美味しいだけじゃない。22世紀の「食」を見据えた大人気チーズケーキの秘密
金曜と土曜の夜にだけ買える、特別なチーズケーキがある。
「CHEESE WONDER」。なめらかな生チーズスフレと生チーズムースの2層構造が特徴で、口にいれた瞬間、濃厚さと軽やかさが同時に広がる。
オンラインで販売され、即完売。累計の販売数は、これまでの2年半で120万個を突破した。北海道に拠点を構える株式会社ユートピアアグリカルチャーが生んだヒット商品だ。
美味しさの鍵を握るのは、原料に使われる「放牧牛乳」。自社の牧場で放牧された牛からとったものだ。
放牧牛乳は、一般的な牛乳に比べてビタミンやカロチンが豊富で、お菓子に加工された際の後味がより風味豊かになるという。
しかしこの「放牧牛乳」、単に、美味しさを生み出すだけのものではない。気候変動や食糧危機など様々な社会課題が絡み合う現代、そして未来の「食のあり方」のヒントが詰まっているのだ。
SIIFの新連載「インパクトエコノミーの扉」第1回では、北海道の地で生まれたこだわりのチーズケーキの秘密、その扉を“ノック”していく。
食の最先端を目の当たりにし、残したいものに気づいた
「とにかく美味しいお菓子を作るために必要な、美味しい原材料を探す中で出会ったのが放牧という選択肢でした」
ユートピアアグリカルチャー代表取締役の長沼真太郎さんは、このように語る。
「北海道ミルククッキー 札幌農学校」などのヒット商品を数々生み出してきた老舗洋菓子店「きのとや」の創業者を父にもつ長沼さん。幼少期から北海道の素材で作られたお菓子を食べて育った長沼さんは「お菓子はとにかく原材料、特に乳製品が重要」だという。
「草を食べて育った牛からとった放牧牛乳は、一般的な牛乳よりも味が薄めでサラッとしています。加工するとその違いがより際立ち、より風味が豊かになりやすいんです」
大学を卒業後、丸紅株式会社、家業の「きのとや」を経て、2013年にお菓子のスタートアップを起業し大成功に導いた長沼さん。2017年8月にその会社を離れ、何をすべきか迷っていた頃、お菓子の原材料にもっとこだわりたいという思いを強く持つようになった。
きっかけは、2018年にアメリカ・シリコンバレーへと渡り、スタンフォード大学客員研究員として最先端のアグリテックやフードテックに触れたことだ。
アメリカでは、環境問題や健康意識への高まりなどを背景に牛乳を飲む習慣が廃れ、乳業メーカーの市場撤退が相次いでいる。代替肉や培養肉、植物性タンパク質を使ったアイスクリームなど、より工業化・効率化されたもの、より環境負荷の低いとされるものに、注目やお金が集まる様子を目の当たりにした。
こうしたトレンドを前に、長沼さんの脳裏にはある直感が思い浮かんだ。
「だからこそ、誰かが本物の牛乳を残すべきではないか、と感じました。日々の食事は、代替肉や植物由来の物へと変わっていくかもしれません。しかし、ハレの日に味わうための、究極の嗜好品としてのお菓子は残るはず。本物のお菓子を作るためには、従来から使われてきた牛乳がやっぱり必要なんじゃないか、と思ったんです」
美味しいお菓子づくりの元になる、美味しい牛乳をつくるために、「自分で牧場をやろう」。長沼さんは、自ら放牧酪農にチャレンジすることを決めた。
課題が山積みの「牛の飼育」に、どうアプローチするか
長沼さんはこの頃、「リジェネレイティブアグリカルチャー(環境再生型農業)」という概念と出会う。地球に負荷をかけ、とにかく効率的な収穫を目指す従来の農業のあり方を見直し、文字通り「環境を再生させる」ことを目指すものだ。
シリコンバレーでは当たり前に知られていた、牛を扱う畜産や酪農の莫大な環境負荷の問題。例えば、牛肉1kgを生産するためには、エサとなる穀物が約11kg(豚で6kg、鶏で4kg)、水が約2万リットルも必要となる。世界の温室効果ガス排出量のうち15%を家畜が占め、そのうち65%は牛肉もしくは牛乳を作る過程で生まれるとも言われる。また、牛のゲップには、二酸化炭素の20倍以上の温室効果があるとされるメタンガスが含まれることも特筆すべき点だ。
こうした問題に対して、放牧は一つの解決策になり得る。
牛が自由に歩き、土を踏み固めることで、土壌には刺激が加わる。さらに、ふん尿には肥料となる成分や有機物が含まれているため、土の中の微生物も増加する。こうして「良い土壌」を増やすことができれば、牧草がより多くのメタンガスや二酸化炭素を吸収・隔離してくれるのだ。
加えて、放牧では牛が草を食べるため、輸入するエサの量を最低限にすることができる。
牛乳を作るあらゆる過程で生じる温室効果をなるべくゼロに戻し、それ以前よりも地球環境をより良いものにする。これこそ「リジェネレイティブ(環境再生型)」と呼ぶべきものだ。
「美味しいお菓子の原材料を求めていった先で、たまたま出会った『放牧』が、地球にとってもサステナブルなものだとわかりました。わかったからには、伝えていきたいし、広げていきたい。そう思うようになりました」
放牧の良さを科学的根拠を持って伝え、その輪を広げていくために、北海道大学やSONYと連携した実証実験なども続けている。
放牧のしんどさを体験したから、大人気チーズケーキが生まれた
美味しくて、さらに地球にも良い。良いことだらけに見える放牧だが「生き物を相手にするのは、やっぱり正直大変です」と長沼さんは漏らす。
「最初は放牧を舐めていました。牛を飼ってみて、初めて酪農の大変さがわかった。牛が妊娠して、乳が出るわけですが、1日2回は絞らないと病気になってしまう。『365日、1日2回、乳を絞る』というのは言葉にすると簡単に思えますが、実際は相当大変なことでした」
だからこそ、ユートピアアグリカルチャーは、冒頭のチーズケーキ『CHEESE WONDER』を作ったのだという。
アメリカから帰国した当初は、酪農事業と養鶏事業という原材料生産のみに注力するはずだった。しかし菓子事業や、サブスクリプション(定期購買)事業にも取り組むようになったのは、「身をもって酪農の苦労を知り、もっと多くの人に放牧牛乳の価値を知って欲しくなったから」。
「どれだけ放牧の魅力を伝えようと思っても、日本ではまだまだ放牧の価値が低く見積もられているのが現状です。そもそも意識すらされていないかもしれない。だからこそ、お菓子や牛乳などの身近なアイテムを通じて、多くの人に放牧の魅力や価値を伝えたい、と考えています」
そんなユートピアアグリカルチャーが提供する「GRAZE GATHERING」というサブスクリプションでは、4週に1回、放牧牛乳や放牧牛乳100%で作った飲むヨーグルト、放し飼いに近い鶏舎で採れた卵が届く。
放牧牛乳の味は季節によって変わるため、夏はさっぱりとした味を、冬にはより濃厚な味を感じることができる。より自然に近い方法で生産しているからこそ、完全に同じ味に再び出会えない、一期一会の体験ができる。
「商品を届ける中で知ったのは、放牧やリジェネレイティブアグリカルチャーに興味を持つ人の多さでした。サブスクを通じて、そうした人々とのコミュニティーを作り、仲間の輪を広げて、この業界を盛り上げていくことができればと思っています」
遠いアメリカの地で拾い集めた事業の種は、北海道で着実に実を結びつつある。しかし、ここ数年の歩みは、同社が始めようとしている壮大な実験の序章にすぎない。
「日本には僕らの他にも放牧酪農をやっている方達がたくさんいます。その素晴らしさを知ってもらうためにもっと頑張りたい。そして何より大事なのは、選択肢を増やすことだと思っています。牛乳で言えば、全てを放牧牛乳へ置き換えたいとは思っていません。ただ、放牧牛乳を買いたいと思った人がいても、今は手に取ることができる場所がない。それを変えていきたいんです。
お菓子も同様です。世の中のお菓子作りの多くは、フレーバーを変えるなどのマイナーチェンジばかり。その方が経済合理性は高いかもしれませんが、そこに対抗したいんです。ただ単に規模や合理性を追い求めるのではなく、誰かを感動させることができる本当に美味しいお菓子もあるよ、と伝えたい。そうした選択肢を増やしていった先に、弊社のビジョンである『22世紀に続く酪農とお菓子の環境作り』が見えてくるのかなと思います」
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ユートピアアグリカルチャーが現在販売しているお菓子は「CHESSE WONDER」と季節限定フレーバー、そして4月にローンチした自分で炙るチーズケーキ「MELTY MAGIG」の3つ。
公式サイトはこちら
UTOPIA AGRICULTURE | 株式会社ユートピアアグリカルチャー
SIIFの編集後記 (インパクト・カタリスト 古市奏文)
〜ユートピアアグリカルチャーが開く、インパクトエコノミーの扉とは?〜
様々な産業を次世代のサステイナブルな形に移行する考え方として、トランジションデザイン(注1)が今注目されています。今回取材したユートピアアグリカルチャーもまさしくそういった考え方を事業のコアに持つ会社の一つと言えるでしょう。
とかくすると我々は社会に大きな変革が起きることを求めがちですが、社会に変化を生み出し、トランジション(移行)していくことは実はそんなに簡単ではありません。いま本当に必要となっている変革とは、一つ一つは小さくて見えないような変化の積み重ねの上で実現し得るものがほとんどだからです。
ユートピアアグリカルチャーの巧みなところはそういった社会を変えていくコンセプトやアクションを「お菓子」という極めて身近な商品に組み込むことで、消費者に対してごく自然に将来の農業や環境と向き合う機会を創出しているところにあると感じます。
(注1)トランジションデザインとは、気候変動や資源枯渇、格差の広がりなど、21世紀の社会が直面する地球規模の複雑な問題に対して、長期的な未来ビジョンを思い描き、ボトムアップの様々な活動を設計・集約することで、持続可能な社会への「移行」を促すためにデザイン手法。2010年代初頭にカーネギーメロン大学のデザイン学部が提唱し世界的に広がっている。