相手がどういう言葉を選ぶのかを気にするタイプ
どういう言葉を選ぶかで、
「目の前で起きていることのどの点に注意を払っているのか」
「その言葉を選んだ背景にある思考はどのように積み重なってきたか」
「事象のある部分に注意を払った結果次にどういう行動を取り得るのか」
「その行動の期待値が最も高くなるような、その人の原体験はどのようなものか」
こういったパーソナリティが垣間見える気がします。もちろん、ほとんど推測に過ぎないので、相手に質問してみないと真実かどうか分からないし、話を聞いたとしても実際に行動に起こす(又は起こさない)まではどんなことも仮説でしかありません。
とはいいながら、生活しているだけで無数の誰かの言葉が僕らの側を通り過ぎていくわけなので、いちいち確かめるわけにもいきません。
かなりの程度は推測のままで、こちら側の言葉やアクションを選ばないといけないわけです。
そこにはちょっとしたリスクから、関係性を大いに危険にさらす可能性もはらんでいるものです。それでも、僕らは何か行動を起こさなければ、それはただの停滞であり無変化であり、少なくとも比喩的には死に近い状態ということになります。
そうであるので、大抵は相手が発した言葉の意味とかを深々と考える前に話しかけてみたりアクションを起こす方がずっと世界が開けることが経験的には多かったような気がするので、僕は今後も迷えば確率が高くなさそうでも、何かを期待してアクションを起こすと思います。
とはいうものの、癖なので、やっぱり考えてしまうものでもあります。相手は何考えてるんだろうって。僕の生き方の癖みたいなもんですね。聞けばいいのにってケースも多々ある。本当に多々あった。
しかしさすがに僕もいい大人なので、どうしようもなければ、「今何考えてます?」とか「どう思いますか」くらいは気を利かせた口調とテンションで場を取りもつくらいのことはしておきたい。そうして会話が転がり出すものですから。と格好つけてみても油断すると、考えこんでパッシブモードにすぐなる。そういう自分と行ったり来たりしながら、僕の明日は作られていくのだと思います。
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