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折坂悠太 "心理"

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鳥取出身のシンガーソングライターによる、3年ぶりフルレンス3作目。

今作を聴いて直感的に思ったのは「くるりっぽい」だった。具体的にアルバムで言うと "魂のゆくえ" の頃の。まあ折坂悠太本人は今作を作る上でくるりは特に参照していないかとは思うが、それにしても。

個人的な見解を述べると、くるりが猛々しく野心を露わにしてアルバム毎に方向性をドラスティックに変移させ、日本の音楽シーンの中で刺激的な異物としての存在感を発揮していたのは2007年作 "ワルツを踊れ Tanz Waltzer" までで、それ以降は野心が失われたとまでは言わないが、新しいモードを提示すると言うよりは、それまでの経験を元にして音楽性を丁寧に熟成させ、深い味わいのある普遍的な良曲を作るという風に意識が切り替わっていったように見える。どの時期が最も優れているかはもちろん人によって様々な意見があるだろうが、その成熟期第一弾である "魂のゆくえ" は過去のくるり作品と比較するといささか地味な仕上がりではあるものの、国内外のロック、ブルース、フォーク、カントリーといったトラディショナルな要素が密接に絡み合い、朴訥とした歌との絶妙な相性を見せる秀作だった。そんな "魂のゆくえ" と、今回の "心理" は佇まいがかなり近似していると、自分には感じられる。

まず巧妙に設計されたサウンドデザインのクオリティに唸らされる。種々の管弦楽器、ドラムのスネアやハイハットの一打一打に至るまで、それぞれの音に確かな輪郭があり、ふくよかな丸みがあり、旨味のある音域がしっかり確保された状態で、それらが互いに親和すると言うよりは、竹籠のように適材が適所に組み込まれてひとつの綺麗な立体を成している。楽曲自体は落ち着いたテンションが基本で、際立って突飛な音が出てくるわけではない、にもかかわらず、総体としてはぽっかりと大きな口を開けた魔物のような、奇妙な凄味を発揮しているのだ。この絶妙な音響は海外のヒップホップやエレクトロニック・ミュージックを熱心に研究していなければ成し得ないものだと思う。

また、曲調はさりげなく多岐に渡っている。"爆発" や "鯱" 、そして八面六臂の活躍で近年めきめきと頭角を現しているサックス奏者 Sam Gendel が参加した "炎" など、ジャズの要素を大きく導入した楽曲が特に目立つが、それ以外にもカントリーと浪曲が融合した愉快な怪曲 "心" 、スカムな不協和音の中に仄かに抒情が立ち昇る "悪魔" 、思わず表拍で合いの手を打ちたくなる令和時代の民謡とでもいうような "春" と、実にユニークな楽曲ばかりが並ぶ。それらはこれ見よがしに賑やかな雑多さをアピールしてはおらず、むしろ朴訥としつつ個性的な癖のある折坂悠太の歌声によって統合され、アルバム全体の強固なトータリティを確立するに至っている。

含有されている音楽要素の配分は違えども、この音像のニュアンスや、自らの内に蓄積したインプットを楽曲に注ぎ込む際の手つき、多様さと統一感のバランス、歌と音との関係性、また表面的なメロディの感触においても、今作とくるりとは印象がかなりダブるというわけである。まあごちゃごちゃ述べているが、サウンドを複雑に練り込みつつ、結局はそれを受け止める中心の歌が良いのが一番だ。シンガーソングライター、映像作家、エッセイストなど多岐に渡って活動している韓国出身のアーティスト이랑(イ・ラン)がポエトリーリーディングで参加した"윤슬(ユンスル)" は、川の流れ、水面の光を眺めながら湧き上がる感傷が聴き手にまで染み渡ってくる、今作中最も穏やかで美しい楽曲。アルバム終盤のハイライトであり、シンプルに彼の歌の良さを確認するには最適だろう。門戸は広く、奥は深く。トレンドを意識しつつ、普遍的な魅力に帰着する。3作目にしてすでに熟達の様相を見せている今作は、今年の国内ポップス作品の中で最も優れたもののひとつであることは間違いない。

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