SIIFインパクト・エコノミー・ラボのカタリストがシステムチェンジを語る
2017年にSIIFの前身である社会的投資推進財団が設立されてから6年が経ち、日本にもインパクト投資が根付いてきました。しかし、それが現実の社会課題の解決にどれぐらい寄与できているかは、必ずしもまだ明らかではありません。そのためにSIIFは2022年に戦略を更新し、注力する3つの社会課題領域(地域活性化・機会格差・ヘルスケア)を設定しました。今年は、地域活性化・機会格差について「Systems Change Collective事業」を、ヘルスケアについて「SIIFICウェルネスファンド」を立ち上げ、実践に動き始めています。
他方で、加速している世の中の変動に対応するために、領域にとどまることなく幅広く知見やノウハウを収集・蓄積し、共有するために立ち上げたのが、知識創造部「インパクト・エコノミー・ラボ」です。SIIFという1つの組織の中で、実践と研究を並行して進め、双方を行き来することによって、社会課題の解決を目指したいと考えています。ここでは、2年目を迎えたインパクト・エコノミー・ラボが果たす役割、これまでに得た知見について、ラボの中でシステムチェンジの研究をリードするインパクト・カタリスト古市奏文、亀山愛、川端元維が語ります。
世界のインパクト投資が「システムチェンジ」を志向し始めている
古市 近年、世界のインパクト投資の潮流に、変化が生まれ始めています。個別の投資やインパクト評価に留まるのではなく、「インパクト投資を活用することで社会自体をより良くしていくために働きかけを行っていく」ことをより深く追求しようという動きです。それは、課題を生み出してしまう社会構造そのものの変革させる、すなわち「システムチェンジ」を志向するものといえます。
われわれインパクト・エコノミー・ラボ(以下、ラボ)の役割は、「システムチェンジ」に向かうための「実践知づくり」、学習や共創の「場づくり」、「ムーブメントづくり」に取り組むことです。現在は、国内と海外の両方でシステムチェンジにつながる事例をリサーチし、データベースを構築しようとしているところです。
「システムチェンジ」という言葉は、まだ広く知られてはいませんし、定義が確立されているともいえません。ただ、社会課題を解決するためには、1つ1つの具体的な課題に対処していくだけでは足りず、課題を生み出すシステムそのものを根本から変える必要がある、という認識は、国内外で拡がってきています。
ラボではまず「社会課題とは、そもそもどんな構造をしているか」を探索しています。1つの課題を深く見ていくと、そこに別の課題がつながっており、互いに複雑に絡み合っている。その形態は、背景にある状況や力関係によっても変容し、解決するための正解や決まった手順は存在しません。こうした厄介な問題を「Wicked Problem」(注1)と呼んでいます。
裏を返せば、この課題の複雑さこそが「システムチェンジ」を志向する理由になっているといえます。個別の課題を解決するのではなく、構造の「どこか」に介入することで、構造全体の変革を導く以外に、根本的な解決策はないのではないか。例えば、SIIFがこれから事業で取り組む実践を通じて、介入するべきレバレッジ・ポイントを探ることが、システムチェンジに向かうための方法論ではないかと考えているところです。
(注1)「Wicked Problem(複雑な問題)」とは、デザイン思考のパイオニアであるHorst RittelとMelvin Webberによって1973年に提唱された社会課題の定義で、複雑で多くの要因が絡み合い、その要因同士が相互に影響し合うことで、問題をどのように定義し、問題をどのように解決するかについて解決策を見つけることは難しい問題のことを指します。Wicked Problemの解決は一度実施されても、問題の構造自体が変化する可能性があり、このような問題は、単純なテクニカルなアプローチでは解決できないことが多いとされています。我々の考えでは、インパクト投資はWicked Problemに対処していく一つの考え方として有効であり、今後のインパクト投資は、問題の複雑性を認識し、持続的な解決策を見つけるために多くのリソースと専門知識を組み合わせた「システムチェンジ投資」に移行していくと考えています。
システムチェンジを掲げる国際的なネットワークに参加
川端 欧米では、システムチェンジを旗印とする取り組みが始まっています。たとえば「TWIST」は、デンマークに本拠があるカタパルト・ファウンデーションが母体のシステムチェンジ実践者のネットワークです。ここには欧米だけでなく中南米やアフリカ、台湾からも参加して、システムチェンジにまつわる事例を共有しています。私たちもこのネットワークに加わって、今後どんな協働が可能かを話し合っているところです。
世界的にも「システムチェンジ」という概念は比較的新しいものです。大まかな方向性は共有していると思いますが、地域や組織によって具体的な方針や指標には差異があります。これから何十年かかけて共通指標ができるのかもしれないし、多様性を包含したまま進化していくのかもしれません。
古市 国内では「システムチェンジ」という言葉を意識してソーシャルビジネスに取り組んでいる例はまだほとんどないと思います。ただ、これまでの方法で本当に社会課題を解決できるのか、限界を感じている人たちが現れていることは間違いありません。そういった人たちが互いに連携したり協力したりしながら、より大きな枠組みで事業開発にチャレンジする事例が増えています。これは、日本におけるシステムチェンジ志向の萌芽ではないでしょうか。
ラボでは、こうした事業者に会って直接話を聞いたり、現地の様子を観察するなどのリサーチを行っています。一例として先日、東日本大震災の被災地である石巻で合宿をしました。石巻では発災直後から復旧・復興支援のために様々なリソースが投入されましたが、10年経ってみて振り返ると、その場限りで終わったものもあれば、今に至るまで継続しているものもある。システムチェンジにつながりそうなプロジェクトも発見できました。
川端 私はシステムチェンジにまつわる潮流を調査・観察する際、「お金の流れ」「ネットワーク」「知見」「実践」の4つを切り口にしていますが、海外のシステムチェンジのプロジェクトではこれらの観点が複合的に絡んで整理が進んでいるのが特徴です。例えば、オランダの「Deep Transitions」という取り組みにも注目しています。これは、産業革命を人類の「最初のトランジション」と捉え、そこから始まった化石燃料依存からの脱却、つまり「二度目のトランジション」を目指すリサーチプロジェクトで、ユトレヒト大学のJohan Schot教授がリードしています。そして、そこに、研究者だけでなくベイリー・ギフォードやジェネレーション・インベストメント・マネジメントのような機関投資家を巻き込んで実践と研究の両輪を回している点がユニークです。
亀山 システムチェンジの手法も定義もアプローチも、今、世界中でそれぞれが模索しながら前に進もうとしているところだと思います。研究と実践を行き来しながら探索しているところも似ています。誰かが飛び抜けて前を進んでいるわけではなく、誰も正解を持っていない。そこが面白くもあり、難しくもあるところです。
ただ、TWISTやDeep Transitionsの話を聞いて印象的だったのは、意思決定と行動のスピード感です。アウトカムが予測不可能であることを前提に、トライ・アンド・エラーから学びを得て、プロセスの中で柔軟に軌道修正をしています。システムチェンジと関わって行くためには、私達自身も行動変容が求められていることを感じます。
さらに、システムチェンジを起こすには、様々なステークホルダーを巻き込まなければなりません。社会起業家やスタートアップも、行政も、投資家も、既存の大企業も。そのためには、みんなが当事者意識を持って、パートナーとして一緒に考えて進んでいく必要があるでしょう。彼らの組織づくり、ネットワークづくりのアプローチも、システムチェンジ志向だと感じます。
システムチェンジを目指して、みんなが1ミリずつ前進すればいい
川端 「Deep Transitions」などもそうですが、化石燃料依存からの脱却を目指さないと、もはや人類にとってサステナブルな未来は描けないかもしれません。そういった、短期的で局所的な課題解決手法では到底対応できない、という危機感が、より長期的に課題の根本的解決を目指すシステムチェンジへの志向につながっているのではないでしょうか。
古市 もう改善ではうまくいかないので、抜本的なシステムチェンジが要求されるようになっているんだと思います。とはいえその一方で、既存のシステムには必ずステークホルダーが存在するわけですから、いきなり全体をチェンジしようとすると大きな軋轢を引き起こして、うまくいかなくなる可能性が高い。
ですから、ある意味したたかに、少しずつ、システムチェンジの兆しのようなものを社会に組み込んでいくことが重要だと考えています。誰もが採り入れやすく、同じ目標に向かいやすいような、何らかの仕掛けづくりが必要でしょうね。
川端 「Deep Transitions」などでは、システムチェンジを起こしうるプレーヤーを「ニッチ」と呼んでいます。しかし、ニッチを育成するためには、システムチェンジの領域に流れるお金の総量が増えなければならない。システムチェンジを志向する起業家や新規プロジェクトの育成も含めて、システムチェンジの土壌を耕すための資金量が増大すれば、その中からやがてシステムチェンジを牽引できる有力なプレイヤーが育つ可能性も高まります。
亀山 冒頭で古市さんがお話ししたように、私たちラボでは、システムチェンジにつながる事例のデータベースを構築し、公開していく予定です。さらに、システムチェンジを目指す仲間を増やしていくための勉強会も企画しています。地域の事業者や投資家、企業をはじめとした多様なステークホルダーと学び合い、実践し、その経験をまた共有する。ゆくゆくは、規模の大きなイベントも開催したいと考えています。このような活動を通して、日本でも「システムチェンジ」志向のうねりを起こす媒体(カタリスト)となり、エコシステムを構築していくことを目指しています。