愛のベクトル
寝室で寝そべって本を読んでいた。
顔も洗って歯も磨いて、その日は顔面にスリーピングマスクまで塗りたくって
あとは寝るだけという状態、
枕元には猫がいて一通り毛繕いも終わって丸まっている。
猫も寝る準備万端だ。
眠る前には本を読む。
寝室では眠る以外のことをすると脳がベッドの上でも活動モードになってしまうから
ベッド以外のものを置かず、眠るためだけの部屋にするのが好ましい。
ということは知っているものの、眠る前の読書は子どもの頃からの習慣だ。
その日読んでいたのは猫が出てくる小説だった。
小説の中で猫は人間より早く死んでしまう。
私は、大号泣した。
物語の中の猫は誰かの不注意で亡くなるわけではない。
純粋に寿命で一緒に暮らしていた人間に見守られながら逝く。
野良猫だったところを拾われて
家族として愛されて
家族の中の少年が大人になるのも見守って寿命を全うする。
私の号泣の理由の中には、物語の中の人間の寂しさや
愛されて見守られて逝くことに対する「良かったね」の気持ちもある。
でも多分それだけではなかった。
我が家の保護猫たちを重ね合わせて、どうしても心がぎゅっとしてしまうのだ。
号泣する私に気付いた枕元の猫が
ぎょっとした顔でこっちを見ている。
「え、ナニ?どしたん?大丈夫・・・?」
といった感じ。
私は猫に
「可愛いねぇ。可愛いねぇ。大事だよー。
あなたの最後の瞬間まで愛するよ。大好きだよ。
ずっと一緒にいようねぇ。
健康で長生きしてね。」
と声をかけながら撫でる。
猫は「あぁ、いつものことだな」という感じで
私を宥めるように撫でられてくれる。
猫と暮らすようになってから
以前にも増してこの「猫に起きる何か」の物語にめちゃくちゃ心が揺さぶられる。
傷ついた野良猫が治療を受けてごはんの心配をしなくて良い状態になれば
良かったねぇと胸がぎゅっとなり
家族として過ごした猫の最後の描写には大号泣。
そしてその都度傍にいる同居の猫に向かって
「大好きよー。健康で長生きしてねー。」
と真剣に伝える。
まるでそう伝え続けることで本当に猫が健康で長生きしてくれるとでもいうように。
元々猫は好きだ。
猫と一緒に暮らすのも初めてじゃない。
なのに今一緒に暮らしている猫をお迎えしてから
圧倒的に猫が出てくる物語に心が揺さぶられるようになった。
多分、この2匹が私の人生において
私が責任を持って一緒に過ごしている最初の猫だからだろうと思う。
いやぁ、最近猫の話を見聞きすると情緒が乱高下だわ。
と思ってふと気付く。
これは
「子どもが生まれてから子どもが辛い思いをするような話を見れなくなった」
と言っていた知人・友人と同じ心理状態なのではないかと。
我が家には子どもがおらず猫がいる、という状態なので正確には比較できない。
もちろん個人差もあるだろう。
でも昔
「子どもは元々可愛いし好きだと思っていたけれど
自分の子どもが生まれてからは、いじめのニュースとか見ると
辛くて辛くて見てられないし
もし自分の子どもがそうなったら私はどうすればいいだろうって真剣に考える」
と言っていた友だちがいたのを思い出すと
その気持ちの変化のベクトルは似ているような気もする。
責任を持って愛するって同じような方向に思考や行動が向かうのかも知れないなぁ。
とはいえ、人間の子どもと違って猫は自立して生きていくことを目標にしてないし全然違うのは重々承知なのだけれど。
私は号泣しながらひとしきり枕元の猫を撫で、愛を伝えた。
猫は「しょうがないなぁ」という顔で文句も言わずそこにいる。
気持ちが落ち着いて「そろそろ寝ようかな」と思ったところで気付いた。
私の顔は猫の毛だらけだった。
スリーピングマスクまで塗った顔はペタペタしていたし
猫は換毛期だったのに顔を近づけて撫でていたのだから当然だ。
「ちょっと顔洗いなおしてくるね」
と猫に伝えて立ち上がる。
ドアの前で振り返ると猫は毛繕いを始めていた。
私が撫でまくったせいで乱れたらしい。
ごめんて。
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