ドラマ『Mother』1話の台詞が好き。坂元裕二
こんにちは。28歳編集者をしている独身女、mizukiです。
この記事では、ドラマ『Mother』1話の素敵な台詞について語ります。
突然ですが、私は芦田愛菜ちゃんのことが大好きです。好きになったきっかけは、愛菜ちゃんがデビューしたてで出演し、新人賞を受賞した『Mother』というドラマ。
現在の芦田愛菜さん、のことも素敵だと思っているけれど、私はちいさな芦田愛菜ちゃんのことが大好きなんです。これは決して現在の芦田さんと比較するような意味で言っているわけではありません。
ちいさな芦田愛菜ちゃんが『Mother』でしていた演技は、脆くて、やわらかくて、どうしようもなく芯を食ってて、感動してしまう。奇跡みたいな演技。
もちろん『Mother』の脚本(坂本裕二)に書かれている台詞の温度感も関与していると思います。
道木れなーー愛菜ちゃんは、孤独で仕事に悩む教師(松雪泰子)の潜在的な母性を感化させる、奇跡のような子どもでなくてはならない。物事の核心に迫るような台詞を、愛菜ちゃんは真っ直ぐ邪心なく発音する。本質的で、ピュアな存在という、最強な存在として。こう考えると、あらためて難しすぎる役ですね。
教師が道木れなと出会ってすぐのころ、喫茶店に居合わせて同席するシーンで愛菜ちゃんは、
と言います。
この言葉、小学生が無邪気に言いそうな言葉ではあるけれど、よく考えたら珍しい。好きな食べ物を聞かれたら、普通は給食のメニューか、お母さんが作るような料理を言うはず。卵焼きや、カレーとか……。でも、愛菜ちゃんは、500円の夜ご飯代を使って頼んだクリームソーダを飲みながら言う。これで、お母さんが料理をしないことが分かる。こんな一言で。凄すぎるよ……。
でも愛菜ちゃんは、クリームソーダを飲んだときも、教師の家で食事をするときも、まずはペットのハムスターであるすずちゃんに何か食事を与えようとする。多くの母親がそうであるように。
私はこのシーンが好きで好きで、何回も何回も見ました。
その後、ハムスターのすずちゃんは母親に捨てられたからか、いなくなってしまう。愛菜ちゃんはここで、精神的支柱である、子どもをなくすような思いをします。
愛菜ちゃんはその前から、自分の大切なおもちゃ類をどんどん捨てられてきて、ここでハムスターのすずを捨てられても母親を受け入れる。なのに、今度は自分が捨てられてしまう。
ビニールに入れられた愛菜ちゃんを発見し、海へと渡り鳥を見に連れ出した先生は、こう決意する。
そして有名なこの台詞になる。教師は自分の人生を投げ打って、愛菜ちゃんと二人で生きていく決意をするのに、はっきり「誘拐」と宣言する切なさ。この世の罪が、正義の罪を作り出す瞬間。多分、サイコパスでも泣く(笑)。
なんて大胆なんだろうと思う。そして決行された逃亡で、教師はれなに母親の話をする。
教師は捨て子だった。本当の親じゃない人に育ててもらったバッググラウンドが判明する。そして自分がしてもらったことを、今度は自分がしてあげる流れ。
美しすぎる相関関係。私は坂元裕二の脚本のドラマの中で、多分この『Mother』の1話が一番好き。冬が近づくと、私は何回も、何回も、見る。
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