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諦める力、辞める力/個人的職業経験から。

どうも、しがないです。

今回は「諦め」について仕事の例を中心に主観的になりますが綴ります。

◼︎諦めることは悪いのか

よく、石の上にも三年とか、
せめてそのくらやった方がいいとか
いう言葉がある。

それで、最低限の業務をできるように
なるとか、貢献できるようになるとか
いう説であるからだとか。
だけど環境が劣悪すぎたら
その限りでないとかいう見方もある。

けれど、判断が難しい事例もあると思うのだ。

たとえば、明らかに話が入ってこないとか、
ほとんどミスを繰り返して精神的にもきついとか、スタートが同じ人とあからさまに出来が違うとか、人間関係や上司からのあたり、お客さんからもクレームが相次ぐ、、その手の事は「あ、これは選択間違えました」という事で3ヶ月までに、遅くとも1年くらいで辞める判断がつくような事もままあるのでないかと思う。

けれど、出来ないなりに可愛がられ、上司も「よし、面倒見てやるか」というふうに寛容になってる場合や、なんらかの要因で実力以上に評価されてる場合、そして本人もうっすら向いてないかも知れないと思いつつそこまで居心地が悪くなかったり、普通にこのまま頑張ったら苦手もできるようになるかも、、と希望的になれていたらどうだろう。続けるのではないだろうか。
ーずばり直近3年間の私のは、これに当てはまっていたのだった。

◼︎誰しもある凹凸

私が3年間、上記のようなモチベーションで
続けて起こったことや気づいたことは
以下のようなことであった。

前職は福祉関係と接客だった。
けれど、そこから一念発起して社会人のちょっとしたデザインのスクールに通って、当時の本職のつてから少しお仕事をさせてもらうようになった。

それを足がかりに転職活動し、なんとか今の所に拾っていただいたのだった。

入ってみると、わからないことだらけだし、
何より業界ごとの人の違いを感じた。
そして、あることに気づいた。
なんか作業がむずかしいな、と笑

私は「正確に」とか「緻密に」とか
「きっちり」「まちがえずに」「丁寧に」
みたいなのが苦手なのである。
私が入った会社のデザインというのは、
まさにそれを網羅してしまっていたのだ。
「ざっくり」「それっぽく」「感覚で」「スピーディーに」が私なのに、、笑

ではなぜすぐ辞めなかったかというと、
前職を辞める際、色々な人に応援されながら、
また有難くも惜しんでくれながら送り出されたからであった。その気持ちを裏切らないということもあって、踏みとどまったのだった。それに、上司の寛容さと指導の丁寧さがあったからのように思う。

そんな中、デザインはボコボコであったがある上司にこんなことを言われるのである。
営業むきなんじゃないか?もったいない、、」と。なぜなら、私が先方やその他取引先と、
知識が足りないながらなんとかやり取りを言われるままガシガシとやったのを見て、そう思ったようだった。

ーしかし、恥ずかしながら、営業も出来ないことはわかっていた。なぜなら、数字を前にすると太刀打ちできないからであるー

そしてまた月日を重ねる中で、いつしか本当にひょんなことから実力不相応な大きな案件をやる流れになっていた。(初めは振った上司も簡単だと思っていたが蓋を開けたらでかかったのだ。)

そして、その案件ではミスを繰り返してしまい、
さすがに先方からもお叱りを受ける事態となり、
ペアの営業さんにまで多大なる負担をかけることとなってしまったのだった。しかし降りるに降りれないタイミングで、しばらく苦しんだ。

けれど、そこでチェックのやり方について、
自分なりに見直す機会となり、
ジリジリとだが精度が上がっていったように
思う。


なんとかその案件が終わった後、
私は上司に辞めると言おうと思った。
丁度一年をすぎた時であった。

しかしながら次に入ってきた案件に心惹かれてしまい、私はとどまってしまったのであった、、、

◼︎凸を伸ばして補おうと

私は一連の仕事の中で、もう自分のできるところをまずきっちりやるしかないんじゃないかと思った。

•営業さんの打ち合わせの資料をしっかり揃える

•メールに営業さんが連名で来ている質問に対して、営業さんの負担を軽くするために確認して自分が対応する、必要あらば電話でのやり取りも惜しまないで、報告もしっかりとする。
そしてそれをなる早でやろうとする。

•そしてチェックは苦手でも落ち着いてしっかりやるようにする、さらにお手数をおかけするが一緒に確認をしてもらう

と言ったことを考えながらやったように思う。

そんなこんなで、ある日人づてに、例の営業さんが、、との事でこんなことを耳にしたのだった。
連絡も全てやってくれるから助かっている」と言っていたよ!と。ー

散々迷惑をかけて、精神的にも負担をかけていた為、申し訳なさと嬉しさが同時にあった。
ずっと低空飛行であった自己肯定感が、少しだけ報われたと思った瞬間であった。


◼︎全てが苦手ではなかったデザインだが

さて、さらに月日を重ね、その中で、うちには珍しく可愛いキャラクターのデザインを作って何案もあげる、と言った仕事があった。
それは楽しめながらやれたし、デザインで初めて営業さんや同じデザイナーの仲間にも褒めてもらったのであった。

この頃までにはだんだん仕事の流れに慣れてきて、当初ほどパニックになることもなく、怒られるということも減り、同じデザイナーの上司の下に仕事をする事が減っていた。
一人作業、完結、が増えたのだった。

しかし、幸か不幸か、その中途半端な独り立ちにより、デザイナーの上司に細かいデータの質について指摘される機会が減り、自分で意識しないといけないところが甘くなり、のらりくらりと「実は良くない」状態で続けてしまう要因になってたと思う。

◼︎やってきたライフスタイルの変化と発覚した事

気がつけば、3年目ほどになっていた。
チェックのやり方は当初より気をつけるように
なって、最低限の案件はやらせてもらっていた。

しかし、妙齢の女の3年、いろいろ変化があり、
紆余曲折を経て妊娠をしたのだった。
※他の記事で、のそ時の不妊治療についても綴っております!

その不妊治療の際、ふと私は自分の能力について、親になるのだからやっぱりはっきりさせたい、、と思ったのだ。

そして、知能検査を受けると、やはり凹凸が大きい箇所があって、今までの苦手の原因がはっきりしたのであった。俗にいう、発達障害グレーゾーンということであった。
※こちら関連の記事も、あれこれ書いておりますので興味がありましたらご覧くださいませ。

そして無事妊娠、まさかの切迫流産をへて、
そもそも仕事を続けるか悩み始めるのであった。

第二子もすぐ欲しいし、そのコンディションで集中力がもつかわからない、、そしてもともと忘れっぽいので作業もすっ飛ぶんじゃないかと思った。

それらのことから、気心の知れた方に退場希望を伝えた。

が思いの外引き止めにあったのであった。向いてないというと、「連絡、調整力もあるし、、」と言ってもらえた。そこで「なんで向いてないと思うの?」という問いに対して、私は引き止めが嬉しくてついこう言ってしまったのだ。
「同期らへんの人たちが経験者ですごすぎるから、、」と。つまりこれは核心をついた本音でないのだ。ほんとは、「能力に適性がなくて、、」っていう所なのだ。

◼︎しかしながら変わらないものがある

そして、結果休職となり、その後復職となった。
そこで、私の事情も事情なので、別のデザイナーさんの下で作業をすることになったのだった。
しかしそこで、ハッとさせられる事が起こる。
データがガタガタだったよ
そう、つまり根っこの苦手の部分が改善されてなかったのだった、、、、。
これは結構ショックだった。
なぜなら、自分なりにコンディションも整え、
かなり落ち着いて冷静にやった結果が
それだったからである。

そして悟った。

努力してやれるだけやったとしても限界がある

と。しかも丸3年間も、、、。

最後まで、注意して揃えるとか緻密にやるとかが、不出来なままだったのである。

◼︎変える事ができることって?
 それは仕事のベースを占め能力なのか

このことを通して、人は変えられる事と変えられない事があると思った。

そして、3年もの間努力の末変わらないのなら諦めも必要ではないか、と素直に思った。さらに、
人からの言葉が1番出来不出来がわかりやすいし、それがその業務のベースになる事であれば、なおのこと諦めが必要なのではないかと思った。

私の場合、過去にコミュニケーションについて自信がなかったのだが、これではいけないと思って接客業にチャレンジした経緯があった。
思いの外自分の中でヒットして、案外やってこれたというのがあった。

そのこともあって、「連絡、調整」に関することも努力が実りやすく後々評価に繋がったのがあったと思う。しかし悲しいかな、デザイナーとしてこれはできるに越したことのない能力で、最も核になるのは最も苦手とする能力の部分だったのだ。ー

◼︎諦めることである道があるのでは

総じて、諦める事で開ける道もあると思った。
そしてなにより、自己肯定感も低くいるままでは、時間や人生が勿体無いと思ったからだ。

しがみついて学ぶことももちろんあるけれど、
ある程度の人の意見や時期、そして本音を冷静に加味して見切りをつけることも必要だと思う。

その無駄な努力を諦めて、
少しでもの出来るに努力を振る。
その方が結果、
より人のためになるんじゃないかと思うのだ。

やっぱり食べていくってことは、
この他者のために、という視点があるのかなぁ、と思ったのだ。ならば、より自分自身の需要のあるところで、重宝される方が良いな、と思った。

(※だけれども、強い信念があって続けたいことは別だと思う。)

私はまた、「人」にまつわる仕事に
還ってゆこうとおもうー

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