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素麺と水羊羹

その年のお中元は素麺が多かった。
なんかもう毎日毎日お昼は素麺を食べているのにまた送られてくる!
みたいな感じだった。

はじめての長い夏休みを経験中の小学1年生の私、
自宅に構えていた事務所で働いている母、
そして病気療養のため家にいる(普段は遠くに暮らしている)父方の祖母の3人でせっせとそれを消費した。

今はお中元もお歳暮もそんなに沢山送ったり送られたりはしないのだろうけれど
当時はそういう進物が沢山行き来する時代で
小さく商売をしていた我が家にも毎年結構な重量のそれらが届いていた。

商売と言っても自宅の一部屋を事務所として使っているという程度だったけれど
そんな我が家でさえ頂いたものをお床の上に重ねていけば掛け軸がちょっとばかり隠れる程度の体積はあった。
自営業で生計を立てていた方はどうしていたのだろう。

はじめての長い休みだった小学1年生の夏休み。
私は暇を持て余していた。
朝、ラジオ体操に行った後は学校の決まりで10時までは家で過ごさなければならなかったのだけれど
そもそもその10時までが長い。
大人になった今なら「息してたら1歳年取ってた!」くらいの時間の感覚なのに
あの頃は全ての時間が長かった。

そんな中でずーっと家の布団の中にいる祖母は格好の暇つぶしの相手だった。
茶道や華道、日舞や日本画の先生として生計を立てている祖母はシャンっとした人で
仕事中の小さい体で背筋をピンと伸ばし遠くを見据える表情は
ピリッとしたちょっと近寄りがたい空気を感じる人だった。
とはいえ、孫である私には相応に甘かったのだけれど。

その祖母が仕事を休んでずっと寝巻で布団にいたのだから
もしかしたら結構悪かったもかも知れない。
けれど、そこら辺のことは私はあまり覚えていない。
ばーちゃん、夏休みの間いるのかー。遊んでもらおーっと。
くらいにしか思っていなかったような気がする。

夏休みの間、暇にかまけて祖母に教わったのは俳句、しりとり、そして卵焼き。

寝床で何か書き物をしている祖母に「何してるの?」と聞いたら
「これは俳句」と言われた。
私にもできるか?と聞くとできると言うのでその時から私は俳句を作るようになった。
この習慣は小学5年生でちょっと大きな賞を取ってプレッシャーに負けるまで続く。

しりとりは何もなくても寝そべったままでもできるいい遊びだった。
大人とやるしりとりは私の知らない言葉が沢山出てきて
「それは何?」と聞くと答えが返ってくる。
何と言っても暇なので何度も繰り返しているうちに
祖母が教えてくれた言葉は私の語彙の中に加わっていった。
りんたく、桔梗、かりゆし・・・
あの時私のボキャブラリは飛躍的に増えたのではないかと今も思っている。

最後は卵焼き。
病気療養中とは言っても祖母はお昼ごはんを作る程度には元気だった。
多分、毎日ではなかったはずだけど。

お昼ごはんはお中元で沢山もらった素麺。
でも素麺だけだと栄養が偏る。
という事情だと思う。
この夏に限らず我が家の素麺は大抵具沢山だ。

ネギ(西日本なので青ねぎ)、ゴマ、海苔(これも頂き物)
カニカマ、きゅうりの細く切ったものに錦糸卵、時々ツナとか山芋をすりおろしたものもある。
その時々で入るものは違うけれど薬味と言うには多いそれらを麺つゆに入れて素麺と一緒にすする。
その時ほぼ100%入っている具材が錦糸卵だった。

何でもやりたい暇を持て余した私は
「それ、私もやってみたい!」
と言った。
そして多分、同じように暇を持て余していた祖母が教えてくれた。

お椀に卵を割って、カラザを取り除いてお箸でかき混ぜる。
白身が切れるように滑らかになるように丁寧に。
フライパンはしっかりと温める。
温度は手をかざすと分かるけど、火傷しないように気を付けて。
フライパンに水分が残っていないのを目と耳で確認したら油をたらり。
油がサラリとなってフライパン全体に広がったら卵をジャッと入れる。
この時ジャッと音がしたらちゃんとフライパンが温まっていた証拠。
ぷっくりと膨らんでくるところは箸で潰して、そこにも卵液が入るようにフライパンを傾ける。

毎日焼けば少しずつ上達する。
ぼこぼこで厚かった薄焼き卵も
夏休みが終わるころには口の中でもそもそしない仕上がり程度にはなっていた。

私は上達したくて、ただそれだけで夏の間中素麺に飽きることはなかった。
多分、大人たちは飽きていたと思うけれど。

今思い返してみれば子どもの料理を見守るのは結構面倒だろうと思う。
ケガしないように・・・と思うと気を配る分量が多い。
祖母が暇を持て余している療養中だったからこそ叶ったことなのだろうなと思う。

その年、素麺に次いで多かったお中元は水羊羹。
小ぶりの缶詰にみっちりと詰まった水羊羹は
付属の透明なスプーンですくって口に入れるとちゅるんと喉まで薄甘く滑り落ちる。

「あんこは粒あん一択!」の母親はあまりそれを好まなかったので
素麺の後のデザートとして私と祖母がほぼ全部頂いた。

祖母が療養期間を終え自宅に帰るころには
素麺も水羊羹もほとんどなくなっていた。

夏休みが終わった後も少し残ったそれらを
私は食べきってしまうのが惜しかった。

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