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知っていたはずだろう、枯れてしまうことを

あの子と過ごした日々は今でもいやきっと死ぬまでのわたしが生きる理由になるだろう。

わたしが東京に異動で引っ越すことになり約17年程共に過ごしてきた大親友とはしばしのお別れとなった。

わたしの大親友は彼氏と同棲を始めた。

もうどのくらい会っていないんだろうか。大親友のことは何でも知っていると思っている。うぬぼれだろうがそれでもいい。

彼女を一番理解しているのはわたしだし、それは彼氏だろうと関係ないのだ。

彼女は自分からあまり連絡をしてこない。ずっとそうだ。
わたしから連絡をしてレスポンスを待つというスタイル。はじめはなんでわたしからばっかりと思った時もあったがここ何年かはそんな小さなことどうでもよくなった。わたしが連絡したいからするでいいのだ。同じ気持ちの重さを押し付けることではない。時には彼女の連絡を暫く返さず用がある時に思い出したかのように連絡をするという事もあるが彼女はわたしの気まぐれな性格を理解してくれている。


わたしは彼女の心の綺麗さが好きだ。
彼女は基本ネガティブなことも言わないし人の悪いことを探さない。誰にでも優しくて同じ対応ができる子だ。悪く言えば八方美人。人に頼まれても快く承諾してしまい時にパンクしている。

彼女をそんな性格にさせてしまったのは、原因がある。


わたしはそんな彼女を肯定するが時に心配にもなる、わたしの前では素の自分を出せるように接してきた。もう20年だ。わたしたちは家族よりも一緒にいる時間が長いのだ。同じ痛みも知っている。

彼女は順応そうで優しくてなんでも聞いてくれると人に思われやすい、いわゆる八方美人だ。時に八方美人が悪い方にいってしまうというか彼女はわがままを言わない。わがままというか、自分の欲を優先しない性格で、自我を本当にださない。優しくて思いやりのある子なのだ。

彼女の母親に一度抱っこされたことがある。わたしは彼女をずっとそばで見てきたが誰かに甘えることができない環境下にあった為甘え方を知らないんだと思っている。わたしにさえも気を使ってわがままを言わない。それを当たり前にさせてしまった彼女の母親がわたしは軽蔑してしまう。彼女はそんな母親でも、母親だからと笑うんだ


わたしは彼女の大親友であり、彼女の姉であり妹でもある。時にお兄ちゃんになり彼女の心の一部になっている。もっと大きく言えばきっとわたしは自分よりも彼女が幸せであってほしい。


愛に飢えたものは、きっと愛を知らない。だけど花に水をやり続けなければ枯れてしまうことは誰にだってわかっていたことだ。なぜだろう、どうして?わたしが彼女の母親にそう責めることはできないが同じ女として哀れにも思う。だが色々あるだろう仕方ないことなのだ、と思うしかないのだ。もう過去のことを言っていたってどうすることもできないこともわかっていた。


だけどわたしは彼女のことが誰よりも大切で大好きで私の中で唯一無二の存在だという事は変わらない。この世の中に恋愛というものがなければわたしがずっと彼女のすべてを受け入れ生きていくだろう。ただ彼女が一番リラックスできる彼にその役目は頼むとしよう。


わたしが生きる理由でいてくれさえすればそれでいいから。


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