2023年9月前半の日記

9月□日
希死念慮にも種類がある。今日は「消えたい」と「死にたい」が混ざっていて一刻も早くという性急さは無かった。手段が有れば……という感じだったので、もし普通の健康な人でも望めば安楽死が合法に一般化されたらのシミュレーションをしてみる。
安楽死をいざ行うとなった時に、おそらく前段階で麻酔か睡眠薬で眠らせるだろうけど、その段階で私はめちゃくちゃ取り乱しそうだな。
取り乱して「やっぱやめ!」と叫んだ時に、その訴えは通るのだろうか。その前の段階で同意書とか注意事項への署名は済ませているだろうから、そちらの意思を尊重されて普通に行われるのか。
多分私は取り乱し叫びながらも「過去の私の方を信じてくれ」と思ってそうだなと思った。

少し話は変わるが、免許証、保険証、マイナンバーカード、臓器提供意思表示カード。それら全ての臓器提供についての記述をバラバラにしていたら、一体どれが採択されるのだろう。どの自分の意思が、一番力を持つのだろう。それ専用のカードである臓器提供意思表示カードだろうか。それとも発行日時が一番新しいやつだろうか。

しかしまあ、安楽死を望む自分のことは置いておいて、実際その処置をする病院の医者ってかなり負担が重そうだなと思う。死刑の実行を担当する人もかなり精神に負担がかかるらしいので。外国での安楽死では医師が手を下さず、患者本人が薬を摂取することによって行うって書いてあったけど、薬の用意をするのは医師や看護師だろう。それにちゃんと行われたかは、やはり医師が確認するだろうし。

アステカの生贄の儀式だって超段階を踏んで時間をかけるから、不定期にどれくらいの人が亡くなろうとするかわからない安楽死の現場で働く人って疲弊しないだろうか? それに終末医療などと違って安楽死を希望している本人が健康的には何も問題が無かった場合、意識がハッキリしているおかげで躊躇っている様子とかも見るだろうし。

そんな風に医者への負担が凄まじいから、まだしばらくは安楽死は実用化されないだろうなと思いながら横になっている。わざわざめちゃくちゃ勉強をした人にギリギリまで負担をかけることと、死を望む人にそのようにすることの価値はまだつり合ってないだろうなと暗いモヤがかかったような頭で思う。


9月≒日
ホテルソウルズで真エンドを見るぞ
何度でも階段を降りてそれに会いに行く。


9月♪日
こんなに胸がスカスカと空いているような気持ちなのに抱きしめるぬいぐるみすら無い。


9月◆日
柔らかい綿の塊になって撫でられたいような、ふわふわのなにかを抱きしめたいような、そんな気分だったけど日常の色んな事を次々こなしていかないと時間がどんどん過ぎ去ってしまう。


9月α日
片付けする元気がないから、メイドインアビス12巻でパッキングをするヤタラマルでも見てやる気を出すか……

ようやくヤタラマルをワズキャン'としてじゃなく、ヤタラマルとして認識できるようになってきた。
でもこれでワズキャンの関係者だと明かされたらどうしようね。ボンドルドのキャンプにスラージョがやってきた時、ヤタラマルらしき人影がいなかった→6層で出会った可能性。それとスープに工夫を加えてたし、やっぱりワズキャンの……と思ってしまう。


9月△日
精神がダメでスマホと天井しか眺められないような状況でも、私は料理の失敗をしないという特性があることに気付いた。ヘロヘロな状態で作った野菜炒めでも、実家に帰って疲れ果てた状態で作ったカジキのソテーも上手くいった。他の洗濯とかのミスはバンバンしたのに。

スキル:疲労状態でも料理の成功率が下がらない

みたいなのが付いてるのかもしれない。他のスキルの方が有用な気がする。もっと単純に体力アップとかのスキルが欲しい。

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