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ウチの会社の「鉄板語録」

2か月半の新人全体研修が終わって一週間たった。48名は私の配下を離れ、それぞれ配属された組織での個別研修やOJTに取り組んでいる。彼らは入社以来、日々の気づきや学んだこと、自身のリフレクションをbox noteに日誌として書き続けてきた。どうやら配属後もそれは続いているらしく、残務処理の合間にこっそり覗きに行くのが今のの密かな楽しみなのだが、あらためて皆の軌跡を読み返してみると、そこには研修中に先輩社員たちから投げかけられた数々の「言葉」が書き留められていた。

多様性に富んだ組織なので表現方法は様々なのだが、言っていることはみな共通。「人」の商売なので、その価値と品質は全て、一人ひとりの言葉、表現、そして行動でしか形にできない。価値観と行動様式そのものが会社の姿を表すので、コンサルタントがゼロから新人を育てようとする一心で投げかける言葉には、プロフェッショナルとしての本質が詰め込まれていた。

せっかくの機会でもあるし、折に触れてシリーズでこのマガジンに書き留めていこうと思う。

語録1「ケツから考える」

のっけから乱暴なフレーズで大変申し訳ないのだが、言葉に強烈なインパクトがあるということ、我々の仕事の最も大事なことを一言でズバリ言い切っていることから、そのまま紹介する。実際、多くの新人が何かにつけて引用している。

ケツ、とは「ゴール」のこと、物事の「目的」のことだ。あらゆる仕事にはゴールがある。そのゴールをまず自身で明確化し、定義するということから始めろ、というのが、このフレーズが訴えるメッセージ。当たり前のことだろうと思うかもしれないが、これが殊の外難易度が高い。新人がその意味を理解するのに最も難儀するテーマといってもよい。

わかりやすい例でいえば、新人が会議の議事録をとる、という仕事。会議に同席して、出席者と日時を書いて、期限に間に合うように書いて回覧すべき人に回す、それがゴールか?というとそうではない。この議事録をとって回覧したあと、それを読んだメンバーやプロジェクトがどういう状態になっていたら、その議事録を書くという仕事が成功したということになるのか?それをしっかり自分なりに定義すること。要は、自分がその仕事を通じて生みだす価値を、明確にしてから仕事に取り組む、ということだ。

そのためには、会議に出る前にしないといけないことは山のようにある。会議はそもそも何を目指しているどういうプロジェクトの会議か?どういう過程で、どういうことを決定する会議なのか?あるいは議論をする会議なのか?参加者は誰か?その人達の情報レベルは皆揃っているのか?注力してまとめるべき論点はどこになりそうなのか?そもそも自分は議事録をとるにあたって、その案件について十分に知識があるのか?ないとすると事前におさえておかないといけないことはないのか?そして、そもそも自分が預かった仕事のクライアント’(期待に応えるべき相手)は誰なのか?などなど。ハッキリさせること、やるべきことはいくらでもある。それを経て、自らのゴールと品質基準をセットして、議事録をとるという仕事の本番を迎え、スキルを駆使して、圧倒的なスピードと品質でアウトプットを出す。それで初めて、「議事録をとる」というひとつの仕事が完結する。

目の前にあることを目の前にあるまま受け取って、頼まれた「作業」をこなすだけでは、そこに価値は生まれない。これは、チームで取り組む大型のプロジェクトであろうが、1人で担当する仕事であろうが全く変わらない。私達の商売は、自ら生み出した価値に対して対価をいただくことから始まるので、担当する仕事の大小にかかわらず、あらゆる事柄について「ケツから考える」ということが呼吸するようにできないと、プロフェッショナルとして成立しない、という戒めであり、真理だ。

なお、目指すべきゴールを考える時に、どの高さにそれを設定するのか?そこに私達のプロとしての矜持が問われる。相手の期待にそこそこ応えられるレベルに設定して満足していたらこの職業は終わりだ。満足させて当たり前。目指すべきは、「相手の期待を超える」レベルにある。

「100点ではない、まずは101点をめざせ」
「我々の仕事は黙って妥協しようと思えばいくらでもできるが、それをした瞬間にコンサルタントとして終わる」

そんな先輩の言葉のメモも、新人の日誌にはあった。

ちなみに、この「ゴール意識の大切さ」を「ケツから考える」と言い換えて唱え始めたのは、シグマクシスの新人研修をゼロから設計した私の前任かつ同僚のKである。そして、代々それを刷り込まれた新人が現場に出てまた後輩を育て、今11代目となる。よって、多少表現が荒いけれども大事なフレーズなので、実際に耳にしてもご容赦いただきたく、切にお願いしたい。

語録2「正解は、探すものではなく創るもの」

これは、実は私が信条にしている大好きなフレーズでもあり、シグマクシス創業者で会長の倉重さんが25年ほど前から言っていた言葉である。そういう意味では、私が新人の頃の鉄板語録と言ってよい。

世の中には、自分が経験したことない局面、やったことのない仕事、解決したことのない課題にぶち当たることが沢山ある。VUCA環境の今ならなおさらだ。特にコンサルタントの仕事は、同じことの繰り返しはゼロといって過言ではなく、クライアントが自分ではできない、どうしたらよいかわからないと言っているお題を預かるわけだから、基本「お初」、かつ誰にとっても未知のテーマに毎回チャレンジすることになる。私自身、超えるべき山が大きい時に、自分の気持ちを整えるために引っ張りだすフレーズだ。

課題を前にしたとき、「それをどう正しく解くべきか」と考えながら取り組むと、失敗する可能性がある少しでもある選択肢は切り落とされて、結果手にするものは、極めて安全ではあってもこぢんまりしたものになる。しかし、「それを解決してどういう状態に仕上げたいか」という視点で取り組むと、様々な可能性が未来に向けて拡がり続ける。

重要なのは、一人ひとりが「こうしたい」「こうありたい」という強い意志の力をもち、その実現に向けて考えぬき、自ら実行しきること。情報を集め、ゴールを明確にし、ハードルがあるならそれをクリアする方法を探し、 必要ならば周囲に意見やサポートを求め、実行に踏み出すというスタンスがあって初めて、物事は本質的な解決に向けて動き出す。

実際のところ、実行し続ける過程において、それが正解への道なのかどうかはわからない瞬間が最も不安なわけだが、そこで踏ん張り走り切った結果、目指したものが実現できればそれはまぎれもなく真の正解となるし、仮に失敗したとしても、全力でやりきった結果であれば、本人にとっても組織にとって大きな学習の機会となる。そしてなによりそのプロセスは、猛烈に大変である一方でむちゃくちゃ楽しいものでもある。「ゴールを定め、やると決めて、信じてやりきること。」これがキーメッセージなのだと私は解釈している。

「価値創造」で勝負するコンサルタントの基本原則はここにあるし、今世の中で叫ばれる「イノベーション」も「トランスフォーメーション」も、この姿勢なくしては実現できないだろう。そういう意味では、このフレーズは必ずしもコンサルタントに限った話ではないのかもしれない。

ちなみに、新人は日誌に先輩たちのこんな言葉を書き留めていた。

「私達の世界に”わかりません”という言葉はない」
「どうしたらよいですか?と聞くな。それを考えるのが俺たちの仕事だ」
「物事は”Will(意志)”で動かせ」

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さて、最近の私はと言うと、組織をいくつか持つ身になったこともあり、「こうありたい」というビジョン軸で私自らが率先して走り回ると鬱陶しかろう、少しじっとしていよう、と思い始めている。が、想定外の事態にぶち当たると自動的にスイッチが入る癖だけは、どうにもならない。

今回のコロナ対応はまさにその典型で、配下の組織全部において、あらゆる事柄をWillと攻めのソリューションで走りきってしまった。一段落して振り返り、逞しくも額に汗して息荒く立っているメンバーたちの姿をそこにみて、これはコロナ禍ならぬ「内山禍」だったかもしれないなと密かに反省した。ということで、しばらくはおとなしく、マガジンの執筆にいそしもうと思う。

「鉄板語録」シリーズ第2回は、また気が向いた時に書かせていただく。

(C&C/ 内山その)


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