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映画感想:THE BATMAN‐ザ・バットマン‐(ネタバレ有り)

 僕は何よりザック・スナイダーが撮ったベン・アフレックのバットマンが歴代で一番好きだったので、今作が作られると聞いた時は、正直肩を落としていた。
 監督がマット・リーヴスという間違いない人材なのは分かっていたが、ベン・アフレックじゃないのならどうでもいいや……くらいに思っていたのだ。それくらい、ベン・アフレックのバットマン降板劇にはがっくりきていたのである。

 まあ、その怨念はスナイダーカットを観れたことによってあらかた成仏したので、それからは今作のキャストやビジュアルが発表される度に、素直に楽しみにしていた。
 それで、ワクワクしながら映画館に出向いて観たのだが、さすがマット・リーヴス!凄く真面目に丁寧に、清く正しく美しくカッチリ撮ったなあ!というのが一番の感想です。

 今作は恐らく、今までのバットマン映画の中で、一番地に足が付いたバットマン映画だ。一番近い手触りなのは、ネットフリックスのデアデビルだろうか?
 まず、今作のバットマンはド派手なアクションをしない。気の利いたカメラワークの中、スローモーションで悪党を倒したりしないし、華麗にケープをなびかせ、空を舞ったりしないのだ。
 ヒーローらしからぬ……といったところだが、正にその通りなのだ。初登場シーンからして、完全にホラーである。暗闇から、ゆらりと現れるその姿は、初々しくもヤバい奴感が満載だ。
 かといって、無敵超人というわけでもない。今作のバットマンは、徹底的に”人間”として描かれている。
 まだビジランテ活動をし始めて二年ということもあり、行動は何から何まで地に足が付いているのだ。悪党は凄く生々しい暴力で叩きのめすし、反対にやられて気絶したりもする。スーツもガジェットも手作り感が残っていて、空を滑空する際は躊躇いながらケープをムササビスーツのようにして飛ぶし(この解釈は本当に地に足が付いているなと思った)、バットモービルもバイクも改造車の域を出ない。なんというか、この映画にはずっと現実の血が通っているのだ。

 これはマット・リーヴスの狙いらしく、カメラワークもアクションも、地に足が付いた目線、人間が捕捉、視認可能な視線で撮っているのだという。だから、スローモーションで弾丸を映したりしないし、瞳の中にズームしたりしないのだと。
 こうやって文章化すると、それってやけにつまんない絵面の映画じゃない?と思ってしまうが、全くそんなことはない。三時間の長丁場だが、画面上に一切の隙が無く、常に”ゴッサムシティ”という世界がぶれずに映り続けるのだ。

 街並みの色合いはバットマンビギンズに似ているが、外だろうと、中だろうと、昼だろうと、夜だろうと、画面は常に完璧な”ゴッサムシティ”という概念が映っている。錆びていて、ほこりっぽくて、陰っていて、濡れていて、うらぶれていて、治安が最悪で、そこかしこから煙が漂うジットリとした街……。どの場面のどこを切り取ってもゴッサムシティなのだから、美術も撮り方も素晴らしい。
 そしてそこに、ミスキャストという概念が一切見当たらない登場人物たちがいるのだ。あのゴッサムシティの住人たちが。
 ロバート・パティンソンの繊細に病んでいる自滅的な若いバットマン、しなやかな色気満載のゾーイ・クラヴィッツのキャットウーマン、ぬるっとした狂気と脆弱さを湛えている完璧な佇まいのポール・ダノのリドラー、今までで一番マフィア然としているコリン・ファレルのペンギン、腐敗組織の中で苦悩する正義のジェフリー・ライトのジム・ゴードン、ブルースの全てを理解しつつも、悲しい目で見守ることしかできないアンディ・サーキスのアルフレッド……。
 キャスティングは完璧だろう。それぞれがそれぞれ、ハマり過ぎている。書き出していけばキリがないが、特に良かったのはアンディ・サーキスとジョン・タトゥーロだろうか。
 アンディ・サーキス演じるアルフレッドの、ブルースから家族じゃないと言われた時の表情。猿の惑星三部作で、喜びも悲しみも苦しみも全て味わってきたシーザーの生涯を演じ切ったアンディ・サーキスだけあって、本当に演技が上手い。セリフ無しで、顔の演技だけでブルースに対する思いと憂いと、自身の悲しさ、虚しさを表現していた。もう、本当に何か賞を上げてくれ!と思う。
 そして、ファルコーネを演じたジョン・タトゥーロ。トランスフォーマーのふざけたオヤジと同じ人間は思えないほど、悪しき父性を湛えているマフィアを演じていて、凄まじかった。あの独特の、正に猛禽類の鳥のような声。サングラスも相まって、大人びたいぶし銀の悪といった感じで、めちゃくちゃ格好良かった。悪なんだけど。

 悪と言うと、メインヴィランのリドラーも凄く良かった。ポール・ダノが演じている時点で間違いないとは思っていたが、こうも完璧だとは思わなかった。あのぬるっとした気味の悪い顔つき。暴力シーンの時に、華麗にならないのもいい。喚きながら凶行に及ぶのが生々しかった。結果、物理的にボコボコにされないのは残念だったが、出自の設定には唸らされた。バットマンと表裏一体の存在として描くなんて。
 今作のリドラーの存在は、バットマン、というより、ブルース・ウェインという存在の核心を突いたというか、どれだけビジランテ活動をやって正義のヒーロー然としていても、それは結局お前が金持ちだからできたことじゃねえか!というツッコミ、アンチテーゼのようにも思えた。酷く貧しい環境で育った故に、悪に堕ちたリドラー。どうしてこんな……という鬱屈した疑問、謎を抱え続け、それを爆発させたリドラー。バットマンのオリジンとまるで紙一重だ。豊かさの境遇と行き過ぎた正義の方向が違っていただけで、正に裏と表である。常人からしたら、パッと見は同じカテゴリーに入ってしまうだろう。作中に何度も使われていたFREAK、奇人、変人、狂人というカテゴリーに。
 ただ、そこまでしておいて、クライマックスに真っ直ぐに人助けを、過去の自分と重なる子供を助けるシーンを入れてくるのだから、正義のヒーロー、そして何よりバットマンとしての着地点は美しいのだが。

 とまあ、何度も完璧で隙が無いと書いてきたが、ドラマも上質なミステリーをやっていて、本当に穴が見当たらないのだ。今までのバットマン映画にない探偵ノワールな作風を目指したらしいが、というよりはそれをやる為にバットマンというガワをかぶせたんじゃないかと思うほど、話が良くできている。その上、全年齢のお約束も守っているのだから、本当にマット・リーヴス恐るべしだ。
 歴代に引けを取らない傑作だと思うし、大きな不満もないが、強いて言うなれば、地に足が付き過ぎているというか……もうちょっと、BvSの廃屋のシーンくらい、ゴリゴリな格闘をしてもいいんじゃないかとは思う。ガジェットも、もう少し背伸びしてもいいのではないかと思った。ちょっとくらい地から足を離してジャンプくらいしてもいいのでは。
 今後もカッチリし過ぎている、真面目過ぎると、いずれダレてしまうのではという危惧がある。ちょっとくらい隙があった方が、もっと愛すべき映画になるのでは。まあ、マット・リーヴスだから、今後もきっと真面目にカッチカチにやるんだろうなあ。
 あと、ここまで現実的に作るのならば、今後、極彩色な超人ヴィランは登場しないのだろうなあ、とは思う。あの世界観じゃあポイズンアイビーやMrフリーズ、ベインやキラークロック、クレイフェイスは登場させられないのだろうなあ……。どんな解釈をするかにもよるだろうけど。
 まあ、それならそれでガチガチのノワール路線でトゥーフェイスやブラックマスク、デッドショットなんかを活躍させられそうだし、何より次作はあのピエロが登場するだろうから、とても楽しみである。期待して続編を待つから、下手にユニバースに混ぜないで、綺麗にバットマン世界だけで終わらせてね、マット・リーヴス!
 

 

 
 

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