カムチャッカ半島でクマを撮る その4〜ベースキャンプ編〜
カムチャッカ半島でクマを撮るのその4の話。 まだ3を見ていない人はまずはそちらをご覧下さい。
さて、撮影も終わりベースキャンプ地へと戻ってくる。
この場所に約1週間ほど滞在しての撮影なのだが、本来はテント泊だった。しかしコロナということもあり、テレビ局の撮影クルーの4人以外は私1人だけの滞在なので、ロッジのオーナーに部屋を丸々1室使っていいと承諾を貰い中に入れてもらった。
12人ほど入れる部屋だったが、ここをずっと1人で使わせて頂いたので非常に助かった。ただ電気やお風呂などはなく、充電は外のジェネレーターで1日1時間のみ使用可能だ。
一応柵がしてあるベースキャンプ地といえど、普通にグリズリーは中に入ってくる。トイレが外にあるのだが、そこに行くのも気軽にはいけない。
普段人間が何気なくトイレに行く行為でさえ、ここでは命取りとなるので、十分に注意を払い用を足す必要がある。
余談だが、有名な写真家であった星野道夫がここで死んでいる。
まさにこの碑石のある上でテントを貼って撮影していたところ、運悪くグリズリーに襲われなくなった。 正直自分はあまり星野道夫のことは知らないが、日本人がここを訪れることがほとんどないため、同じ日本人としてなんともいえない気持ちになった。
手を合わせてくれる人などほとんどいない辺境の地で彼は眠りについている。
そして1週間の撮影が終わり最終日。この日はただヘリが来るのを待つ日だ。 時刻表というものはここには一切ない。飛んでくる日もあれば、飛んでこない日もある。 とにかく僕に出来るのはヘリが来るのを祈るだけだ。
何時に来るのか全くわからないので、早朝からコーヒーを飲み、ずっと遠くの空を見上げ、ヘリの音がするのをただひたすら待つ。
朝6時くらいから待っていただろうか、15時過ぎくらいにようやくヘリの音が聞こえてきた。 パイロットに声をかけられて急ぎで乗るようにジェスチャーされ、駆け足でヘリに乗り込む。
名残惜しむなもなくヘリはすぐに飛び立ち、1週間滞在したグリズリーの王国を上空から見る。 あぁ、こんなにも美しい大地を歩いていたのかと。 本気でそう思った。
撮影し切ったという充足感と良い写真を撮れた満足感。 ヘリに揺られながら過ごした日々を思い出す。たった1週間の滞在だったけど、間違いなく僕の心を揺れ動かした。
今は世界情勢上ロシアに渡航は出来ないが、いずれまたその時が来たら、またこの場所に戻ってみたいと思う。
さてその4まで書きましたが、この話は一旦ここで終わり。
今月下旬からはフィンランドにグリズリーの撮影に出かけるので、またそれは撮影が終わったら記事にしていくのでお楽しみに。
最後まで読んでくれた皆様に感謝。
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