。県で一番の進学高校に入ったが、団体行動や人付き合いがうまくいかず孤独だった。卒業後、父は祖母の勧めもあり自宅で働き始めた。友人の話によると、
「二十歳頃から他人からの視線を避けるようになった」
 父が働き始めてから何年かたち仕事に慣れてきた頃、集金した売掛金を落とすなどミスが続いた。心を塞ぐ日が多くなり、岡山市にある神道系新興黒住(くろずみ)教に傾倒するようになった。黒住教は高松市にも平屋建ての民家風の教会がある。
 岡山県の山中にある滝に打たれる修行もした。指導者に怒鳴られたり、手のひらを返すように褒められたりした。

 大島の母親は一九三三年、山間部の池のほとりで林業を営む資産家の家に生まれた。七人きょうだいの次女である。家は母の父が町長を務めたほどの名家で、母も父と同じ進学校を優秀な成績で卒業している。
 父が二十九歳、母が二十四歳のとき見合い結婚をした。設備のよい高松国際ホテルの大きな一室で、披露宴前に両家の大勢の親戚が並んで向かい合って椅子に座っている写真が残っている。
 貝原益軒の『女大学』で『三年子なきは去る』というのがある。結婚届を出すと戸籍に傷がつくからかもしれない。父母も妊娠が分かってから婚姻届を出した。結婚式を挙げてから伊勢志摩に新婚旅行で行った。この時のハネムーンベイビーが大島である。一九五九年二月二十七日の夜生まれた。
 翌年の十月に弟が生まれた。弟が物心つくころには、父の病状はかなり悪くなっていたようだ。
 大島は内孫では一番年上だった。母親は子供を厳しくしつけた。弟は兄の有様を見て、周囲の人々の顔色をうかがいながらこうかつに動いた。しかし、長男には手本にする兄や姉がおらず、上手に立ち回れなかった。祖母や学友も、面倒なことに立ち入ろうとはしなかった。
 物心がつく頃になると、同年齢の男の子と比べ、話すのが遅かった。
 最初の同じ音を繰り返す、連発(れんぱつ)性吃音や、最初の音を引き延ばす、伸発(しんぱつ)性吃音が出ることがあった。幼稚園から帰って母に、
「よ、幼稚園で、おお・」
 母親は心配そうな顔をして、先回りして言った。
「弟がどうしたの」 
「落ち次いて話して。もっとゆっくり話してごらん」
 抱きしめるなどのスキンシップはなかった。
 幼稚園の頃は、少し吃(ども)っても叱られることはなく、母が少し気にするぐらいだった。
 少年探偵団の出だしは、
 ♪ぼ・ぼ・僕らは少年探偵団
 それを子供たちと一緒に歌っていたが、小学校に入って大島だけ、
「ぼ・ぼ・ぼ・ぼ――」と止まらなくなった。
 学友たちが真似をしてからかった。最初は口まね程度の他愛ないものだった。
 ある教師は場数を踏めば良くなるはずだと考え、少しは授業中に発言するように大島に促した。教師は良かれと思ってやったのだが、実際は逆効果で、ますます学校に行くのが辛くなった。
 三年生になると、大島と気の合わない男子が一人いて、いじめた。彼は体格が良く敏しょうだった。
「お前、教科書ぐらいちゃんと読め」となじり、吃音とは関係なくいじめ自体が目的になった。

 伸発性吃音及び連発性吃音で話す方が楽な人もいる。幼稚園の頃は5㌫ほどの子供に吃音があるらしい。子供のそんな話し方というのは一般的に自然に治るものだとされている。だから吃音の要素が無い人には何を言われても、吃音が酷くならない場合がある。
 遺伝が吃音に関与している場合はあるが、素地があっても叱られなければ軽い吃音でおさまる。叱られ続けると、なかなか言葉が出てこない難発性吃音になる。

 大島の場合は吃音の素地があったのだろう。強く叱られなければ、少し吃(ども)るだけで済んだのかもしれないが、注意されすぎて難発性吃音になった。ただただ、周りから怒鳴られるばかりだったので嫌気がさし、成績は上がらなかった。

 高校生になり、県で二番目の進学校に進学したのは一九七四年のことである。高校生になると身長の伸びは百七十センチほどで止まり、やせていた。
 母は「勉強しろ」とはあまり言わなくなり、大島はのんびりできた。一年生は一クラス四十五人ほどで十五組あり、全体で六百七十人ほどいた。騒がしかったが活気がある。
 高校一年の学級委員は入試の成績順に割り振られていた。大島の成績は中の上というところで、保健委員に指名される。
 入学して少したって、学校行事として、山の家ビジターセンターに貸し切りバスで行き一泊した。地図とコンパスを持ってチェックポイントを回るというオリエンテーリングがあり、クラスの男子を五人ごとのグループに分けた。
 道は整備されていたが、大島のグループは迷って藪の中に入った。動き回っても疲れず、先を急いだ。仲間と協力して、上位のチェックタイムで回ることができた。クラスメートは笑顔で言った。
「途中で道に迷ったのに、早う帰って来れた。僕ら、よう頑張ったなあ」
 夜は広場の中心で、キャンプファイアをした。三重の輪になって火をかこんだ。一番外側で長袖でも少し肌寒かったのを大島は覚えている。フォークダンス『マイムマイム』を踊るなど活気があった。
 この頃は、父はすでに精神科病院に入院していた。大島は吃音が良くならなかったが、元気だった。
 当時は、一年生は学校で入部するか、地域のスポーツ少年団などに加入するよう、半ば強制だった。大島は機械をいじるのが好きだが、なんとなく生物部に入り、昆虫を採集し生息分布状況などを記録する担当になり、楽しい日々を過ごしていた。
 高校三年で理系と文系に分けられる。十五クラスあるうち二クラスが理系のクラスだった。その当時は学校が荒れているピークだった。男子生徒に便所の個室でタバコを吸っているのがいたが、窓ガラスを割るようなことはしなかった。しかし、
「私服でパチンコ屋に行ったんで」と自慢する生徒がいた。
 大島も、大学を出たら周りの人々が自分をよく見るだろうと思った。それで通称「赤本」とよばれる志望大学の過去の入学試験問題集を解いたりして、一生懸命勉強した。空いた時間は問題集に向かう日々が続いた。
 一期校の岡山大学は不合格だったが、二期校の愛媛大学物理学科に合格した。両親は授業料とアパート代だけ出してくれ、生活費は自分で稼がなければならなかった。

 松山市は市内を中心に路面電車が走っており、高松市より交通事情はいい。ただ地方都市では車を持つ方が便利だし、ステータスシンボルというのもあり、周りにも車を持つ男子学生が多かった。大島も、大学に入りしばらくして自動車教習所に通い始め、免許を取ると、一回生の多くがするようにローンを組んで中古車を購入した。
 教授はよく面倒を見て下さり、コンピュータプログラムの間違いを見つけるという、時給がかなりいいアルバイトを紹介してもらった。おかげでローンを難なく払うことができた。
 吃音が原因で付き合いが苦手なため、大学では部活動はせず、友達も少なかった。大型コンピュータセンター室に入り浸る。一人でドライブし、図書館で読書にふけり、あまり人と関わらない生活を続けていた。
 大島が四回生のとき、二階建てアパートの二階に住んでいた。初めて付き合う女性が、部屋の隣に引っ越してきた。彼女は松山市から列車で一時間ほどかかる町から来た、教育学部の一回生だ。おかっぱ頭でジーンズが似合う活動的な人だ。彼女は自転車しか持っていなかったので、彼は自然にアッシー君になった。
 彼女も大島に好意を抱いているように思えた。喫茶店でおしゃべりをし、ドライブに行く関係になる。彼は服のセンスが良くなく、吃音があり内気なので、彼女の話に相槌を打つだけの聞き役に回ることが多い。彼女の方が引っ張っていった。
 しかし、感じのいい女性というのは他の男性も放っておかないものだ。大島と付き合う前に高校時代に仲良くしていた男性がいたようだ。うかつだった。その彼がいきなり来て、
「僕と彼女は幼馴染で、以前付き合っていたんだ。よりが戻ったけん、もう会わないようにしてくれへん」
 大島は急なことで言葉が詰まって言い返せず悔しかった。吃音が出なかったら、顔に怒りを出すだけでなく、もっと大声で怒ったのにと思うが仕方なかった。

 卒業した一九八二年は景気が良く、就職は売り手市場だった。大島は吃音があっても、あまりハンディがない会社に就職したかったので、東京の大手ソフトウエア会社の「日山ソフトウエア」に就職した。日山ソフトウエアでは、日山製作所で作ったコンピュータシステムを用い、企業の業務処理システムを作る。そしてサポートも行う。
 面接試験の時に、面接官から言われた。
「吃音があるので、あまり話さなくてもいい部署で働けばいいです。東京都の中央線沿いの国分寺市にある中央研究所でシステムの開発業務に当たって下さい」
 大島が入社すると、東京都国分寺市の外れにある賄い付きの独身寮に入る。平屋で、庭もあり二人部屋だった。そこから自転車で国分寺駅に行き、中央線の電車で通勤した。思い切って、新車のスカイラインを買い、月極めの駐車場を借りた。当時は、有名な車を新車で買うと人からうらやまれる事があり、若い男性には持つ人が多かった。それに四十年ほど前は、駅から離れた舗装していない駐車場の月極料金は、六畳一間の部屋代の一割ほどだった。
 最初の一カ月は研修で、新入社員ばかりで社長などの幹部の講話を聞いたりした。一度、大卒の男性新入社員ばかりで泊りがけで、関連したコンピューターを作る工場を見学した。晩はアルコールが入り、広間でカラオケだった。売り手市場だったので、せっかく入った新人が辞めたら困るという配慮だった。景気が良く会社の財政状況が良かったというのもある。
 その後、最初は客との交渉などもした方がいい、という判断で、大島の配属先は希望している開発業務でなく販売したシステムのサポート部門に決められた。中小企業に納入された給与計算、販売管理といったシステムのサポートを行い、勤務先は都心の新宿にある当時としては大きいと言われたビルのワンフロアだった。
 ゴールディンウイークが明けた日にサポート部門に配属された。間仕切りはあったが、雑然としていた。属するチームは二十人ほどで、リーダーは北原という手品がうまい社交的な人だ。大島より八歳年上で早稲田大学を卒業していた。白い襟の、しゃれた長袖のワイシャツを着ていた。
 新人の自己紹介が朝礼である。グループリーダーに人事課から大島の吃音について連絡があったので、あまり自己紹介の時間は長くない方がいいと考え何気ない風に、
「それでは、各々の自己紹介を名前と一言だけ話して下さい」
 大島の番になると、
「ぼ、ぼ、ぼくは、、お、おしまと、もーします」とだけ言った。
 北原を除く男性は笑いをこらえていた。
 その中に女性が一人おり、大島より年は少し下だ。細面で、アーモンド型の目に小さな鼻、つやつやとしたサクランボのような唇でセミロングの黒髪がよく似合う。身長は百六十センチほどでほっそりしていた。涼しげな白のブラウスに、紺色で膝丈のスカートをはいていた。自然体な感じがして、大島も好感を持った。
 自宅は田園調布にあり、両親と弟と四人家族で住んでおり、家の者から束縛されるのを嫌がっていた。しかし、食事を母親が作ってくれるなどOLを続けるには都合がいい、と言っていた。
 当時は今と違い、女性は四年制の大学卒より短大卒が多く採用される風潮があった。彼女は篠田まり子といい青山短期大学を卒業し、親会社の日山製作所の営業部門を希望して入社した。略して「しのまり」と呼ばれることがあった。
 入社していきなり営業で外回りをするのは大変なので、最初は子会社で事務の仕事をした方がいい、と人事部が判断したようだ。
 最後に彼女の自己紹介の番になり、
「篠田まり子です。四月から働いていて、みなさんによくしてもらっています。よろしくお願いします」
 営業志望らしく、よく通る声でしゃべる。新人は西日が当たる一番過ごしにくい席になる。それで大島と篠田は机を並べることになった。
 チームを組んで活動するため、会話しなければならないことがかなりある。大島はコミュニケーションを取るのに苦労し、なかなか仕事になじめなかった。もちろん、その原因の一つは吃音だ。電話を取るのは新人の役目だが、
「はい、日山ソフトウエアです」というのが滑らかに言えず、詰まってしまい、顧客からリーダーや先輩に問い合わせがあることがあった。
 週休二日制だったが、夜の十時ぐらいまでの残業が多く、休日出勤もたびたびあった。大学でのんびりと過ごしてきた大島にはきつく、仕事が無い休みの日は朝遅くまで寝ていて、恋人を作る暇もなかった。仕事はサポート先から、
「給与計算をしていると動かなくなった。わが社は現金で給料を渡しているから、明日には社員に渡さなければならないから、直ぐ来てくれ」と言われ、行く。すると入力するデータ量が多い場合の対処法をマニュアル通りにしていないなど、単純なミスだったことがあった。サポートを終え、終電で直接、顧客先から寮まで帰ることがあった。
 入社してすぐの篠田の役目は、いわゆるお茶くみだった。上司の北原が、たまに、
「しのまり、コーヒー」と催促することがある。彼女も内心は嫌がっていたが、要領がいいのか不満を表情には出さなかった。東京工業大学の年上の大学院生とつきあっていると言っていたが、チームに女性は一人ということもあり、人気者だった。
 大島は北原を真似て「コーヒー」と言おうとしたが、緊張して「コ、コッヒ―」となってしまった。まり子は、プッ、と小さく笑った。その笑いは大島を馬鹿にしているように思えたが、なるべく気にしないようにして、仕事を続けた。
「仕事がきついから会社を変わりたい」と先輩の中に愚痴る人がいて、大島も同じように感じていた。その頃は寝付きが悪くなっていて、日中にうとうとすることがある。薬局で売っている睡眠薬を飲んでおり、仕事を離れても、いらいらしていた。
(給料が安くなってもいいから残業の少ない所を紹介してもらおう)と人材派遣会社に電話をする。その時にも吃音が出たため、事務的に女性から言われた。
「あまり人と接しなくてもいい仕事があるかもしれませんよ! 給料に満足できるかどうかは分かりませんけれどもね」
 大島は代休日に新宿の派遣会社に向かった。緊張はしていたものの、相談に乗ってくれるだろうと楽観的な気持ちだった。着くと、小さい応接室に通される。しばらくして初老の面接官が入ってきて窓を背に座り、十数分、やりとりをした後言った。
「言葉が少し不自由でもやっていける職場もありますが、吃音を治してからだと、残業も少ない半官半民の会社を紹介できます。話し方を習ってみてはいかがですか」
(吃音を治せば結婚相手も見つかるかもしれない)と大島が思っていたところでもあり、面接官の言葉は、治そうという気持ちを後押しした。国分寺市役所の地域振興課に、電話で問い合わせた。
「吃音を治す所をご存知でしょうか」
「吃音に絞った会はありませんが、話しをなめらかにする会ならあります。国分寺市にある『話し方同好会』はいかがでしょうか」と電話番号を教えてくれた。
 話し方同好会は水曜日の午後七時から九時まで、独身寮近くの公民館で行われていた。大島は直ぐに職場で上司や関連部署の人に、
「吃音を治しに行きたい」とお願いした。
 国分寺駅から自転車をとばして、始まりの時間に間に合わせた。グループリーダーや先輩が、仕事が終わる午後五時より少し前に言った。
「残業はしなくていいから、すぐに行って吃音を治してこい」
「頑張って」と、篠田も送り出してくれた。
 公民館は古い平屋だったが、建物の中はきれいに整理整頓されている。何を話しても気軽に受け答えしてくれる、のんびりとして温かい雰囲気だった。白髪交じりの還暦過ぎの優しい男性が世話役の江木だ。年配の人が多く、全部で十五人ぐらいおり、世間話をしたり飲み物や御菓子を持ってきて食べたりしていた。お菓子を大島にあげることもあった。
 最初は、アナウンサーもする発声発音の基礎練習だ。腹式呼吸で、
「アーーー--」と続ける。次に、
「あ・え・い・う・え・お・あ・お」から始まる五十音の発音発声練習をする。これも腹筋を動かしスタッカートをつけテンポよく大声で発音する。
 発音発声は息を深く出す腹式呼吸だが、話すときは複式だけだと間延びしてしまうので複式と胸式をバランスよく使うようにする。これは難しく、上手く出来ない人がほとんどである。
 話そうとすると、緊張して口がひきつることがある。吃音者には母音が言いにくい人がいる。あいうえお、の母音はひんぱんに使われるため、それらの人は大変である。幸い、大島には母音を発生するのに問題はなかった。無声音は発生から少し遅れて声帯振動が開始する。声を子音で一回止めて詰まって出す無声音のカ行は彼にとっては言いにくい。だから(コ)が最初に来る(コーヒー)も言いにくい。緊張した時は、喉や口の筋肉がこわばる。「お茶」とか別の言葉に言い換えることがある。
(ん)は息を出さず口の中で共鳴させるだけなので言いやすい。だから「こんにちは」を例にすると(こ)だけをかすれたような小さい声にして「―んにちは」と(こ)を抜く。オペラの呼吸を少し真似て(こー)と軽く引き伸ばした発音にするやり方もある。吃音を目立たなくするテクニックの一つで、前もって言葉の最初にわざと決めたパターンを入れる。
 話し方同好会では、大島にとって苦手なカ行も「か・け・き・く・け・こ・か・こ」とテンポよく練習するのでやりやすい。何よりもみんな同時に大声で発音するので一人の言うことなど誰も聞いていない。気持ちよく声が出せる。
 最後に三分間スピーチを、ぜひ話したい人が行う。結婚式でのスピーチなど、前もって練習しているものを話す。話した後、周りの人が感想を短くしゃべる。
 話し方同好会は、話し方が比較的いい人がさらに良くするためのものなので、吃音者には物足りない。吃音は直ぐに治るものではないので、大島は自分なりに一人で吃音改善訓練をした。
 起床して、十五分ほどの発声訓練から始める。
 初めに体を伸ばしたり、腕を回したりの柔軟体操をする。お腹をねじるなどの腹筋運動をする。そして舌を回したりして口の中を柔らかくする。
 続いて鏡を見ながら、歯切れよく「バ・バ・バ・ア・ア・ア」と小さめに息を出す。そして、「あ・い・う・ベー」と音を出す。五十音表の順に少し大きめにスタッカートを付けて言う。
「こんにちは」、「コーヒー」などの苦手な言葉の練習をする。
 最後に中島みゆきなどの好きな歌を歌う。
 寮の同室の仲間も最初は面食らったようだが、直ぐに慣れて温かく接してくれた。
日中は、他の人との会話を録音して、それを聞いたりした。

 毎年三月の第一日曜、関東地区の話し方同好会の人たちが新宿にあるホテルに集まり、三分間スピーチのコンテストを開いている。同好会に通い始めて半年ほどして、大島も参加するよう勧められた。
 話し方コンテストの参加者は二百人ほどで、広い部屋にパイプ椅子を並べて壇上の発表を聞く。二十人ほどが三分間ずつ順番に話す。やがて大島に発表の順番がまわってきて、勤めている会社の研修会のことを話した。概略は次の通りである。
 
 幹部の講演が大会議室であり、その日は音響設備が壊れていた。講演前に司会の若者が壇上から声を張り上げた。
「後ろの人、聞こえますか」
 少しざわざわしていて、誰も返事をしないので彼は困っているようだった。後ろの方に座っていたので、思い切って手を上げて言った。
「聞こえます」
 ざわざわは静かになり、司会はほっとしたように見えた。
 後で、一緒に幹部の講演を聞いていたグループリーダーから褒められた。
「あのときの『聞こえます』という返事が良かったな。話し方を習った成果や」

 話し終わると温かい拍手があった。
 続いての立食パーティで同好会の上部団体の幹部が、辛口の感想をした。
「出だしの言葉が少し詰まっていた」
 しかし、内容が良かったのか何人かいた新人のうちから、新人賞を受賞した。出席した人たちからも褒められたことで、大島は自信がつく。これが励みになり、吃音は良くなった。時々ぶり返して悪くなることがあるが、あまり気にせず暮らしている。

 大島は、東京都国分寺市にある中央研究所の基礎ソフトウエアを研究する部署で働きたい、と希望していた。入社して二年目に、そこに配置転換された。基礎というのは、ミニコンピュータで用いるプログラムを改良し、大企業向けのシステムを作る。周辺機器の接続テストも行う。
 電話で受け答えするのは苦手だったが、話すのが少しぐらいは詰まっても気にする人はほとんどおらず、お客さんに接することが多い新宿と比べると、精神的にも楽だった。
 後輩ができ、転職したいという気持ちはなくなり、元気に働けるようになった。職場の人とも気楽に話せるようになる。
 配置換えされて、一カ月ほどたったころ行われた開発者の懇親会に、篠田まり子の兄の太郎も参加していた。彼が担当しているソフトウエアの開発という研究には、去年の秋に三十万円ほどで発売されたばかりのNEC社製パソコンPC98シリーズを用い、システムを一から作る。ミニコンピューターシステムは高くて小企業は導入できないが、パソコンシステムは当時で初期費用が三十万円ほどなので小企業でも導入できると考えられた。
 太郎もひどい吃音があると、まり子が言っていた。それで、大島は親近感を持っており一度話してみたかった。知り合いに尋ねて教えてもらった彼は、痩せており顔が細長く頬が少しこけていて神経質そうだった。バイキング形式のテーブルで、一人でビールをちびちびと飲んでいた。大島は思い切って話しかけた。
「し・篠田さんでよろしいのでしょうか」
 彼は少しびっくりしたようで、
「エーーット、そうだけど、何の用なの」
「日山ソフトウエアの大島と申します。篠田さんの妹のまり子さんと新宿の営業センターで机を並べていた者です。これといって大事なことはありませんが」
「そ・そういえば妹から聞いてる。大島さんは吃るのを軽くしたの。大変だったでしょう。ぼ・僕は太郎というんだ。今後もよろしく」
 大島が入社したときより、吃音がきつかった。その後、吃音者同士、廊下ですれ違った時に挨拶をし、食堂で一緒に食べることがあった。二人だけで話すときは大島はほとんど吃らず、太郎の吃音も大分軽くなった。
 篠田太郎は技術的に優秀だから周りの人々から吃音があっても温かい目で見られ、大島もうらやましかった。
 まり子は本社に戻り、希望通りメーカーの営業職の仕事についた。インストラクターとともに、法人に対するルート営業をした。

 夏至を少し過ぎたころ、大島もボーナスをもらい、次の休日に、ふところの暖かいうちに秋葉原でパソコンを買おうとした。新宿の紀伊國屋の方が秋葉原の店よりコンピュータ関係の本がそろっていた。それで、パソコンの本でも買おうかな、と歩行者天国の中を歩いて行った。人通りが多く暑い。
 十時過ぎに、書店の入り口で手持ち無沙汰に立っているまり子に会った。彼女は髪をボブにして、前髪を目の上ギリギリカットして目が大きく見えるようにしていた。細身のジーンズに涼しげな薄いブルーのブラウスだった。三カ月見ないうちに大人っぽくきれいになっている。大島にとって高根の花に思えて気後れしたけれども、小声であいさつをした。
「おはよう」
 彼女は明るい声で返した。
「おはようございます。友達と待ち合わせているのに、来るのが遅いの」
「どこへ行くの」
「二人で喫茶店に行くの。よければ、大島さんも来ない?」
「ええ、そんなに時間をとられないのなら、いいですよ。篠田さん、少し目の辺りが明るくなっていません?」
 少しまり子は、はにかんだ顔で、
「わかる? 会社ではしないんだけど、休日だけ少しアイラインを入れてるの」
 間もなく、ショートカットの女性が、可愛い八重歯を見せながら近付いて来る。
「ごめんなさい。待った~」
 膝丈くらいの花柄模様のフレアーのノースリーブワンピースでエルメスのハンドバッグを持ち、目にアイブロウをしてパッチリしている。体からは、かすかに香水の匂いが漂ってきた。身長はまり子と同じぐらいで中肉中背だった。明るい人だなと思った。
「少しだけね。この人がお友達の高橋みな子さん」と紹介した。
「篠田まり子(しのまり)、もう付き合っている大学生から、この人に乗り換えたの」
「みな子、私が男を手玉に取ってるみたいじゃない。この人は会社で同期入社なだけよ。あなたと違って真面目なの。大島利幸さんというの」
「私、高橋みな子だから『たかみな』と呼んでもいいわよ」
 三人で、歩行者天国の広い道路を歩いた。横になって話しながら歩く二人の後に大島はついていった。ときどき振り向いて、話しかけられたが、うまく相槌が打てなかった。
 大島が名前だけ知っていた高級喫茶店に、三人が入ると、冷房がよくきいていた。四人席で、まず窓際にまり子が座り、その横に高橋が座った。最後にまり子の前の窓際に座った。
 店内は女性とカップルばかりで、大島は緊張した。彼女らがフルーツパフェを注文した後に、何を頼もうかとメニューを長い間見ていると、篠田は、早く注文するようせかした。大島がコーヒーゼリーパフェをウェートレスに頼んだら、少し詰まった。
「コ・コッヒーパフェ」
 注文して済むと、直ぐに雑談が始まった。高橋は北海道出身で、まり子と机を並べて青山短大で学んでいた。そのころから株の売買をしていて、山三証券に入社した。本社に配属され、先輩男性社員のインストラクターと組んで外回りをしている。大久保のワンルームマンションを借り、最近猫を飼い始めたらしい。
「大島さん、高橋みな子(たかみな)、すごいのよ。指導員と組んだ契約件数が東京都内でトップなのよ」
「組んでいるインストラクターが良かったのよ。先輩は夜遅くまで頑張っているけど、私は早めに事務所に帰って、獲得した契約の事務作業を事務部門に頼めばいいと言われているの」
 まり子が微笑んで、
「まだ入社二年目だから厳しくはないわね。先月のボーナスはいくら?」
「大島さんがいるから、恥ずかしいわ」
「耳元で言ってよ」
 高橋がまり子の耳元でささやいた。まり子が、
「私より少し多いだけね。私は残業してないのに、たかみなは少しは残業しているし。なんで成績がいいのにボーナスがそんなに変わらないの?」
「新人は横並びなのよ」
「高橋さん、マンション代や猫のエサ代とかお金がいるんじゃないの」と大島は聞いた。
「証券会社にいると、いろいろと情報がはいるのよ」【1988年の証券取引法の改正によりインサイダー取引が禁止されたが、当時は禁止されていなかった】
 大島もアパートに一人で住みたかったが、独身寮だと安く済むし、住宅補助金が出ない会社だった。何かとお金が入り用だったので、独身寮で我慢していた。
 高橋が話題を変え少し微笑んで、
「大島さん、スカイラインに乗っているんですってね。今度、しのまりと私をドライブに連れて行ってくれたらうれしいわ」
「いつでもいいよ」
「去年までは吃音があったとは思えないわ。良くするのは大変だったでしょう」
「うん、吃音が目立たないよう腹式呼吸を覚えるのは大変だった。それと聞いている人の受け取り方をみるのも、しんどかった」
 高橋は「そうなの」とか「そうなん」など、聞き上手だった。
(成績がトップになる訳だ、化粧が濃いのも競争社会だから仕方ない)と大島は納得した。大島の話にうれしそうに、まり子もうなずいてくれたので、気分が良くなった。
 大島から話すことがなくなり、聞き役になった。女性二人はおしゃべりを楽しんでいる。ぼーっとしながら大島は二人を見ていた。
(高橋さんも明るい人柄のようだから、付き合うのもいいかなぁ)
 三人とも食べ終えたところで、まり子が突然話を振った。
「兄も、今は大島さんが入社したときより吃音がひどくなっているの。何とかならない?」
「き、きっ……」
 突然のことで難発性吃音が出て声が詰まってしまい下を向いた。
「大島さん、聞いてるの? 会ったことはあるでしょ」
「…きっみのお兄さんの太郎君とは同期だから、最近も会ったよ。中央研究所でプログラムの開発をしてるんでしょ。確かに彼の吃音は酷いけど、技術者としては優秀なんだよ」
「それだけでいいと思ってるの? お兄ちゃんは大学生のとき、話し始めに時々同じ音を繰り返すぐらいだったの。入社して一、二カ月ほどたったら大島さんが入社したときより酷くなったのよ。初対面で年頃の女性と話すとき、まともに相手の目を見られないのを知ってるの」
 少し気押しされ、言葉が間延びした。
「新発売のパソコンでプログラムを作るのも正確なんだし。だから兄さんの周りも、彼が話すのが少しぐらい不自由でもいいと思ってるよ」
「駄目よ。兄が出世できないじゃない」まり子は続けて早口で「私も大島さんが話術同好会に通うときに、気持ちよく送り出してあげたでしょう。お願い! 面倒見てよ」
「そんなこと急に言われても。同じ家に住んでいるんだから君が面倒をみたらどう」
 彼女は真顔でゆっくりと、
「兄は仕事が済むと自室にひきこもって、ロックを聞きながら、今年父に買ってもらったパソコンに向かっているの。会社では大島さんも兄とゆっくり話せないでしょう。私の家に連絡していいからね」
 ハンドバッグから、名前と電話番号を手書きしたカードを取り出し、大島の目の前にそっと置いた。
「仲のいい友達にしか渡していないカードよ。家族にも、大島さんが兄の吃音を直そうという役目を承諾してくれたことを話しとく」
 大島は胸ポケットにカードをしまい、会社の名刺を二人の前に一枚ずつ置いた。
「寮の電話番号も書いてくれない」
 と、高橋が言ったので二枚とも書き入れた。
 まり子が小声で、
「独身寮から電話すると知り合いに漏れて、私と大島さんの間に何かあるのかと勘ぐられても嫌だわ。何日かしてから、父がいる午後八時ごろに公衆電話からしてね」
 高橋がにこにこして、思わせぶりに言う。
「うちの電話番号、知りたい? 一緒にいるのは猫だけよ」
 まり子がレシートを取り、
「たかみな、だから男運が悪いと言われるのよ。そろそろ出ましょ。無理言ってるんだから、大島さんのは私が払うわ」
「お、男が払うものだよ。僕が全部払うよ」
 まり子は、すまなさそうに、
「悪いわね今回は甘えるわ。ねぇたかみな」
 高橋は軽く、
「ご馳走になります」
 レシートを見ると、パフェが独身寮での夕食の三倍ぐらいしてびっくりした。しかし、(いい女性を紹介してくれるならいいか)と勘定を済ませた。
 新宿駅東口への道はまり子が先を歩き、二人が話しながら後に続いた。
「喫茶店で勘定をするとき、ため息が出てましたよ」
 高橋が言ったが、正直に高かったと言うわけにはいかない。
「大したことはないよ。でも男同士で来ている人はいなくて、カップルと女性同士ばかりなのは初めてだ」
「大島さんに恋人はいないの?」
「いない、高橋さんはどうなの」
「いたけど、最近別れたの」と彼女は暗い顔になったので大島は言った。
「高橋さんは可愛いから、振られるなんて考えられないな」
「うぅうん。私から『別れましょう』って言ったの。彼は大島さんより年上なのに、金遣いが荒くて。大手出版社に勤めていて、外面はいいんだけどね」
「彼に貢いだわけじゃないんでしょ」
「食事も割り勘よ。彼からのプレゼントも安っぽいし……」
 あまり立ち入った話はしない方がいいと思い、大島は話題を変えた。
「篠田さんは恋人とはうまくいってるの?」
「それが東京工業大学の彼は、優秀なので国費でアメリカに留学するみたい」
 その頃は日本とアメリカとの電話代は大変高く、ラインなどの無料の通信手段はなかった。国外にいる人と連絡し合うのは大変だった。
「大島さん、篠田まり子(しのまり)を好きなんじゃないの? チャンスよ」
「君と篠田さんは高根の花だよ」
「しのまりと話すときだけ、『君(きみ)の』の最初の『き』を省いて『…っみの』のように、話し方がぎくしゃくすることがあるのね。私とは何ともないのに」
 まり子とは少し離れて歩いているので、話は聞こえないはずだ。図星を突かれて、大島は何も言えなかった。
「しのまりのお兄さんの吃音が良くなれば、彼女や両親の心証も良くなるわ。付き合えるかもしれないじゃない」
 大島は、どぎまぎして、お互いに気まずくなり黙って歩いた。
 紀伊國屋書店のそばに来ると、まり子が立ち止まって、大島に話しかけた。
「私たちは二人でデパートのマルイにビキニの水着を買いに行くの。大島さんも一緒に来ない?」
(ビキニの買い物に男の私を誘う? おちょくっとるのか)
 ぶっきらぼうに答えた。
「止めとく。パソコンを買いに秋葉原まで行くよ」
 高橋が、顔を近づけてきて、囁いた。
「しのまりのお兄さんのこと、どうなったか後で私に連絡してね」
「住所も知らないのにどうやって連絡すればいいんだよ」
「しのまりに、私に伝えたいことを言づてすればいいんじゃないの」
 まり子と大島をくっつけようとする、高橋の面白半分の魂胆が感じられ、大島はほんろうされているようで、嫌な気分になった。
 彼女らと別れた後、秋葉原に行き会社で使われているのと同じ新型パソコンを値切ってローンで買った。プリンターなども入れて三十五万円ほどだった。気はせいたが、箱は大きく重く、寮まで郵送してもらった。
 三日がたつと、大島はまり子への思いが強くなった。新宿で水着売り場に誘われたとき、服売り場に行きませんか、とか提案したらどうだっただろうと思った。それから何日たっても、電話が掛けられないでいた。思いがけない形で向こうから訪れてきたチャンスを、みすみす逃すようなことはしたくなかった。何より、もう一度彼女に会いたいという気持ちが強かった。

 思い切って、彼女らと会ってから一週間後の日曜日の午後八時前に、寮から離れた公衆電話ボックスに、大島は行った。どきどきしながらダイヤルを回すと、七度目のコールで受話器の外れる音がした。
「もしもし。篠田です」
 男性の少し渋い声だった。大島は、まり子の父さんだと思い、丁寧なしゃべり方になった。
「夜分失礼します。大島と申します。初めて電話します。今、よろしいでしょうか」
「こんばんは。子供たちがお世話になっています。娘から聞いて、連絡下さるのを待っていました」
 大島は小声で「遅くなってすいません」と答えた。
「気にしなくていいです。娘から君は吃ると聞いていたけど、そんなことはないですね」
「急に当てられたりして、不意に話をするときなどに吃音が出るんです。準備してゆっくり話せば大丈夫です」
 父は、大島に合わせてか、少しゆっくりと、
「話が少し間延びしているように思うのですが」と喋べった。
「それだけ緊張しているのです。早く喋ると、言葉が詰まってしまいます」
「息子の太郎も詰まります。ヨーロッパの国王が吃音を治して、すらすらと演説できるようになる映画があると聞いたことがあります。息子もそうなりますかねぇ」
 大島は、太郎の父も息子の吃音を気にしていることが分かり少しうれしかった。
「その題名は『英国王のスピーチ』です。映画では、スピーチトレーナーがつきっきりで特訓し、普通にしゃべれるようになるという粗筋です」
「そうなってほしいんです」と少しほっとした口調で、父が言った。
「しかし、実際の白黒映像のイギリス国王ジョージ六世は原稿を見ながらゆっくりとしゃべり、吃音も完全には良くなっていません」
「仲間や上司と話すときに上がらずに言葉を出す方が、スピーチより大変ですか?」
 大島は少しリラックスして言った。
「ジョージの吃音は息子さんより酷かったようです。息子さんは元国王より良くなります。上司と話すのはスピーチほどは緊張しませんし、職場では会話の機会が少ないので、少々吃音が残っても大丈夫だと思います」
「よろしく、お願いします。今も息子は晩ご飯を食べたら部屋に籠っています。会社で使っているのと同じパソコンセットが欲しいと言うので、買ってやったら、それに夢中になってね」
 つい、大島は、なれなれしく、
「僕も太郎君から聞いて、先週、その機械を買いました。面白いですよ」
「太郎のセットは初任給三カ月分以上したよ。先月、パソコンをニフティサーブというパソコン通信をしだしたから、それをしているうちは家庭で電話することができないんだよ。それに電話代が馬鹿にならない」
【1980年代はインターネットは普及していなかった】
 大島はまずいことを言ってしまったと思い、少し緊張し黙ってしまう。
「妻も話したいそうだから変わるよ」
 まり子の母が直ぐに出て、
「子供たちがお世話になっています」
「こちらこそ、太郎君にも、まり子さんにも助けてもらっております」
「太郎は東工大では物理クラブに入って、アマチュア無線でカリフォルニアなどの人たちと英語で交信していたの。たまに言葉の出だしが詰まる程度だったのよ。入社してから元気がなくなってね。だんだんとしんどそうになって、吃音も酷くなったの」
 大島は、自分も配属されてから一時的に吃音が酷くなったと思いだして、
「二カ月ほど前に初めて会ったので、もともと吃音があって物静かなのかと思っていました」
「私たち夫婦の親戚に吃音のある人がいるのよ」
「吃音は遺伝する可能性がある、と聞いたことがあります。しかし、遺伝だけで吃音になるのなら、吃音者同士が結婚すると子供は作らない方がいいと思う人もいるでしょう」
「小さい時に左利きを右利きに直したのが悪かったのかしら」
「小さい時のしつけが厳しかったから吃音になるかどうかは、はっきりせず、原因は分からないのです。それより、治し方は様々なものがあります。太郎君は心因性のものが強いと思いますので、吃音が目立たないようにはなると思います」
「ゆっくりと話すのでいいから、大島さんのように普通にしゃべれるほうがいいわ」
(ゆっくりでも吃音を出さず話すのは大変)というのを分かってない人が多いと思った。
 母は続けて、
「会社に遅刻しないギリギリまで寝てるの。顔を洗わず朝食も食べずに会社に行くのよ。大島さんはどうなの?」
「独身寮に住んでいるので、朝食も夕食も炊事婦さんが作ってくれます」
「お安いんですってね」
「会社から補助が大分出ています。その代わり、独身者がアパートを借りようとしたら住宅手当は出ないのです。給料はほどほどですし、半強制的に寮に入れということです」
 母は少し同情したような口ぶりで「そうなの、大変ね」
「みんな食べているから、雰囲気で食べなきゃならない気になります。それに食べないと、おなかが減って昼食までもちません」
「健康的でいいわね」
「栄養は十分ですけど、おいしくはないです。息子さんが元気になるよう御家族の方は何かされていますか?」
「何をすればいいの。とにかく、今も太郎は調子が悪いの」続けて母は小声で、
「『新宿の母』という有名な占い師に見てもらったら『少し待てば快方に向かう』と言われたけれども、良くならないの。太郎と一緒に行かず、一人で行ったのが悪かったのかしら。健康食品はどうなの?」
(そんなことをしたって良くはならない)とも言えず大島は聞いた。
「会社が提携している産業医なら無料で診てもらうことができます」
「それほど悪くないんじゃない。かかりつけの内科医に相談すると、『大したことはない』と言われたわ」
 大島は少しむっとして、
「産業医なら根本的な原因を診断してくれるかもしれません」
「家族で相談してみるわ。お父さんに代わるわね」
 受話器の向こうで、夫婦の少しこもった小さな声がしたが、何をしゃべっているのかはっきりしない。少し高音の声もし、もう一人女性がいると思った。しばらくして、父の声で、
「診てもらえるよう会社に頼んでいただけませんか」
(無理なことを言う)と思ったが、上手く断らねばならなかった。
「ぼ~くは子会社に勤めているから親会社には連絡を取れません。診てもらうのは太郎君ですから、家族が頼んでも応じてくれませんし、本人が申請しなければなりません」
 父は心配そうな声で、
「家族の個人情報が産業医を通して、会社に伝わることはありませんか?」
「カウンセリングはいかがでしょうか。産業医と提携しているカウンセラーは有料ですけれども、医師と違って会社に情報が伝わらないと思います」
「カウンセリングは保険がきかないので、高いのじゃない?」
「個人で頼めば高いので、産業医を通すと安くて親切なカウンセラーを紹介してくれます」
 元気のない声で、父が「カウンセリングを受けたら吃音も良くなるかな」
「こればかりは相性というのがあるので、実際にしてみないと分かりません」
「息子の吃音を治すカウンセリングと、直接吃音を治す所に行くのと、どちらを先にしたらいいでしょうか?」
 吃音を治すのは大変なので大島は、
「まず、カウンセリングをしたらいかがでしょうか。うまくいかなければ、吃音を治す練習をしたらいいと思います」
「その時はよろしくお願いします。我が家には、妻やまり子にでもいつでも電話しても結構です」
「太郎君と話すことはできるでしょうか」
「太郎はうちの電話で話すと、会話が家族に聞かれると嫌がるのです。私たちに聞かれたくないこともあるのでしょう。何日かたってから仕事の休憩時間に、息子に直接電話して下さい。そのように上司にも了解をとるから」
 話があっさりと進んで大島は少し拍子抜けした。
「分かりました。出来る範囲でお役に立てれば幸いです。娘さんはいますか」
「娘は風呂に入ってるよ」少し、むっとした父の声が返ってきた。
 さっき受話器の向こうで、まり子らしい声がしたのに、彼女は箱入り娘なのだと大島は感じた。何と言っていいか分からず黙った。向こうも無言なので、
「それでは、よろしくお伝え下さい」
 ガチャンという音がしないよう受話器を丁寧に置いた。
(彼らは吃音を直すのをさほど難しくないと考えているようだが、実は大変なのだ。第一、太郎君がどの程度治したらいいと思っているのかも分からないし)
 父親が電話を切ったあと、篠田家ではまり子さんが、
「お父さん、電話が鳴って直ぐに来たのよ。私も話したかったのに」
「お前が話すと話が長くなるからな。太郎の上司に、吃音を治すために仕事の融通をつけるよう頼んでくれよ」
「さっき、自分で上司に了解を取る、と言ったじゃない」
「借りを作るのは嫌だ。お前は営業じゃないか。そのぐらいできなくてどうする」
「ハイ、ハイ」
 大島は当然のことながらそんな様子は知らない。

 四日後の昼の休憩時間に、社員食堂で大島は運良く太郎に会った。ランチを一緒に食べながら太郎に話した。
「職場に電話で吃音の話をしたら迷惑かと思って、会えるのを待ってたんだ。先日、君の自宅に吃音のことで電話したけど、お父さんはうるさそうだね」
 太郎は少し興奮したようで、早口で詰まりながら、
「そ・そうなんだよ。妹のまり子もつんつんしてる。ぼ・ぼ・僕のことを分かってくれるのは母さんだけだよ」
「いい人だね。カウンセラーにかかるのはどうかな」
「そ・そんなに悪くないよ。お金の無駄だから行かない」
 大島は少し考えて、
「吃って変に見られる事があるとぼやいていたよな。僕が『話し方同好会』に通っているのは知ってるだろう。一緒に行こうよ。吃音が軽くなるよ」
「少しでも良くなるんなら、行ってもいいけど」
「僕も昔は吃っていたけど、今は大分すらすら言えるようになった」
 太郎は渋って「けど、残業で忙しいから行くのは難しいな」
「忙しくても、周りの人に『私の吃音が治ったら、貴方たちにも得だ』と吹聴するのがコツだ。上司や先輩が、そう思うと大手を振って早めに帰れるよ。駄目なら、職場のことを知っている人に上司に言ってもらえるよう、お願いしたらいい」
「は・話し方同好会をしている場所は、と・遠いんじゃない」
「中央研究所と同じ国分寺市だ。僕なんか新宿で働いているときも通っていたよ。職場から一時間半ほどかかった。君がカウンセラーにかかる必要もなくなる。来週の水曜日に一緒に行こう」
 太郎が黙ってしまったが、大島は続けた。「六時過ぎに仕事を終われば、教室の始まる七時に間に合うよ。僕の自転車の荷台にまたがっていけばいい。見学は無料だし、月会費も安いよ」
「いくら」
「三百円」
「うん」太郎は、気の抜けた返事をした。

 次の水曜日の六時頃に大島は太郎の職場に行った。仕事机の上は、書類が広げられていたので、驚いた。あわてて太郎の上司に小声で、
「篠田君と話し方同好会に行かせてほしいのですが、よろしいでしょうか」
 太郎の家族から上司に話が伝わっていたらしく、あっさりと、
「ああ、いいよ」
 太郎は渋々片づけをして、二人で自転車置き場に行った。自転車置き場まで歩いて二、三分だ。
 公民館まで自転車で十分ほどかかり、砂利道では自転車が少し揺れた。
 着くと「ア・エ・」で始まるスタッカートのきいた発音発声基礎練習がもう始まっていた。みんな一心に声を出していた。大島は少し怒って、
「ぐずぐずしているから、間に合わなかったじゃないか」
 大島が無理を言って連れていったからか、太郎は機嫌をそこねて、
「好きで来た訳じゃないよ」
「まあ、そうかもしれないけど」
 基礎練習が済むと休憩になり、それぞれ何人かグループの親しい者に分かれて、ペットボトルに入ったお茶などで喉を潤していた。世話役の江木の元へ二人で行った。
「江木さん、以前話していた人を紹介します。篠田太郎君です」
「君が篠田君か。ゆっくり見ていけばいいよ。この会は、話術でコミュニケーションを取って人間関係を良くするのを目指している」
 太郎をちらっと見て、
「聞いているかもしれないけれど、結婚式のスピーチなどを、上がらずにうまくしゃべれるようになるよ。若いときから、ここで学んで結婚式場で働いている人もいるよ。今は結婚式の進行役をしている」
「そ・そうなんですか。吃らないようになりますか?」
 江木が少しゆっくりした口調で、
「おどおどしなくていいよ。百㌫治すのは難しい。大島君も少しは吃音が残っているでしょう。僕も若い頃は少し吃っていたんだよ」
 篠田は感心して、
「全く吃りませんね」
「僕のは心因性のものだったんだ。大人になってからでも治る人は少なくないよ。吃音を治した国王がいる」
「だれですか」
「イギリスのジョージ六世だよ。映画『英国王のスピーチ』に出てくるが、第二次世界大戦中にナチスドイツに痛めつけられたイギリス国民を勇気づける演説を行っている。君は映画を見ましたか」
「そんな映画があるんですか」
「今度、ビデオを持ってきてあげるよ」
「ありがとうございます」
 休憩時間が終わり、江木がみんなの前で篠田太郎を紹介した。
「皆さん、見学に来ている篠田さんだ。大島君と一緒に働いていて、同期だ」
 太郎は不安そうに周りを見渡した。江木が、みんなに、
「先ずは自己紹介で、端から名前と住んでいる所を言って下さい」
 サーッと短い自己紹介が終わり、最後に篠田の番になった。
「こ・こ・こ・こんどうです」
 顔が赤くなって下を向いた。
 江木が素早く、
「大島君が篠田君を少し丁寧に紹介して下さい」
「篠田君は田園調布に住んでいます。東京工業大学を優秀な成績で卒業し、今は私と一緒に国分寺にある会社の中央研究所で働いています」
 みんなから拍手があった。その後、練習の間、太郎は一言も言わなかったし、周りの人も詮索しなかった。互いに相手のプライバシーに、あまり立ち入らないようにしていた。
 有志の三分間スピーチが済み、終わったのは午後九時頃だった。椅子などを片付けて、二人とも公民館を出た。国分寺駅に着いたのは十時ごろで、太郎が、お腹が減った、と言い駅のそばの立ち食いそば屋に行く。そば屋で太郎は、
「みんな、あまり僕のことに関心が無いみたいだ」と言った。
 大島は苦笑いして、
「そんなもんだよ。新しく来た人に無理に話しかけて、来なくなったらいけないと思っているんだよ。ところで、君が言うようにしたら、パソコンで簡単にワープロと表計算ができるようになったよ。サンキュー」
 次の日の木曜日に太郎が出社すると親しい同僚が聞いた。
「話し方同好会はどうだった」
「晩、自宅に帰ったのは十二時前だったよ。疲れた」
 同僚はさわやかに、
「十時まで残業をしたら、そのぐらいになることはあるじゃない。僕らは若いし大丈夫だよ。水曜日に定時で帰っても、休日出勤とかでカバーすればいいよ」
「み・みんなは熱心に話していたけど、ぼ・僕は場違いな所にいるみたいだった」
「無理して話さなくても、最初は聞いてるだけでいいんじゃない。吃音が軽くなると女性と付き合えるようになるよ」
「そうかな」

 何日か経って大島は太郎と廊下で会い立ち話をし、話し方同好会の感想を聞いた。太郎は目をふせて、
「雰囲気が悪い。行くのは気が進まない」と言った。
 次の水曜日に太郎の事務所に行き、
「話し方同好会に行きませんか」と言った。
 太郎はもじもじして、周りに聞こえないよう小声で言う。
「吃音があっても周りの人は、あまり気にしていないんだ。ほっておいてくれ」
 大島は良かれと思ってしたのに人間関係が悪くなった。しばらく冷却期間をおけば仲が元に戻るかと思い、放っておいた。むろん篠田家には連絡しない。(誰からも電話などが無いのはいい知らせ)と思いこもうとした。
 それから五日ほど経ち、差出人が書かれていない手紙が届いた。きれいな楷書体の宛名で大島は、何だろう、と思って封を切った。まり子からの手紙で、以下のようだった。

   兄を「話し方同好会」に連れて行って
  いただきありがとうございます。付き合
  いを続けるのは大変だと思います。みな
  子の住所と電話番号を書いたカードを同
  封します。申し訳ありませんが、次の日
  曜日の午後四時頃電話して下されば幸い
  です。

 大島は乗り気でなかったが、言われた時間に電話をした。三度目のコールで受話器が外れる音がした。
「はい、篠田です」若い女性の声で、まり子さんだと思った。
「こんにちは」
「こんにちは。お電話ありがとうございます。日曜日はドライブとかの用事があってご迷惑ではありませんでした」
「いや、パソコンでゲームをするのは結構楽しいよ。ドライブは一人で行くことは無くて、知り合いと行くだけだよ」
「兄は、あれから余計に、うちでは父と私に口を利かなくなったわ。吃音は治らなくてもいいんだ、と母に言ったりしたそうよ。何かあったの」と、まり子が心配そうに言う。
「元々、本人に吃音を治そうという気持ちがあまりなかったんだ。僕のときは、まり子さんも周囲も治そうとプッシュしてくれた。しかし太郎君の場合は職場の周りが吃音を良くしてあげようという気持ちが薄いからね」
「大島さんも、その気持ちが強くないんじゃない。兄が、良くなったら、父のつてで、いい見合い相手を紹介してあげるわ」
 大島はまり子や高橋にも引かれているが、見合いだと仕事が忙しくても理解してくれるだろうし、手間がかからないと思った。
「高橋みな子(たかみな)が短大生のとき、よく私の家に遊びに来てたの。お兄ちゃんは、たかみなが可愛い、と言ってたわ。今度、私たち四人でドライブに行かない」
「いい考えだね。ドライブのとき、高橋さんをマンションで拾うために、住所などを書いたネームカードをくれたの」
「その通りです。ドライブをどうするかは、たかみなと相談してね。寮の電話機から彼女に直接電話したらいいわ。たかみなが来る、と言えば兄も付いて来るはずだわ。彼女は別れたばかりだし、二人をくっつけるのはどう」
「高橋さんから吃音を治すよう言ってもらえば、良くしようという決心が付くかもしれない。よろしくね。さようなら」

 ドライブから二十年あまりの歳月が流れた。
 篠田太郎は高橋みな子から、
「吃音を治せば仲良くしてあげる」と言われて発奮。最初は嫌った「話し方同好会」も気に入って通い、吃音は良くなった。
 そして太郎と高橋は結婚した。家庭は円満で幸せそうだ。太郎の会社における仕事も順調に進み、現在は本社の取締役にまで昇進している。
 篠田まり子はかっての恋人・東工大の彼氏と結婚した。そして現在は子会社の常務取締役を勤めている。
 大島は、上司の仲立ちで職場内結婚をし、今では、中央研究所の所長まで昇っている。停年を間近にして、会社に残って嘱託社員として給料が安くなっても留まるのは無難である。
 幸いに、四国に父母の残してくれた不動産がある。帰って会社に縛られずにそれらを運用しながら好きな研究をするのもいい。妻も、四国に住居を移してもいいと言う。
会社ビルの屋上に立ちながら、そのようなことを考えている。
「所長、会議の時間です」
 若い社員が呼びに来た。
「うん、すぐ行く」と大島は階段を降りていった。

         完

 〈注釈〉

 筆者は、こころの病、ひとり上手、などの作品もホームページに最新の物をアップしています。一部でも、ご覧いただければ、作者にとって幸いです。

 HPアドレス:https://www.okumato.com

 メールアドレス : sikokut@gmail.com

           2121/7/5

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