相撲を多角的に考える -西尾克洋 著『スポーツとしての相撲論』-
長年、日本の神事や国技たる存在であると同時に、スポーツあるいはエンターテインメントとしても親しまれてきた「相撲」。
この『スポーツとしての相撲論 力士の体重ななぜ30キロ増えたのか』という本は、相撲を見始めた初心者が素朴に感じるさまざまな疑問について、とてもわかりやすく解説を加えてくれます。
以下に、この本の読書を通じて気づいたことや感じたことについて、メモしておきたいと思います。
【Discovery / この本を読んで得られたこと】
この本の著書の西尾さんは、相撲専門のスポーツライターとして、さまざまなメディアで相撲に関する記事を執筆されている方です。
数あるスポーツのなかにおいても、相撲は他のスポーツにはない独特の世界観やルールが色濃く残っていることもあってか、少々とっつきにくいと感じている方も多いのではないかと思います。
西尾さんが書いたこの本は、そうした方々にこそ、相撲への理解を深める入門書として、おすすめできる内容となっています。
以下に、個人的に感じた3つのことを順に整理していきたいと思います。
▶︎少ない競技人口と、メディア露出の多さという「不均衡」
この本のなかで、まず自分が目を引いたのは、相撲の競技人口の少なさについてデータで示しているところです。
日本相撲連盟に登録されたアマチュア力士数は、2014年時点で3,157人(内 小学生1,137人、中学生472人、高校生1,052人、大学生496人)。大相撲の力士数がおよそ660人であることを考えると、競技人口の少なさが際立っています。
アマチュアからプロ(大相撲)の力士になるには「親方の人脈」「アマチュア時代の繋がり」「後援会の紹介」「相撲部屋の情報発信(ホームページ、SNSなど)をきっかけとした入門」など、いくつかのルートがあるようですが、これだけ競技人口の母数が少ないなかにおいては、将来有望な人材にそのままプロの世界に進んでもらうこと自体、ハードルが高いようです。
一方、マスメディアへの露出度は、長年NHKの毎場所テレビ・ラジオで生放送することが慣習化されており、他のスポーツと比べても優遇されているようにも思われます。
2018年からは、インターネットテレビのABEMA(旧AbemaTV)が、幕内以外の取り組みも全試合生放送を開始するなど、相撲に触れる環境は充実しています。
少ない競技人口の割に、依然としてメディア露出の多い相撲の世界。このアンバランスな2つの要素が、スポーツ分野全般を見渡した際の、相撲の特殊性をよく表しています。
▶︎力士の人生は「怪我」との付き合い方で決まる?
相撲の世界で上位にのし上がっていくために、避けて通れないもの。それは「怪我」です。
現在、大相撲には「休場した力士は降格する」という基本ルールがあります。
「横綱」「大関」の次に上位の格付けである「関脇」の幕内力士であっても、2場所全休すれば「十両」、3場所全休すれば「幕下」まで降格してしまいます。これを給与で比較した場合、関脇と幕下では1年あたり2,000万円程度も差が出てしまうようです。
その一方で、この本のサブタイトルにもある通り、大相撲の上位力士の体重は年々増加の一途を辿っており、その分、怪我や病気(糖尿病、痛風など)のリスクも高まっています。
年6回、2か月に1度のペースで開催される大相撲の巡業のなかで、怪我を完治させて次の場所に出場することは難しく、結果的に多くの力士がある程度怪我とつきあいながら毎場所の取り組みをこなしているという実状があるようです。
大相撲の歴史のなかで、1972年(昭和47年)から2003年(平成15年)にかけて、怪我による休場での降格を1場所免除する「公傷制度」が存在していました。昨今の度重なる上位力士の休場を受けて、一部の大相撲関係者からは公傷制度の再導入を訴える声も上がっているようです。
しかし、過去に公傷制度を廃止した際の原因にもなった診断書の乱発乱用を防ぐ設計制度上の工夫がないと、一度廃止した救済制度を再び導入することは、傍から見ている以上に、難しいことなのかもしれません。
▶︎相撲は「スポーツ」なのか?
大相撲を観ていると、ひとつの疑問が浮かんできます。それは「相撲はスポーツなのか?」という問いです。
その前提を確認するためには、日本相撲協会の公式サイトで解説されている「相撲の歴史」という、以下のページが参考になります。
日本における相撲の起源は、古くは『古事記』(712年)や『日本書紀』(720年)に記されている力くらべの神話や伝説などにあげられます。
その年の農作物の収穫を占う祭りの儀式である相撲は、後に300年続く宮廷の行事となったという「神事」としての側面があります。
同時に、相撲は人間の闘争本能の発露である力くらべや取っ組み合いから発生した、伝統ある「スポーツ」でもあります。
それは、鎌倉時代から戦国時代にかけては武士の戦闘の「訓練」として、江戸時代には庶民を楽しませる「興行」として、時代ごとに少しずつ目的やルールを変化させながら、徐々に裾野を広げていった歴史をもっています。
このようにして、相撲は江戸時代から変わらぬ姿を体感できる競技として、日本のスポーツのなかでも唯一無二の道を歩んできました。
一方、れっきとしたスポーツとしての位置づけも認められているはずの相撲において、力士の所作や戦い方が賛否両論を呼ぶ場面をよく目にします。
例えば、土俵に上がった力士が取り組み前に見せる所作は、現代スポーツで言うところの「ルーティン」を想起させます。
しかし、他のスポーツではメンタルコントロールのひとつの手法として科学的な効果も認められているルーティンが、相撲の世界においては一部に否定的な意見もあるようです。
また、立ち合いでぶつかってこようとする相手力士の体をかわす「変化」について。
この本でも詳しく触れられている通り、ルール上は問題の無い戦い方なのですが、真っ向勝負をしない姿勢の表れとして、批判されることの多い戦法です。ここ最近の巡業を見ていても、優勝をかけた大事な取り組みで変化が使われ、あっけなく勝負が決まってしまうといった光景をよく目にします。
心技体を重んじる相撲の美学に反する行為として、また、単純に観ていてつまらない戦い方として批判の対象となっている力士の姿を見ていると、ただ勝つことだけを考えるスポーツとして相撲を捉えることがいかに難しいか、よく分かります。
こうして「神事」と「スポーツ」の間で価値観が揺れ動きながら、現代に至るまで生き残ってきた相撲。
科学的なアプローチを駆使した研究が進むスポーツ分野において、競技のかたちを大きく変えることの難しい相撲が、世の中のニーズとどこまで折り合いをつけることができるのか。今後の動向が気になるところです。
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以上の3つのことがらが、個人的には気になりました。
そもそも、自分が相撲に持ったのはつい最近で、きっかけは当時4歳だった息子が大相撲巡業のテレビ中継に興味を持つようになったからでした。
今では家族一同相撲にはまり、2022年7月に名古屋場所があった際には、近所の宿舎に朝稽古の様子を見に行ったり、人生初の大相撲観戦をするまでとなりました。
こどもたちの目から見ると、普段見たこともないような大きな人たちがぶつかり合い、先に足の裏以外が地面についた方が負けというシンプルなルールが、分かりやすくて興味を持ちやすいのかもしれません。
歴史や伝統のある競技だけに、小難しい見方に偏りがちな媒体も多いなかで、この本は他の多くの競技と同様、相撲を純粋に「スポーツ」として捉えた場合の楽しみ方を親切に教えてくれる、貴重な1冊です。
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