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アボカドのグラタン

小学校も高学年になると、子どもの世界にも広がりや意思ができてくる。

小学5年生のある週末、私は家族旅行よりも当時やっていたミニバスケの試合に出たかった。
レギュラーとして試合に出られるかどうか境目くらいの技量で
この試合でいい所を見せられるかどうかも今後のレギュラー争いの重要なポイントな気がしていた。

試合には出たいけれど、
そのために家族旅行を中止にしてくれとは言いにくい。
とはいえ私だけ家に残るなんて選択を親が許してくれるはずもない。
大人の手を借りずできることが増えているとはいえ、子どもである自覚はあった。
夜を一人で過ごすことは許されそうにない。
でも、私にとっては旅行より試合の方が優先順位が高いのも事実だった。

どういう流れでそうなったのかは覚えていないのだけれど
その時私の主張は通り、試合に出られることになった。
母親が一緒に家に残ってくれることになったから。

我が家は比較的家族総出でイベントに出かけるタイプの家庭だったので
あぁ、別行動なんて選択肢があったのか。
と拍子抜けしたのを覚えている。

母親は
「旅行のお金がかからない分、ふたりで美味しいもの食べに行こうか」
と言って学校のそばにできたばかりのフランス料理店のコースを予約した。

え、普通のごはんでいいのに。
と思った。
せっかく浮いた旅費をわざわざ使わなくても・・・と。

でもその提案をした母親の顔を見て
私のために旅行に行けないんだから、それくらい美味しいものでも食べないとやってられないんだろうな。
と思いなおして提案を受け入れた。

とても嬉しそうに見えたのだ。
そのレストランの話をする時の母親が。

自分の世界が広がってきたとはいえ、そこは小学5年生。
母親が嬉しい顔をしているのはことのほか嬉しい。
日に日に試合よりも母親と食べに行くフランス料理の方が楽しみになっていった。
実際、私もできたばかりのその店は通学中も気になっていたし
友だちに「あそこ、行ったよ」と自慢できるような気もした。

当日、白いクロスの敷かれたテーブルに並べられたフォークとナイフの数にちょっとビビった。
小学6年生になると自治会がテーブルマナー講習会に連れて行ってくれるけれど
その時の私は目の前のそれらをどういう順番で使えばいいのかまだ知らなかった。

目が泳ぐ私に
「外側から使っていくのよ」
とサラリと教えてくれる母親を
大人だ・・・!と思った。

さっきまで汗のにおいのする体育館でボールを追っていたのに
今はフカフカの絨毯の上の椅子に座ってキラキラの縁取りがあるお皿を前にしている。
そのギャップにそわそわする。

コースの最初だったかふたつ目だったかに「アボカドのグラタン」が出てきた。
「アボカドをグラタンに!珍しいねぇ!」
と母親は楽しそうだが、私はアボカドさんとは初対面である。
珍しいかどうかも分からない。
むしろこちらはどちら様?!アボガドなの?アボカドなの??濁点多くない?!といった感じ。

聞いてみるとどうやら母親は生のアボカドなら食べたことがあるらしい。
お母さん!大人!!!とここでも思う。

アボカドグラタンは半分に切ったアボカドの皮を器にして
くり抜いたアボカドの身ごとグラタンにしているものだった。
クリーミーなアボカドとホワイトソースにチーズの塩味は
アボカド初対面の私にも分かる美味しさだった。

アボカドは生で食べても美味しいらしいとその日母親から教わったけれど
その後の私の人生においてアボカドは過熱しているよりも生の方が食した機会は多い。
エビやサーモン、マグロと一緒に食べるのも美味しいし、
わさび醤油が合うのもにくらしい。

過熱したもので言うと10年位前に流行ったアボカドトーストは
あの日食べたアボカドグラタンを彷彿させるものがあって
ひところは毎日食べた。
パンにマスタードを塗ってスライスしたアボカド、チーズ、胡桃を乗せてトースターでチン。
お好みでかける蜂蜜も美味しい。
グラタンとは違うけれど、とろりと滑らかで温かいアボカドはあの日のことを思い出させる。

その日、母親はとても楽しそうに見えた。

それは初めて見る顔だった。
いや、いつもつまらなそうにしているとかそういうことじゃない。

それまでも母親と2人で出かける機会はもちろんあったけれど
「私のおかあさん」であることに違いはなかった。
家族でちょっといいレストランに行ったこともあるけれど
その時も「家族がつつがなく楽しめるよう気を配る顔」を崩さなかったような気がする。

その日、私の見た顔は
その場を楽しむひとりの女性の笑顔だった。

小学5年生の私はもう、レストランのテーブルの下にもぐりたがる子どもではない。
ナイフフォークの扱いは覚束なくとも
母親が常時神経をとがらせていないといけない程幼くはないのだ。
だからきっと私から目を離して「ひとり」で食事と向き合うことができたのだろう。

旅行に行きたくないとわがままを言ったからこそこの顔を見れたのだなと思うと
なんだか得をした気持ちになった。
バスケの試合はそこそこな結果だったけれど、そんなことどうでもいいくらいに。

その後、スーパーに買い物に行くと
実は野菜売り場にはアボカドがあるということを知った。
私が見ていなかっただけだった。

「お母さん、アボカドって売ってるんだね!」
と驚く私に
「売ってるねぇ!あの時のグラタン美味しかったねぇ!」
と言う顔は「母親」のものだったけれど、
私はもう知っていた。
ひとりの女性として笑う彼女の顔を。

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