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基本テロリストなヤバい奴(高杉晋作)

今回は、時折投稿する歴史ネタです。(歴史好きですので)
長くなるかも。

早速参ります。

私は、幕末で活躍した人トップ3を挙げろと言われたら
間違いなく「高杉晋作」を入れます。
27歳で死去するまでにやったことが多すぎるからです。

基本テロリストでヤバい奴なので、近くにいたら絶対に避けるだろう人種ですが、実行力は認めざるをえません。

死去の27歳までにやったことの一部、書いてみますね。


・藩の命令で上海留学。中国が外国に侵食されていることを実感する。

・帰って攘夷思想を説いて周っていたら、藩主から謹慎処分を言い渡される。

・謹慎解除後、とりあえず、イギリス公使館に放火、全焼させる。

・奇兵隊結成。

・下関戦争(長州藩対外国)に参加。奇兵隊内の跳ねっ返りが、藩内の別派閥と戦闘してしまったため、司令官解任。

・藩が京都で薩摩・会津藩と戦った政変で敗北。潜伏していたが同僚に説得され、長州に戻ったら投獄される。

・外国連合艦隊※が長州を砲撃、一部占領。投獄中の晋作に講和会議の使者になれと命令が下る。
※イギリス・アメリカ・フランス・オランダ 連合艦隊

長州側砲台(再現)
下関戦争後、占領された砲台


・講和交渉では、賠償金と長州内の島の租借の要求があったが、古事記を読み始め、通訳が訳せず、延々と続く朗読によって、うやむやになる。
=下関海峡の外国船の通航の自由、石炭・食物・水など外国船の必要品の売り渡し、悪天候時の船員の下関上陸の許可、下関砲台の撤去、賠償金300万ドル(支払いは幕府)の5条件で講和が成立。

・第一次長州征伐により、長州藩内の幕府恭順派が実権を握る中、同志達が粛清される。怒り心頭し、功山寺で一人、挙兵。仲間が集まってきて、藩中心部へ進軍。藩の実権を握る。
(最初に集まってきたのが伊藤博文。写真 右側)

・海外移住しようとして、派閥関係なく、命を狙われる。四国に逃げる。

・高杉家から廃嫡される。
 ※なので、厳密には「高杉」ではない。

・第二次長州征伐が勃発。海軍を率いて転戦。戦果をあげる。

・肺結核で死去。27歳。

 辞世の句「おもしろきこともなき世をおもしろく」


これが27歳までの軌跡です。たった27歳ですよ。

謹慎処分、投獄、廃嫡まであったのに、結局、歴史に名を残す、という不思議な人物。 

また、おそらくですが、彼がいなければ歴史が変わったと思います。

・日本国内の外国勢力の租借地を防いだ。(植民地化の第一歩を未然に防いだ)

・功山寺決起がなければ長州藩は幕府に恭順したままだったと思うので、薩長同盟は無し。

・彼がいなければ、手下の伊藤の出世の道は無かったと思われるため、内閣総理大臣 伊藤博文も存在しない。

長かったですが、「基本テロリストなヤバい奴 高杉晋作」でした。

(高杉晋作の軌跡ですが、あくまでも「歴史」ですので、真偽が完全に明らかになっていないこともあります。間違っているかもしれません。ご了知ください)

投稿:崎田 和伸

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