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ヒップホップから見るボカロシーンの現在

 ※いつも通りとても長いので時間ある時に読んでね。

 昨今、ニコニコを中心としたボカロシーンは随分と盛り上がっている。2011~13年頃を全盛期だとか言う人も多いが、そんなものとっくに吹き飛ぶほどの盛況っぷりだ。しかし、歌愛ユキや足立レイなどが注目を浴びる現在のボカロシーンはその実態を捉えにくい。今回はそんなボカロシーンの現在について、筆者なりの視点を共有しようと思う。
 実は今、ボカロリスナーにとっては普通すぎることかもしれないが密かにトレンドになっていることがある。普通すぎて言及されることは少ないかもしれない。(寡聞ゆえにか筆者は聞いたことない)
 それは、シーン全体のボカロキャラMVへの回帰だ。以下のグラフを見て頂きたい。

2024/3/7取得

 こちらはニコニコ動画で「VOCALOID」タグが付いているオリジナル楽曲50曲の中に含まれるボカロキャラのサムネと、TOP20に絞った場合の数字をグラフ化してみたものだ。(手動で作業したため多少の誤差や判定の問題に注意していただきたい。もちろんリアルタイムでの伸びと継続的な伸びには差があるので参考程度に)
 ボカロ曲からボカロのキャラクターが消えて久しいという言説はどこにいったのか?2022年頃からは既にボカロキャラを中心としたMVは復活していたのだ。

2024/3/7取得

 こちらは2023/1/1から現在までのニコニコ動画とYouTube上のボカロ曲を再生数順にソートしてみた表だ。(相変わらず手動なので以下略)赤文字と青文字表記の曲ではボカロキャラがMVに登場している。一応ポケミク曲が発表されているからでは?という疑問のために、予めポケミク曲は青文字で表記している。ポケミクも大きな貢献をしているが、それだけの数字ではないことがわかるだろう。正直、2022年の数字はDECO*27が無双し続けているのが大きな理由なのだが、2023年以降の表を見てもらえば現行のメジャーボカロシーンが決して彼の力だけではなく、全体的にボカロキャラのMVに回帰していることがお分かり頂けるかと思う。では、この急な流れは何故なのか?その理由を筆者なりの考察を交えて紐解いていくのが当記事の主題だ。そして、そのヒントとして使うのが”ヒップホップの歴史”だ。

 唐突な流れに驚愕しているだろうが、今から理由を話す。ボカロとヒップホップはとても似ている。まるで収れん進化の様に。ヒップホップシーンは、実は詳しく見てみるとボカロシーンと似た歴史を辿ってきたと筆者は感じている。なんなら個人的には、ヒップホップはボカロの先輩だと思っている。なのでこれからヒップホップとボカロシーンを比較し、それぞれがどのようにして新たな歴史を作り続けて今に至るのかを考えることで、新たな視点でボカロシーンの現在を楽しもうと思う。というのはただの名目上で、実際は単純なオタク語りだ。この機会にヒップホップとボカロって結構似てるねって思ってほしい。
 予め言っておくが、このnoteの内容は独断と偏見を多分に含み、ドラスティックな主張が散見されるかもしれないがその点は留意されたい。またボカロという言葉を広義の意味で使うこと。広大な歴史を簡略に一般化して語るために、一種の乱暴性を孕んでいること。あくまで今回触れるのはメインストリームが中心であるということも強調しておく。


ボカロとヒップホップの共通する根底

 先ほどはそれぞれのシーンが辿ってきた歴史が似ていると述べたが、実際にはそれだけではなくもっと大きな範囲で共通するところがあるように思う。例えば、日本生まれの初音ミク、アメリカ育ちのヒップホップ(前編後編)」というWeb記事では「一定のルールのもとで参加者たちが優劣を競い合うゲームであり、コンペティションです」として両シーンの共通点について触れられている。まずはヒップホップとボカロが似ているという、にわかには信じがたい主張の信憑性を確保するために、該当記事の参照先である『文化系のためのヒップホップ入門』(長谷川町蔵・大和田俊之、アルテスパブリッシング、2011年)からボカロシーンにも通ずるところがある部分をいくつか紹介していこうと思う。

長谷川 ずばり、一定のルールのもとで参加者たちが優劣を競い合うゲームであり、コンペティションです。その違いは、たとえば第一線から退いたアーティストの扱われ方の違いに表れています。ロックだとファンが徐々に減っていくけど、ヒップホップはファンがクモの子を散らすようにいなくなっちゃう。それは「こいつはもうゲームに勝てなくなった」と見限られたってことなんですよ。

『文化系のためのヒップホップ入門』p.19

 これなんかはモロにそうではないか。私も含めボカロのリスナーはちょっと薄情に映る時がある。いつの間にか数字が伸びなくなっていた数多のレジェンド達の現在に心を痛めた時期が私にもあったが、擦れてしまったのかいつの間にか気にしなくなってしまった。例えるなら、リスナーたちはテレビに興味があったとしても、それは一人の芸能人を追っているというよりは、ただ一つの番組自体を見続けている様に思う。つまり「場」を見ているということだ。

長谷川 それに対してネイティヴ・タンが使ったネタは彼らが個人的に面白がってサンプリングしたものであって、コミュニティの賛同を得たものではなかった。ヒップホップはなんでもありっていうんですけど、じつはなんでもありじゃないんです。
大和田 個人の趣味よりは場の指示があるかどうか。
長谷川 シーン全体の了解が得られないと、ヒップホップは先には進めないんですよ。だから彼らが失速したのもわからなくはない。
大和田 でもア・トライブ・コールド・クエストは生き残りましたよね?
長谷川 彼らが生き残れたのは、リード・ラッパーのQティップがラッパーとして抜群に優れていたのと、ネタ選びの方法を軌道修正したからです。

『文化系のためのヒップホップ入門』p.101

 いやー!!これはもう思い当たる節、ありまくり。ちょっと昔にピノキオピーが「HUMAN」ってアルバムを出したけれど、その頃はボカロ曲に混ぜる肉声の割合が多すぎてボカロファンからは賛否両論だった。今でもXFD見ればアンチコメに対するコメントは残っている。ピノキオピーが上手くやってけたのは軌道修正できたからってのは大きいと思う。

ピノキオピー:ただ、前はミクと自分の声が同一に並んでる感じだったんですけど、いまは「同化してる」というか、メインボーカルに対してそれを支えるために自分の声が存在するっていう、そのバランスが最近はしっくりきてます。

ボカロP出身者の活躍は、ちょっと他人事。“神っぽいな”のバズを経たピノキオピー、新作『META』を語る


大和田 でも、プロデューサーのキャラ立ちがあって、ファンの間でも「なんとかPっていいよね」みたいな話になっているわけですよね?
長谷川 あれはもう完全にヒップホップですよね。誰が作っているかがすごく重要というところが。

日本生まれの初音ミク、アメリカ育ちのヒップホップ【前編】

 これなんかもう説明するまでもないと思う。一つの側面としてボカロシーンは投稿者が重視される文化であり、それは言ってしまえばコンペティションの参加者であるからという見方ができると思う。ラップやボカロといった表現方法がそれぞれのシーンで共通の文脈として意味を持つのは、それがコンペティションの最低限の要項だからとも言えるだろう。また、ヒップホップシーンにおいてストリートからの支持やブラックコミュニティの支持、あるいはUSからの支持が重要視されるのと同様に、ボカロシーンでもニコニコに投稿することが重要な意味を持つのは、ある意味でそれがコンペティションに参加する最も正当な「手続き」だからとも言えるだろう。グラミー賞とヒップホップコミュニティ間の軋轢に比べると、ニコニコの数字はボカロコミュニティの支持を反映したものとして中々に妥当な方だと感じる。

 と、まあここら辺までは特に違和感ないかと思われる。簡潔にまとめれば、両シーンの共通点は、「ラップ/ボカロという表現方法」をシンプルな共通項として持つことで多様性を創出する余地を持つこと。そしてトライブやカルチャーがもつ強力な「場」への意識。ハードルの低さから多くの人が集まり、その中でボトムからトップへ上がるゲーム性がもたらす「競争意識」とフレッシュさ辺りだと感じる。
 ついでに個人的なポイントを言っておけば、ラッパー/ボカロPは歌うことができなくてもシンガーの様にスポットライトを浴びれることもポイントだ。RHYMESTARの宇多丸はザ・グレート・アマチュアリズムにて「願ってもないチャンス/ブサイク、音痴だって歌えちゃう/スッゲー敷居低い歌唱法」とラップするが、これはボカロシーンにも共通する事項のように思う。

 しかしここからが問題だ。Web記事では、2012年のボカロをヒップホップでの80年代の終わりだという。ヒップホップは73年からだから、十数年分ということだ。ネットのない時代と比べられてもねぇ(笑)
 これは正直に言って、ユースカルチャーを観察するに留まっているせいで当事者としてボカロシーンのコンペティションの流れを知らないからではないかと感じてしまう。

長谷川 ヒップホップは、シーンを天才が牽引するというよりは、みんながトップを争ってボトムからあがっていく感じなんですよ。才人の成果はシーンに還元されて共有財産になっていく。トップランナーがコケても、成果はボトムに還元されているから、シーンのレベルは常に上がり続けているんです。ヒップホップってロック・ファンからすると、同じことばかりやっていると思われがちじゃないですか。
大和田 ええ、聞き始めたころは楽曲ごとの個体識別ができませんでした。
長谷川 でもシーン全体で俯瞰して見ると恐ろしい速度で発展していますよ。ロックの方が変わっていない。
大和田 たしかに距離を置いてみるとロックって驚くほど変わらない。「なんでもあり」といいながらギター、ベース、ドラムの基本的な編成もそのままだし。

『文化系のためのヒップホップ入門』p236,237

 これと全く同じことがボカロシーンにも言えると思う。そのコンペティションのルールは外部の人間には伝わっていないから流れや違いが見えないし、近くにいてもルールを知らなければ流れは見えないままだ。無論その流れに乗らないことを選択しているならそれでいいと思うが。
 ということで、次章ではボカロシーンの流れを見るために、コンペティションのルールという側面から見ていく。

歌唱法、あるいは表現方法としての「ボカロ」の評価軸

 まあルールといってもいくつもの価値観が複雑に交差しているのが実態だろうから、まずは中心点を決める。
 そうした時に、それぞれの文化圏の最大の共通項として、まずラップ/ボカロという歌唱法、あるいは表現方法が出てくるのは、特に「VOCALOID」が元の意味を超えて広く文化圏の名として知られるボカロサイドからは極自然なことのように思う。
 しかしVocal-oid(ボーカルのようなもの)という由来を持つ割には、ボカロサイドには歌唱法や表現方法としてのボカロの評価軸が広まらずに感覚的なものに留まっている気がする。ヒップホップサイドではそのような評価軸がリスナー間で共有され、十分に認知されて用いられている。ここではヒップホップサイドの評価軸を元にし、ボカロサイドの評価軸を明確にしていこうと思う。

ラップの評価軸

 まずは、これが今回作成した表だ。このような評価基準は人によってかなり違い、数だけでいえば三つの人もいれば五つの人もいるが、今回は概略的にこのような形を取らせてもらった。括弧の中身は類似概念だ。少し説明していこう。

リリック
 まずラップの一つに大事なのはリリック=歌詞だ。ラップは言葉数が多くなりがちなため、詰め込める情報量が段違いだ。また、韻を踏むという制限を課した上で、更にストーリ性や叙情性の高いリリックを書ければ、その評価が高くなることは想像するに難くないだろう。しかしここでは、「リリシズム」とするとその方向性を限定しかねないため、「リリック」とさせてもらう。
ライム
 
ライムとは韻であり、ライミングとは韻を踏むことだ。ヒップホップのようにループするビートの上で韻を踏むということは、ある程度これから来るものが予想できるので、来てほしいところに韻がバッチリハマったその快感が凄まじいのだ。またリリックの説明で書いた逆のことも言える。ストーリー性や叙情性の高いリリックを書いた上で、更に韻を踏むスキルは自然と評価してしまう。
フロウ
 
直訳すると流れでありラップにおける歌い回し、節回しのようなもの。韻を踏めばいいってもんじゃないというのは、このように評価軸が他にも存在しているからなのだ。ビートの上でどのようなリズムや抑揚などでラップに聞き心地をもたらすか。これに関しては実際に聞いてみる方が早いだろう。鎮座DOPENESSの変幻自在でスムーズなフロウをご賞味あれ。

デリバリー
 
ケイデンスとも言われ、声色や発音など、どのように声を伝えるか全般だ。叫んだり囁くような声だったり。ラップは歌と声の出し方が違うため、バリエーションを工夫しやすいのだ。
 これは日本じゃあまり浸透してない概念だし、海外でもフロウという言葉を包括的に使うことも多い。しかしこの概念を分けると説明できる事の量が大きく変わるため、今回は採用する。こちらも聞いてもらった方が早いかと思われる。内省や怒りを巧みに表現する多彩なデリバリーの使い分けだ。


 以上がヒップホップシーンにおいてリスナー間で共有されている評価基準である。ラッパー達はラップのスキルを高め合い競っている側面は多分にあり、リスナーはそれを一つの基準にして見ている。次はボカロシーンにおいてこれに対応する概念を考えていく。今回はそれらを通してシーンの動きを見ていきたいため、それらの要素が実際に機能している部分ではなく、シーン内での立ち位置を基準に考えていく。

ボカロの評価軸

Vocal Editだけ英語なのはミス(正直)

リリック
 
例えばより難解な語彙であったりと、メジャーなボカロ曲は特に歌詞の内容が重視されるかと思う。その内の一つにストーリー性が高いものがあげられると思うが、ニコニコという動画サイトを中心に発展したことから動画の形式と結びつきが高く、リリックで語る(テリング)よりMVで語っているウェイトが大きいのは違いであると感じる。しかしMVとのリンケージも含め、よりクリエイターの世界観を濃く届けることができるのは、歌手としての制約を受けにくいボカロの側面を十分に活かした事象だと感じる。MVとリリックの相乗効果で世界観を作り上げれるかどうかは評価基準として非常に強いのではないか。
高音/早口
 
これは一見するとフロウだったりに値するものではないかと言われそうだが、今回は先ほども言ったようにそのシーン内での立ち位置を重視する。つまりその歌唱法において最も独自性を持つ特徴であり、ボカロ/ヒップホップっぽさの中核を担う存在である。
使用ボカロ
 
これは最も伝播しトレンドを反映させやすく、インストへのアプローチを実行しやすい概念として配置した。実際には声質や得意な声域、ジャンル、BPMなどの包括的概念でもあるが、フロウと並べるに最も適した単位を考えた際にこうなった。ラッパー/ボカロPが流行りのフロウ/ボカロを取り入れていたり、曲に合ったビートアプローチ/ボカロ選びをしているという見方がその一つだ。
調声
 
先ほどデリバリーの説明をした時に分かりにくかった人も居たかもしれないが、調声と例えてみた方が分かりやすいかもしれない。少し上級テクであり最も個性を出しやすく、フロウ/使用ボカロの概念とグラデーション的に繋がっている立ち位置も似ているためここはそのままで良いだろう。今回は人間に近ければ良いというわけではなく、世界観に即したアプローチも考えられるという立ち位置で考えていきたい。

 当記事では以上をボカロ界においての大きな評価基準として提唱したい。詳しく言及するなら、ヒップホップサイドはラップとビートの領域が分業的に行われていることで、「ビートに対するアプローチとしてのラップ」スキルへの信仰をラッパーが一身に受ける形となっているが、ボカロサイドにおける技巧的な側面は、ボカロPが調声から作曲までするケースが多いことと、ボカロにおける高音/早口歌唱自体には得に技術が要らないことから、「高音/早口歌唱に即した作曲センス」へ収束しているのではないかと思う。高音/早口歌唱自体は技巧的というより、ボカロ曲が持つ独自性や必然性を担っているのではないだろうか。

(余談ではあるが、Fuma no KTRやBonbero、Skaaiなど若手の中でも特にスキルフルなことで知られるラッパー達が世代もありつつ、ボカロに興味を示している事は技巧的な競争意識と無関係ではないだろう。
 中でもr-906の「Parasite (ft. 羽累 & Bonbero)」の客演に呼ばれたことで一部で話題になったBonberoは、「聖槍爆裂ボーイ」でラップに目覚めたとインタビューで語っており、Skaaiのラジオに呼ばれた際は二人で高速フレーズのボカロ曲に心地よさを示しており、千本桜やセツナトリップ、裏表ラバーズなども挙げている)

 では以上の評価基準を念頭に置きながら、共通項としての「ラップ/ボカロという表現方法」、「場」としてのシーンやカルチャー、「競争意識」が生み出すフレッシュさあたりからボカロシーンとヒップホップシーンの歴史を軽く比較しつつ、その流れを見ていこうと思う。

ボカロとヒップホップの歴史

 ここでまたもや注意喚起を行うが、ここで行う歴史比較は決して各シーンを網羅することを目的としたものではなく、ボカロシーンの現在を見つめるために筆者が似ていると感じるヒップホップシーンから先例を見出すことが目的だ。筆者がそれぞれのシーンから共通する象徴的な事項をピックアップして取り扱うため、当然この比較から零れ落ちてしまう事項も多々ある。ちなみに元々厳密な時代の区別はない上にそれを目的としていないので、大雑把な時代区分になる。カルチャー的な説明を多分に含むため、音楽的な歴史はこちらの記事をオススメする。前説が長くなったのでそろそろ始めよう。

1973~1979/2007

 まずはそれぞれの黎明期から説明する。1973年8月11日が一般にヒップホップの誕生日とされている。この日、DJクール・ハークが妹の制服代を稼ぐために開催したパーティーでブレイクビーツを発明し、同時にパーティーを盛り上げる為に友人のコーク・ラ・ロックが司会を担当したことで実質的にヒップホップ史上初のMCが登場する。後にグランドマスター・フラッシュ・アンド・ザ・フューリアス・ファイヴとなるグループは、元々パーティーの中心がDJだったところに盛り上げ役に過ぎなかったMCたちをステージに上げ、MCをパーティーのメインにした。
 そして1979年になると遂にレコードのラップソングが初の大ヒット。シュガーヒル・ギャングの「Rapper's Delight」だ。この曲はbillboardに初めてランクインしたヒップホップアルバムとして語られ、この頃からMCが「ラッパー」と呼ばれだしてくる。一方で、元々公園や路上、ホームパーティーなどで行うものだった「ヒップホップ」を録音することに一部の抵抗もあったという。ちなみにラップ初のレコードとして語られがちだが、数か月前に「King Tim III」がリリースされていたことは指摘しておく。あくまで商業的な初のヒットが「Rapper's Delight」ということだ。

 一方のボカロは2007年の8月31日にVOCALOID2初の製品「初音ミク」が発売し、そのキャラクターが注目を集める。発売後すぐに「Ievan Polkka」といったカバー曲や「恋スルVOC@LOID」といったオリジナル曲などがニコニコ動画に投稿され、「みくみくにしてあげる♪」で初音ミクブームが巻き起こる。また同年の9月には初のボカロP「ワンカップP」がコメントから誕生する。
 そして12月には「メルトショック」でお馴染みの「メルト」が投稿される。この曲は初音ミクが動画に使われていながらも初音ミクのキャラソンではないことが、初音ミクのキャラクター性を主体とした時代から、初音ミクをシンガーとして扱うクリエイター主体の時代へ移行していく象徴としてよく語られる。またその画期的な側面が、「初音ミクを殺した」と一部で抵抗があったところも似ている。こちらもあくまで象徴的なヒットの例であり、非キャラソンの先例としては「celluloid」を挙げておく。

 この時期の双方で共通する事項は、DJ/初音ミクを主体としたムーヴメントであり、お祭りであったただの現象が、一部から抵抗がありつつも徐々に価値が逆転し、ラッパーやボカロPが前景化することで音楽シーンとしての輪郭を形成しだす点だろう。
 「ラッパーズ・ディライト」においてはシックの「Good Times」のバックトラックに無許可でラップを乗せ、「メルト」においては119氏のイラストを無断転載しており、後に和解に至っている点も似ている。このようなグレーな環境は賛否あるだろうが、結果としてクリエイティブにとって風通しのよい環境を生み出していると言えるだろう。

1979~1986/2008~2009

 次に説明するのはラッパーズ・ディライト以降であり、メルト以降の時代、シーンの形が固まり始めてきた頃だ。この時期のヒップホップは大体前半を「オールドスクール・ヒップホップ」、後半を「ニュースクール・ヒップホップ」と呼ばれる。
 1981年の「ビジー・ビーvsクール・モー・ディー」のバトルで複雑なラップスタイルのクール・モー・ディーが勝利したことは、当時のパーティー・ラップが主流の時代からリリックの複雑性を求める時代への先駆としてよく語られる。また1982年には社会的なメッセージを持った「コンシャスラップ」の走りとして、高いストーリーテリング性を持った「The Message」がリリースされる。
 同じく1982年には「Planet Rock」、1983年には「Light Years Away」などのエレクトロ(・ヒップホップ)がリリースされる。特徴的なのは、これらの曲はSF/アフロフューチャリズム的世界観とリンクしていることだ。
 また1984年には「ロクサーヌ・ウォーズ」、1985年には「ザ・ブリッジ・ウォーズ」がヒップホップ史上最初期のビーフ(楽曲を通したディスりあい)として勃発した。
 それからこの時期には、1985年の「Rock The Bells」、1986年の「Walk This Way」や「Licensed To Ill」などロックとのクロスオーバーが盛んになった。

 一方2008年頃のボカロでは、「初音ミクの消失(LONG VERSION)」、「サイハテ」や「人柱アリス」などストーリー性が高い楽曲が人気になり始める。また、2007年12月27日に発売された「鏡音リン・レン」にスポットを当てた楽曲群「鏡音三大悲劇」もかなりストーリー性が高い曲だ。
 時を少し遡って2007年の12月に投稿された「Packaged」は後続に強い影響を与え、この時期だと「Chaining Intention」や「クローバー♣クラブ」などのミクノポップタグが付与される曲が多く見られたが、これは初音ミクが「まだ見ぬ未来から、初めての音がやって来る」といった由来を持ち、SF的なデザインを持っていた事と関係があると思われる。
 また、2008年頃から人気になりだしたボーカロイドによるロック調の楽曲「VOCAROCK」だが、2009年になると「裏表ラバーズ」「ロミオとシンデレラ」「ダブルラリアット」などロック調やバンドサウンドの曲が大きく動きを見せ始めるのも特徴だろう。
 ついでに指摘すると、2009年の10月にニコニコ動画のカテゴリタグとして「VOCALOID」が運用開始される。(カテゴリタグは2019年に廃止され「ジャンル」という機能に置換された)

 この時期には、それぞれのシーンがより高いストーリー性を求めだした事と、SF的に接続したサウンドデザインが流行っていたことやロックサウンドが流行り出したところが似ている。SF的なサウンドに関しては、このマインドが現在に至るまで、両シーンをユースカルチャーとして保ち続けさせているフレッシュさとして生き続けているようにも感じる。またロックサウンドに関してはサウンドのみならず、ロックが持つ精神性が与えた影響も大きいように感じる。カウンターカルチャー的な側面と内省的な側面に二分化してはいるが、この時期の「Run-D.M.Cのストリート感を前面に押し出したアティテュード」と、「wowakaを中心に溢れる繊細かつ鋭利なアティテュード」は後続に多大なる影響を与えたと言えるのではないだろうか。
 またこの時期からビーフやカテゴリタグの運用が始まり、両シーンのコンペティティブな側面が分かりやすく表出するようになった部分も興味深い。

1986~1997/2010~2011

 この時代のヒップホップは「ゴールデンエイジ・ヒップホップ」と呼ばれ、いわゆる「ヒップホップらしさ」はこの時代の特徴を指すことが多い。実際には最も範囲がブレる時代だが、今回はこれでいかせてもらう。ボカロにおいても「ボカロらしさ」が固まった時代であり、双方においてある意味で最も目立ち、最も濃い時代だったと言っても過言ではないだろう。この記事ではこの付近のボカロを「全盛期」と呼ぶことへのアンチテーゼの意を込めて「黄金期」と呼称していく。

 1987年の「Paind In Full」、1988年の「Long Live The Kane」など、ラキムやビッグ・ダディ・ケインらによってフロウという概念や高速ラップ、中間韻でのライミングなど一気にラップのスキルが向上し、後のラッパー達の土台が築かれた。歌唱法としてのラップに技巧的な関心が集まるのはこの時代からだろう。
 1988年にはN.W.Aの「Straight Outta Compton」がリリースされ、その過激なリリックからギャングスタ・ラップが世間から注目を集めるようになる。他にも1989年のパブリック・エナミーの「Fight The Power」など、攻撃的なリリックが目立ち始めるのはここからだ。
 また、1990年にポップなスタイルのMCハマーが「Please Hammer Don't Hurt 'Em」で1000万枚を売り上げヒップホップ初のダイヤモンド認定を受ける一方で、1992年のドクター・ドレ「The Chronic」や、1993年のスヌープ・ドッグ「Doggystyle」など、Pファンクをベースにギャングスタ・ラップを融合させた「Gファンク」が、過激ながらもその聞き心地の良さから人気を集めるようになる。
 先ほどのギャングスタ・ラップが西海岸を中心に発展し、世間からの注目を集めることに成功した一方で、ヒップホップを生み出した東海岸はそのことにジェラシーを燃やしていた。1991年には「Fuck Compton」、1994年に「I Used to Love H.E.R.」などの西海岸をディスる東海岸至上主義の楽曲がリリースされている中、事件は起こる。
 後に東西抗争などと呼ばれる一連の流れは、1994年に西海岸のラッパー「2パック」が5発の銃撃、強盗の被害に遭った事で激化する。彼と友人関係にあった東海岸のラッパー「ノトーリアス・B.I.G.」は1995年に「Who Shot Ya?」(誰が撃ったのか?)がB面に入ったシングル「Big Poppa」をリリース。これがいけなかった。ノトーリアス・B.I.G.側はそれを否定したが、2パック側は当楽曲を自分への挑発だと解釈し、一連の事件はノトーリアス・B.I.G.にハメられたと理解してしまった。諸々は省くが結局、メディアの煽りや東西のギャングのしがらみなどが歪みを加速させ、この二人は1996年と1997年に銃撃に遭い命を落としてしまう。一連の事件はヒップホップ史に残る最悪のビーフとして語り継がれ、スターを失った東西のシーンは哀しみに包まれる。ドクター・ドレやスヌープ・ドッグがブームの中心となっていたデス・ロウ・レコーズから脱退したこともあり、ギャングスタ・ラップはその勢いを落とすことになった。

  一方のボカロシーンでは、2010年にwowaka「ワールズエンド・ダンスホール」やDECO*27の「モザイクロール」、ハチの「マトリョシカ」がそれぞれミリオン達成日数が29日、25日、32日と1ヵ月程でニコニコ動画にてミリオンを達成した動画が続出する。高速ボカロックを中心として、ボカロシーンにおける早口歌唱、及びそれに即した作曲への技巧的関心が目立つのはこの時代からだろう。
 また、DECO*27「モザイクロール」では「殺したっていいじゃないか」などの過激な歌詞が目立ち、ハチの「マトリョシカ」は2011年の「エンヴィキャットウォーク」などに見られる複雑で難解な歌詞が目立つ。
 wowaka「ワールズエンド・ダンスホール」では、「天ノ弱」にも見られる人間には難しいような高音歌唱も目立つなど、よくボカロ曲の特徴として挙げられる高音や早口歌唱、厭世的な歌詞や複雑難解で厨二的という、いわゆる「ボカロらしさ」を構成する技術が複数に渡って急激に目立ち、礎を築いたのもこの時代とも言えるだろう。
 また2011年には「砂の惑星」によって破られるまで長らくの間最速ミリオンを保持していた「FREERY TOMORROW」や、2024年現在ニコニコ動画で最も再生数が多いボカロ曲「千本桜」が投稿されたり、初音ミクが起用された(「Tell Your World」)GoogleChromeのCMが投稿され、この時期のボカロシーンは非常に活発で注目を集めていたと言えるだろう。
 一方でwowakaは「ヒトリエ」、ハチは「米津玄師」、DECO*27は「galaxias!」の活動を始めボカロ界隈外へと飛び出していく。シーンの土台を作ったスターを失ったボカロ界は、既に頭角を現していたボカロPを中心として新たなフェーズに突入する。

 この時期に共通する事項として、より複雑性の高い内容を求めだし、それがシーンの独自性に結び付きながらも後続に多大な影響を与えたことだ。
 歌唱面で言うとヒップホップではスキルフルなラップが、ボカロでは高音/早口歌唱を取り入れた楽曲が目立つ。リリックの内容では、ヒップホップサイドはギャングスタ・ラップの様な過激な歌詞が目立ち、ボカロサイドは複雑難解であったり厭世的な歌詞が目立ち始める。多面的に過剰性を求めだしたのがこの時代と言えるだろう。
 その一因として、東西抗争に表出したようなコンペティションの激化が挙げられる。ボカロサイドにおいても「FREERY TOMORROW」のミリオン達成速度や千本桜の再生数に加え、週刊ぼからんの最も再生数が多い回#179が2011年に投稿されていることから、非常にコンペティティブな環境が加速していたと言えるだろう。

1997~2004/2012~2013

 2006年までのこの時代のヒップホップは「ブリン・エラ」や「ジギー・エラ」と呼ばれることが多い。しかし今回は時代区分の解説ではなくボカロシーンとの比較を目的とするため、2004年で区切らせてもらう。
 ノトーリアス・B.I.Gをギャングスタ・ラップの過酷な運命により失ったレーベルメイトであり設立者のパフ・ダディは、新たなヒップホップの道を模索。一部からセルアウトと言われながらも1997年「It's All About The Benjamins」に見られるようにスーツを着てジュエリーで着飾り、裕福な富を誇示した派手なリリックとMVのスタイルをとった。これらの特徴はギャングスタ・ラップに見られるような過激さが別の過剰性で置換されたと見ることもできるだろう。このスタイルは後に時代の由来となるような1998年の「Gettin' Jiggy Wit It」1999年の「Bling Bling」にも見られ、商業的に大きく成功したこの時代を特徴付けている。
 しかし同時に、バトルラップを持ち込んだ攻撃的なリリックのエミネムや50centのギャングスタ・ラップなど、前の時代から続くような過激さも依然として健在であったと言えるだろう。

 2012年のボカロは言うまでもなく、「カゲロウプロジェクト」オープニングテーマの「チルドレンレコード」が投稿されたり、KEMU VOXXニコニコ動画最多再生数を誇る「六兆年と一夜物語」が投稿されたりと2011年から投稿を続けていたじんやkemuが大活躍し、プロジェクト系の旋風が巻き起こる。このスタイルは同年の「終焉ノ栞プロジェクト」や「ミカグラ学園組曲」、「ヘイセイプロジェクト」、2013年の「告白実行委員会」にも引き継がれ、これらを中心に小説化を主としたメディアミックスが盛んになった時代でもある。これらの楽曲群はwowakaやハチらがもたらした高速ロック以降のボカロの影響を感じさせるものが多いながら、同時に高いクオリティやストーリー性を表現した派手なMVでも人気を博していたと言えるだろう。(これは2011年9月投稿の「千本桜」の頃から徐々に言える)
 また、プロジェクト系に限らずとも、2012年の「脳漿炸裂ガール」や「ブリキノダンス」、2013年の「ロストワンの号哭」など先の時代の高音/早口やハイテンポを特徴とするボカロ曲の影響を強く感じさせるものも多くの人気を集めていた。

 この時代は商業的に大きな成功を収め、先の時代にならった過剰さを引き継きつつも、同時にその過剰さが見せびらかすような派手さに接続されていた時代でもあっただろう。ヒップホップ最多の売り上げ数を誇るエミネムの輩出や、2012年には「ニコニコ動画VOCALOID オリジナル曲」検索ヒット数2万超など、第一のピークはこの時代まで続いたといえる。

2005~2007/2014~2015

 2005年以降のヒップホップはとにかく景気が悪かったことが当時のメディアを見れば分かる。主流のギャングスタ・ラップが衰退したことや音楽業界全体の低迷も相まって、ヒップホップ界は活気を失っていた。2006年にはナスが「Hiphop is dead」をリリースしていることからもその様子は伺える。
 一方でTペインが2007年に「Epiphany」をリリースし、それに影響されてオートチューンが流行するなど、男らしくタフネスなRAW感を押し出す従来のヒップホップとは一線を画すようなスタイルが目立ちだす時代だ。
 そしてまるで反動のように、ギャングスタ・ラップに対抗したのが、当時は知的なイメージを漂わせていたカニエ・ウェストだった。2007年に50centと同日にアルバムをリリースすることになったカニエ・ウェストは、そのセールスで競うことになる。マッチョで正統派なギャングスタ・ラップの50centと、内省的でラディカルなカニエはそれぞれのスタイルのアイコンとして覇を競うこととなり、結果としてカニエが勝利を手にした。このことはギャングスタ・ラップが衰退した象徴として語られることが多い。

 じんやkemuが一連のプロジェクトを完結した以降の2014年からのボカロシーンも同様に、「衰退期」や「焼け野原」と呼ばれるような不景気な時代に突入する。この時代はとにかくニコニコの年内ミリオンが不発で、「リアル初音ミクの消失」や「【ゆっくり雑談】「なぜボーカロイドは衰退したのか」を解説する」が投稿されるなど、非常にどんよりとした空気が流れていた。しかし一方で新たな感覚がシーンにもたらされることになるのは、光あるところに影ありは、逆も然りということだろう。
 「恋愛裁判」や「ツギハギスタッカート」など全体的に落ち着いた曲が目立つ、というよりは、このようなポップスはいつの時代も普遍的に存在するもので、どちらかというと注目すべきは、かつて主流だった形のボカロの王座が不在なことだろう。また、派手なMVも時を同じくして大人しくなった。
 n-buna「夜明けと蛍」に見られるようなロックバラード、あるいはOrangestar「アスノヨゾラ哨戒班」のようなシンプルなポップスの浮上は多面的に、かつての高密度で高速のロックが主流だった時代の終わりを知らせてくれた。

 この時代は互いにブームが鳴りを潜め、シーンが停滞しつつも、力を蓄え機会をじっと待っていたかのように思える。また、ギャングスタ・ラップや高速ボカロックという、かつての主流だった過剰さが反動のように削がれ、傍流だったはずの流れが力を持ち始めたところが共通点と言えるだろう。この新たな感覚は他の時代と比べると目立ちこそしないが、後の時代を語るのに非常に大事なターニングポイントであったと感じる。

2008~2012/2016~2017

 この時代からオーセンティックなヒップホップは崩壊し始め、新たな姿を見せ始めるようになる。2008年にリリースされたカニエ・ウェストの「808s & Heartbreak」は後年になって評価されてはいるが、当時は賛否が非常に分かれた。なぜならば非常に内省的であり、先のTペインに影響を受けオートチューンを使っているだけでなく、もはやラップをしないで歌っているという逆張り3連発だからだ。ストレートなヒップホップを楽しんでいた人間は、こんなものを出されては最早ヒップホップとはなんなのか分からなくなってしまった。
 そして2008年にリル・ウェインが最高傑作と呼び声高い「Tha Carter III」をリリースするのだが、初週約100万枚を売り上げbillboard200に初登場1位を記録した。これはヒップホップ内外問わず2005年の50centの「The Massacre」以来久しぶりとなる快挙で、中でも「Dr.Carter」の「Welcome back, Hip-Hop, I saved your life」は印象深いだろう。また、新世代のキングとして君臨していたリル・ウェインが「lolipop」にてオートチューンを強く使用してラップする姿は、カニエの斬新すぎる姿に加わわって後続の価値観を一気に変えてしまった。
 2009年にはDrakeが「So Far Gone」をリリース。内省的な歌詞に歌とラップを混ぜ合わせたスタイルからは、ヒップホップの境界線が融ける音が聞こえる。2012年にリリースされたフューチャーの「Pluto」には後の時代を決定づける曲が収録されている。「Tony Montana」はもごもごと呟く発音が不明瞭なラップスタイル「マンブル・ラップ」の走りとして語られることが多い。(これに限ったことではないが諸説ある)「Turn On The Lights」はオートチューンを使用し歌うようなラップを広めたとされている。

They trip when you mumble, they trip when you sing.
But you gave us a chance to dream.
(君が呟くと彼らはつまずき、君が歌うとまたつまずく。
 でも君は夢をみるチャンスをくれたんだ。)

Common - HER Love ft. Daniel Caesar(2019) 

 コモンはこのようにヒップホップが批判に晒されながらも進んできた進化の道程をラップするが、先の時代で「ヒップホップらしさ」が削がれ始めたならば、その隙間を埋めるように、オートチューンの使用や呟くようなラップスタイル、歌うようなラップスタイルという流れが新たに力を持ち始めたといえるだろう。
 一方で2011年のJコール「Cole World: The Sideline Story」や2012年のケンドリック・ラマー「good kid, m.A.A.d. city」などのオーセンティックなラップスタイルの後継も注目を集めていた。

 2016年のボカロシーンは年始から景気がよく、光明が差したかのようにDECO*27「ゴーストルール」が現れ、週刊ぼからんにて史上初の4週連続1位を獲得。それに続くように年内ミリオンが続出し「2016年ボカロ四天王」などとも呼ばれるようになる。続く2017年にはwowakaやハチなど往年のボカロPが復帰し非常に活気に満ち溢れていたが、これは初音ミク10周年のブースト効果であり、注視すべき流れは他にあると考える方が近い気がする。
 ではなにがあったかというと、2016年の「エイリアンエイリアン」(BPM152)や「シャルル」(BPM145)、2017年の「ナンセンス文学」(BPM154)に見られるような、かつてと比べるとBPMを抑えたダンサブルなロックの流行である。他にも2016年「フラジール」(BPM127)のエレクトロスウィングや2017年「帝国少女」(BPM118)のシティポップなど、やはりBPMが控えめでスタイリッシュな楽曲が目立つ。n-bunaやOrangestarが切り開いた「高速ボカロック以外の道」の延長線上に力が集まっているとも言えるだろう。
 また、「シャルル」を初めとしてダウナーな楽曲や洒落た曲にv flowerが起用され始めたのも重要なポイントだろう。かつての初音ミクや鏡音リン・レンや巡音ルカ、GUMI、IAといった流行のボカロは発売直後に注目を集めることが多かったが、このv flowerというボカロは既に2014年にVOCALOID3ライブラリを発売していた。2015年にVOCALOID4に対応し、2016年にバルーンの「シャルル」がヒットすることで注目を浴びるようになる。しかし面白いことに、初音ミクや鏡音リン・レンのようにキャラがヒットしたわけではなく、巡音ルカやGUMI、IAのように癖がなく汎用性が高いライブラリとは真逆に、中性的で鼻にかかった歌声という癖っ気だらけの飛び道具だったのだ。誰もが疑問に思うだろう。v flowerはなぜ流行ったのだろうか。
 その背景にはダウナーなロックの流行があるだろうが少し話を戻して、そもそもこの頃の曲調の話をすると、筆者は一つ疑問を感じざるを得ない。cosMo@暴走Pはマジカルミライのインタビューにてこう語った。

ボーカロイドというツールを使い始めたときに僕が感じたのは、ボカロは人間的に歌うことがそこまで得意ではないということなんです。普通に歌わせるとどうしても人間の代わりのように捉えられてしまうし、その場合に「人間より下手」みたいな印象を持たれてしまうのはよくないなと。その結果、どうしたらボカロらしくなるか、ボカロならではのものが作れるかと考えて、早口という表現にたどり着きました。ボカロの弱点を消す形で歌わせるにはどうしたらいいんだろう、と考えた末ですね。

初音ミク「マジカルミライ2021」特集 cosMo@暴走Pインタビュー|“神様のような存在”初音ミクが開闢したクリエイターたちの世界

 ボカロ独自の表現方法としての早口歌唱(ついでに言うならば高音歌唱も)が、ボカロの弱点を補完するような形で表出したことに筆者は深く同意する。ボカロの黄金期が高速ボカロックに支えられ、停滞していた時期にはその特徴が見られなかったことからも、これは決してcosMo@暴走Pに限定した感覚ではなく、シーン全体に普遍的な価値観のように思える。だからこそ疑問だ。そのような独自の武器を失くしたボカロは、この時期どのように復活の兆しを見せていたのだろうか。あるいは今の流行に至るまでを描いたのか。
 それはもしかしたら、ギャングスタ・ラップという大きな武器を失うも、オートチューンに呟くようなラップ、歌うようなラップと新たなスタイルを模索していたヒップホップの道筋にヒントがあるかもしれない。ということで長くなったが、いよいよ次から本題に接近していく。まずは、ボカロシーンは如何にして高音/早口歌唱に依存しなくなったのか。

(またもや余談だが、2017年に投稿された「砂の惑星」が非常に賛否を巻き起こしたことは言うまでもないだろう。歌詞にはボカロシーンをディスっているような描写が目立ち、多くのアンサーソングや議論を呼んだ。
 実はヒップホップシーンにも似たようなバースがある。2013年「Control」のケンドリック・ラマーのパートだ。ここで彼は同世代のラッパー達を11名も直接名指しし、「I got love for you all but I'm tryna murder you niggas.(お前らのことは愛しているが、皆殺しだ)」とラップした。この一件は多くの議論やアンサーソングを誘発したが、ヒップホップのコンペティティブの低下を指摘したと評価する見方も多い。エミネムは、「Again, that's why Kendrick's verse worked so well because he only said what every rapper's already thinking. If you don't want to be the best, then why are you rapping?(繰り返すが、ケンドリックのバースがうまくいったのは、彼がすべてのラッパーがすでに考えていることを言っただけだからだ。最高になりたくないなら、なぜラップをしてるんだ?)」と語る。
 こうした視点で「砂の惑星」を見てみると、「ぶっ飛んで行こうぜもっと エイエイオーでよーいどんと」という歌詞が、過渡期におけるコンペティティブの低下を憂いているように見えないだろうか。一見ただのディスに見える同楽曲だが、明示的にヒップホップを参照している点からも、ハチはかつてのボカロシーンを突き動かしていた力がコンペティションであったということを強く理解していたのかもしれない)

2013~2015/2018~2019

 この時代になると、既にT.I.やヤング・ジージー、グッチ・メインらが広げてきた南部の音楽、トラップが本格的に世界を席巻するようになってくる。その中でもミーゴスの「Versace」は、その以前と以後でヒップホップを二分できると言う人もいるほどだ。この楽曲の大きな特徴「三連符フロウ」は、所謂トラップのノリの一つとしてトラップと共にその名を轟かすことになる。また、「ヴェルサーチ」と連呼する簡素ながらも面白いリリックも特徴だ。2014年の「Trap Queen」に見られるように、この時代からトラップは「南部のスタイルはヒップホップを破壊している」など言われながらも、オートチューンの使用や、メロディやフロウを重視したラップと共に拡大していくことになる。また2015年からのフューチャーは全アルバムがBillboard200で1位を獲得するなど、やはりこの辺りの時代からその中心にはフューチャーが存在する。

 2018年のボカロシーンは、そのまま「ロキ」(BPM150)や「ベノム」(BPM152)といった控えめなBPMのダンスロックのヒットが続く。「VOCALOIDと歌ってみた」が注目を集めたり、ニコ動で最も再生数が多いv flowerの楽曲であったりとこちらも中々に興味深いのだが、2019年頃にはもっと顕著な変化が見られる。「オートファジー」(BPM137)や「Gimme×Gimme」(BPM105)「ジェヘナ」(BPM128)「ラストリゾート」(BPM124)などエレクトロニックなサウンドが、先の時代でぬゆりらが注目を集め始めていた頃より、かなり目に見えて注目を集めるようになる。やはりBPMは低めであり例外もあるものの、全体的な傾向としては黄金期とは逆の方向へ大分歩を進めたような印象がある。
 もう一つ興味深い特徴があるのだがそれに触れる前に、ヒップホップサイドではシーン全体がギャングスタ・ラップを特徴とする黄金期からトラップ以降の雰囲気に移る際になにが起こっていたかを考えることで、以降の流れを分かりやすくし、ボカロシーンの急激な変化にも当てはめられることがないか考えてみようと思う。

 まずトラップ以後の大きな特徴として、BPMの低下が見られる。トラップ以前がBPM90~110前後が主だったのに対して、トラップはBPM70~80前後を主とする。トラップはその倍のリズムを取ることで縦ノリできるという特徴もあるのだが、BPMが遅くスカスカのトラックの間を持たせるためにフロウが強い役割を持ち、一方で倍のリズムで取ることができ高速で刻まれるハイハットによって多様なフロウを生み出す余地を与えている。故に三連符フロウやメロディを強調したフロウなどが発展した。
 次に見られる大きな特徴は、オートチューンをかけることでトラックとの同化が行われている点だ。オートチューンによって属性を近づけることで、トラップのシンセサウンドと混ざり合うその質感自体を楽しむ行為が、低いBPMの間を持たせる楽しみ方として発展しているとも言えるだろう。背景にはそれがもたらすドラッギーな酩酊感があるだろうが、ここでは割愛する。
 次に見られる特徴はリリックの内容だ。後に「マンブル・ラップ」(=呟くラップ)と呼ばれるスタイルは元々、薬物の使用で呂律が回っていなかったり、南部の訛りが特に聞き取りにくいことが由来であったりするのだが、同時に「発音が不明瞭」だけでなく「リリックの中身がない」ものもマンブル・ラップと呼ばれ、ただ最近流行りのスタイルを十把一絡げにまとめただけのカテゴライズだという批判もあったりする。しかしこれは、逆に言えばリリックやライミングに頼らなくてよくなったとも見れる。ギャングスタ・ラップを中心としたシーンからトラップを中心としたシーンへの移行は、主にフロウの発展とオートチューンの質感によって支えられていると言えるだろう。

 これをボカロシーンに当てはめてみよう。散々触れてきたため全体的な傾向としてBPMの低下が共通する事項であることは深堀りしないが、ではこの時代に何が起こっていたのか。
 ここで先ほど一旦置いておいたこの時代の特徴について触れておく。2018年に「メルティランドナイトメア」「ロキ」「グリーンライツ・セレナーデ」「劣等上等」「メリーバッドエンド」、2019年に「ビターチョコデコレーション」「ラストリゾート」「ジェヘナ」「オートファジー」「春嵐」。枚挙にいとまがない。ヒップホップシーンが間を持たせるためにフロウやデリバリーを発展させていたように、この頃のボカロシーンは急激に、必要以上に調声の概念が発達しているとは思わないだろうか。ピアノバラードという挑戦的な姿勢と共に、神調教タグを付けられることの多い傘村トータが「誰かのヒーローになれたなら」でヒットしたのもこの時代であり、なにか象徴的なものを感じてしまう。
 ではトラックとの同化についてはどうだろうか。この頃から本格的に流行るエレクトロニックなサウンドが、機械的な特徴を持つボカロの歌声と馴染むことは言うまでもないだろう。それはある意味でミクノポップ的なアプローチでもあり、エレクトロニックなサウンドの流行は、テクノロジーの発展とボカロPの技術向上によってもたらされた調声への強い意識と共にあるのではないだろうか。

 また高音/早口歌唱と同レベルに、MVもボカロの弱点を補完する形で発展してきたように筆者は感じる。「ロキ」や「ベノム」に見られるように、先の時代でDECO*27ナユタン星人が意識的に変革しようとした一枚絵のスタイルへの回帰は大分定着してきたように思うが、ヒップホップがリリックに頼らなくてよくなったのと同様に、こちらもMVの表現に頼らなくてよくなった(=弱点の克服)と見ることはできないだろうか。
 ボカロシーンにおいてのヒップホップシーンとの共通点は、要素ごとで発展してはいるものの、全体で見ると似たものを見出せるのではないだろうか。この辺りの時期からボカロの楽しみ方の主だったものが、高音/早口歌唱からその声のテクスチャーを楽しむものに変化してきたのだと考えると、その走りとしてダウナーで中性的といった個性的な声質を持つボカロであるv flowerの流行も納得がいくように思える。そのように捉えると、n-bunaの感情的で震えるような調声や、ナユタン星人のこぶしを効かせた調声が控えめなBPMのロックサウンドと共にあったのも当然に思えるし、黄金期の勢いを失った2014年にヒビカセやECHOなどのエレクトロ要素が強い曲が流行っていたのも繋がっている気がする。そうしてここでようやく、前に作った表が活きてくる。

 この時期からのヒップホップシーンはよくフロウとデリバリーだけなどと批判されたりもするが、要するにこの時代からヒップホップシーンとボカロシーンのメジャーなスタイルは、表の左側に重きを置いていた価値基準から右側へ重きを置くようになった。つまりその独自性を、過剰さが見られる中身や独特の歌唱法に頼るのではなく、インストへのアプローチやそのテクスチャーに頼るような大きなルールチェンジが起きたのではないか。次からはこの考え方を取り入れながら話を進めていく。

2016~2018/2020~2021

 2016年からのヒップホップは本格的に新世代の歴史へ変わる。象徴的なのは2016 XXL Freshmen Cypherだ。期待のアーティストを集めるこのサイファーは、酷いビートの上で享楽的にマンブル・ラップに傾倒するスタイルだらけであり、新たなヒップホップの形として非常に賛否を呼んだが、2億を超える再生数が現状を表しているだろう。
 またこの時期はSoundCloudを基点としたムーヴメントが非常に活発となってサウンドクラウド・ラップなどと呼ばれるようになり、そのハードルの低さからラッパーが急増することとなる。2017年にはヒップホップはロックの売り上げを超えたと言われ、もはや黄金期を超えた第二の全盛期が訪れたと言っていいだろう。
 そしてこの時期のトレンドとして、2017年頃からXXXテンタシオンやジュース・ワールド、リル・ピープといったラッパーが、曖昧な定義(エモ・ロックの影響を感じさせる一方で、ただエモーショナルな歌詞のことも一緒にまとめることが多い)のままエモ・ラップと呼ばれる鬱や自殺衝動、薬物のことを歌うようなラップスタイルと共に広め、注目を集める。このようなテーマは以前からヒップホップに存在したが、大きな差はその開き直った鬱々とした雰囲気と、ドラッグを売るのではなくドラッグに溺れるリリックだろう。このような鬱屈とした内容のエモ・ラップは若者たちから大きな注目を集めた。
 もう一つのトレンドとしては、ラッパー達の「ロックスター」化だ。2017年のポスト・マローン「rockstar」はその象徴だろう。ラッパー達は最早「ラッパー」と呼ばれることを嫌い、アーティストやロックスターとして扱われることを好んだ。この時代が既にルールチェンジ後のゲームであることを示唆するエポックメイキングな出来事だろう。

 さて、2020年のボカロシーンにも、非常に賛否を呼びながらも人気を博した存在が現れた。「プロセカ」だ。ボカロキャラと人間のキャラを同列に配置しストーリーを進め、「VOCALOIDと歌ってみた」を投稿する。奇妙かに見えたこのプロジェクトが成功していることは、結果を見るまでもない。このスタイルは一見ボカロの意味がないと批判的に見られがちだが、現状を見れば、ボカロと人間を同列に配置することで、よりボカロの非人間性 (=独自性)を際立たせたと言ってもいいだろう。
 そして2020年の12月には、あの「ボカコレ」が初めての開催を行い新たな時代の幕開けを感じさせる。2024年3月現在でニコニコにてキーワード検索「VOCALOID オリジナル曲」で検索すると、2012年が22,645件なのに対して2020年は23,971件と、かつての全盛期を遂に上回る結果を見せている。ヒップシーンと同様、こちらも第二の全盛期を迎えたといっていいだろう。
 またこの時期のトレンドとして、「ダーリンダンス」や「ヴァンパイア」に見られるような、いわゆる量産型や地雷系のビジュアルを取り入れた楽曲群(「ぴえん系ソングリンク」が付くことが多い)のヒットが挙げられる。ボカロと”病み”は常に蜜月の関係にあったと言えるだろうが、エモ・ラップと同様、このブームの特徴的なのは一種の開き直りのようなものであり、それ自体がアイデンティティでありパッケージングされているところだろう。わざわざ取り上げる程でもないと思うかもしれないが、このようにしっかりと若者世代の感覚をキャッチしたヒット曲が多く生み出されている背景として、シーンの新陳代謝が上手く回るようになったと捉えることができるだろう。
 少し時代を戻し2019年になると、「ブレス・ユア・ブレス」が投稿されていた。「ロックスター」現象に見られるように、かつてのヒップホップやボカロが作り上げたシーンの"枠"が存在しているとしたら、既にその"枠"がアーティストを縛り付けてしまうフェーズに突入していたと言えるだろう。その違和の噴出に呼応するかのように、2018年「有機酸→神山羊」「こんにちは谷田さん→キタニタツヤ」「risou→Sori sawada」、2019年「春野」「しーくん→seeeeecun」「mao sasagawa→笹川真生」など多くのボカロPがシンガーソングライターへと転身をした。ハチやバルーンなど以前からこのような流れは存在したが、以前の二人はSNSでハチ/米津玄師やバルーン/須田景凪と名義を併記していたのに対し、この世代には意識的に名義を切り離すような言動が多く見られるのは、以前の流れとはまた異質なものを感じる。
 しかしその後の流れとして、ヒップホップのシーンが括弧付きの「ラッパー」像を破壊していく一方で、アーティストとしての「ボカロP」のイメージは、新世代筆頭のすりぃ、syudou、Ayase、ツミキ、ろくろ、煮ル果実による緩い繋がり「DREAMERS」メンバーの活躍などによりフレッシュでカッコいいものとして刷新されたような気がする。

 さて、では先ほど触れた「テクスチャー」の目線でこの時代を見てみるとどうだろうか。この時期から非常に人気を博した音源が「可不」と言えるだろう。この音源は厳密にはVOCALOIDではなくCeVIO AIとして開発され、非常に人間らしい歌声が特徴だ。しかし一方で、可不はより人間らしくすることが技術的には可能であったのにも関わらず、合成音声特有の機械らしさを大切にした。同時期に人間らしい歌声合成ソフトSynthesizerVのPro版もリリースされる中、歴史が選んだのは機械らしさを残した可不であった。機械的な特徴を持ち合わせている可不が「フォニイ」や「マーシャル・マキシマイザー」といったエレクトロニックなサウンドを代表曲としているのも非常に示唆的に思う。
 また、この時期にこの話をするなら決して忘れてはいけない人物がいる。新世代ボカロPの「KING」ことKanariaだ。この曲は非常に特徴的であり、English版のGUMIに歌わせた癖のある歌唱はエレクトロニックなビートと接近し、人間では到底出すことのできない味わいを見せている。Kanariaは週刊少年ジャンプ2022年45号 p.216にて「──そうまでさせるボカロの魅力はどこにあったと感じますか?」という問いに対し、「シンプルにボカロの声が好きでした。」と答える。また2016年以後のボカロシーンにおいて外すことのできないDECO*27とピノキオピー、稲葉曇はこう語る。

―それぞれの音に対するこだわりについて、お伺いできればと思います。
DECO*27:僕はやっぱりミクの声ですね。アルバムごとに調声を変えていて、今回は既発曲の“ヒバナ”と“愛言葉Ⅲ”も、アルバム用に少し変えています。機械っぽさと人間っぽさを融合させつつ、聴き取りやすいところに落とし込むのがDECO*27としてのミクだと思っていて。

DECO*27の新境地 運命共同体の制作パートナーRockwellとの物語

Y:歌声合成は人間っぽい歌い方ができるように、表現力が高くなるように進化してきていますが、人間っぽくなることについての考えをお聞かせください。
ピ:僕自身は人間っぽいVOCALOIDを突き詰めたいとはあまり思っていなくて。人間じゃないものが歌っているイノセント感というか、不気味さというか、僕はそういうものにきらめきとか可能性を感じているんです。あとはそもそも声の表情をつける調声が僕には向いていないというか、出来ないというか。Mitchie Mさんの調整技術とか、本当に尊敬しています。

ボカロPとVOCALOID ピノキオピーさん編 〜初音ミクが持つ「心ここにあらず感」〜

稲葉曇:歌愛ユキはボカロPの想太さんの楽曲がきっかけで知ったんですけど、曲を作り始めた当時は鏡音リン・レンを使っていました。でも、曲をつくっていくうちに、どういう曲をつくりたいのかが自分でも分かってきて、「つくりたい曲にもっと合う声がいるんじゃないか?」と色々探した結果、歌愛ユキの声に辿り着きました。歌愛ユキって、使っている人は多くはないかもしれないですけど、声がめちゃくちゃ魅力的だと思っていて。自分も歌愛ユキの曲をもっと聴いてみたい、と思ったのが最初のきっかけです。

稲葉曇、「ロストアンブレラ」ブレイクを経た変化 ボーカロイド 歌愛ユキを選んだ理由や音楽的ルーツも明かす

 このように調声への意識が高まっているボカロPの楽曲へ注目が集まっているのは偶然なのだろうか。ボカロシーンの歴史を紐解いて見ていくと、ボカロが人間らしさを獲得し表現力を増していく一方で、むしろボカロが持つ「合成音声特有の機械らしさ」に対する、フェティシズムのようだったものが緩やかに一般化し始め、もはや高音/早口歌唱に代わる新たな「ボカロらしさ」を構築していると言ってもよいのではないだろうか。

2019~2021/2022~2023

 この辺りは特に多様性の時代でもあり中々史観としてもまとまってない為、ヒップホップやボカロのシーンを見渡すのは難しいのだが、中でも興味深い事例を取り上げていきたいと思う。
 まずは多数のメディアがこの時期に触れ始めた「ベイビーボイスラップ」だ。ヤング・サグやプレイボーイ・カルティの影響を受け、ハイピッチでもはや幼児と形容されるまでの声を出すこのラップスタイルは、かつてのヒップホップシーンでは到底受け入れづらく、現在のフロウやデリバリーを重視するシーンの中で広まった事例としていいだろう。例としてリル・キードの「Snake」、コチース「Tell Em」やプレイボーイ・カルティの「@ MEH」が挙げられる。
 次に興味深い特徴として見られるのは、過剰なクリッピング(音割れ)である。ヤング・サグの「Light It Up」やRage方面の代表としてトリッピー・レッド「Miss The Rage」などが挙げられるが、その特徴自体はハードルを大きく下げたサウンドクラウド・ラップ時代から多く見られた。しかしそれらの多くが荒削り感を含んでいたのに対し、このトレンドはグランジ的なパワーを引き出すために意図的に過剰なクリッピングを引き起こしていることが多い。一見奇妙なトレンドだが、テクスチャーを楽しむという面では一貫しており、サウンドクラウド・ラップ時代から急増し多様化したヒップホップのメインストリームが、このようなサウンドに至るまで様々なスタイルを吸収しているということだろう。

 2022年からのボカロシーンは非常に興味深い。まずは2020年にスリーパー・ヒットを記録した稲葉曇「ラグトレイン」にて注目を集めた歌歌ユキが2022年「身体は正直だって言ってんの」「ド屑」2023年「強風オールバック」など更なる注目を集めた点だろう。この歌愛ユキもv flowerと同じく発売から時間が経って評価された形となり、(2013年「いかないで」2016年「パスカルビーツ」などがあるものの)2009年のVOCALOD2ライブラリ発売と2015年にVOCALOID4ライブラリが発売を経るも、ここまで目立った流れは見られなかった。これもボカロのテクスチャーを重視する流れで、歌愛ユキのハスキーな小学生という個性的な声が評価されたと見ることができるだろう。あえてワードプレイをしてみるなら、高音や早口といった歌唱力で人間と差別化しようとするVocal-oid(声のような)としては落ちこぼれだった歌愛ユキは、その音の質感で人間と差別化しようとするVocal-synthesizer(歌うシンセサイザー)として優等生になったと言えるかもしれない。
 次に特徴的なのは、UTAUが大きな飛躍を遂げた点だ。2022年の「熱異常」や「天使の翼」2023年の「人マニア」では足立レイ、ゲキヤク、重音テトなどのUTAUがヒットを飛ばしている。ニコニコ動画で検索すると、一部に限定した話ではなく、UTAUの全体的な投稿数自体が2023年になって急増していることが分かる。こちらも一見急なトレンドに思うが、しかしボカロのテクスチャーを考えて見てみると、様々なAIシンガーが乱立する昨今において、最も機械的なテクスチャーを感じれる歌唱合成ソフトウェアとして急浮上したのがUTAUなのではないだろうか。(といってもUTAUは到底一概に語れるものではないのだが、あくまでも表出しているものの特徴として)中でも際立っているのは”中の人が存在しないUTAU”の代表例こと足立レイの「熱異常」だろう。はっきり言って初見でこれを正確に聞き取れる人間はそれこそ異常だと思う。不明瞭な音で発せられる声の最たる特徴としてはそのテクスチャーであり、これはまさにマンブル・ラップと似た楽しみ方を示していると言えるのではないだろうか。歌詞においては差異が見られるように思うが、あまりにハイコンテクストで難解を極める歌詞は、一周まわって非意味性に通ずるところも感じる。

 ニコニコ動画「UTAU オリジナル曲」キーワード検索

 この時代は混沌を極めているが、共通点としてはアーティストの急増に伴うシーンの多様化を経て、メインストリームがニッチなゾーンを吸収し始めた点だろうか。「ベイビーボイスラップ」や「歌愛ユキ」に見られる必要以上の幼さは、方向性こそ違えど、中々触れられることのなかったゾーンであることには間違いない。
 またUTAUの声質に見られるようなローファイ感やノイジーさは、過剰なクリッピングに通ずるところもあるだろう。こちらも本来は避けられることが多い傾向にあるもので、わざわざ触れようとはしないゾーンへと開拓を進めた印象がある。


ボカロシーンの現在

 さて、ヒップホップシーンとボカロシーンにおいて筆者が似ていると感じる共通項をつらつらと並べ立ててきたが、読者的には似ていると感じて頂けただろうか?そして、そろそろなにかしら結論というか、まとめを行おうと思う。「ボカロシーンの現在において、なにが起きているのか」

 まずはボカロシーンの変化について触れる前に、ヒップホップシーンの変化について触れておきたい。ヒップホップは確かに変化した。したのだが、それは本当の意味で変化だったのだろうか。一例として、マンブル・ラップの流行を古いヒップホップファンは否定する一方で、マンブル・ラップに見られるようなビートとの同化(歌詞の非意味性やフロウを重視する)は原初のパーティー・ラップ的でもあり、元々はDJの盛り上げ役でしかなかったMCを考えると、それはMCイングへの回帰でもあるとする見方もある。ラッパーとは結局MCであり、MCとは司会者(master of ceremonies)なのだ。では、実はむしろパーティー・ラップとマンブル・ラップに挟まれたヒップホップ黄金期の方が異常だったのか?そんなことはない。MCとは司会者(master of ceremonies)であり、あるいはラキムが提唱するように群衆を魅了する(move the crowd)者なのだ。その盛り上げ方が、DJやビートを立てる形でオーディエンスを沸かせるのか、ラップスキルやリリックでオーディエンスを沸かせるかの手法が変わっただけであり、その奥には通底するものを持っているのだ。
 ではボカロシーンの変化はどうだったのか。ヒップホップに置き換えるならば、まず最初に中心にあったDJに相当するのは、ボカロのビジュアル的なキャラクター性だ。そこから次第にビジュアル的なキャラクター性が薄れ、高音/早口歌唱に見られる独自性や、シンガーとしての透明性を活かしたリリックへとボカロらしさは移り変わっていった。ボカロの現在だけを見るならば、その後冒頭に触れたようにボカロキャラMVへの回帰を果たしているわけだが、ではその間になにが起きたのか。筆者の考えではその後、ボカロは声そのものに見られるテクスチャーを武器に変え始めた。それはキャラクター性からの乖離だったのだろうか。筆者はそうは思わない。当時VOCALOIDにおいて初音ミクの何が革新的だったのか。その一つはパッケージにアニメ系や萌え系の文脈に接続したイラストを採用した点だ。そしてもう一つ、本稿において特筆すべきは、LOLA、LEON、MIRIAM、MEIKO、KAITOのようにシンガーを起用するのではなく、声優を起用した点だ。クリプトン代表取締役の伊藤氏はこのように語る。

ロリータボイスというものには、声自体が何かを伝えてきている感じがありますよね。『私、可愛いでしょ』って、声で自己アピールしているような感覚がある。ボーカロイドというのは、その声の波形を切り刻んで再構築したものが歌になっているわけです。藤田咲さんの声が断片化されて、ちょっと違う形になって初音ミクとして出てきてくるわけなんですね。でも、元の声にあった『私、可愛いでしょ』という雰囲気は、ある種ランダム化されて残っている。そういうコラージュに通じる状況は面白いと思っていました。

初音ミクはなぜ世界を変えたのか? p.105

 つまりビジュアル表現に限らずとも、そもそもボカロの声それ自体にキャラクター性は溶け込んでいるのだ。そのように考えると、特異的なヒットをし出したボカロの代表曲となる存在は「シャルル」や「ベノム」、「ラグトレイン」や「ド屑」に見られるように、ダウナーで中性的/幼げなv flowerと歌愛ユキの声にとてもマッチし、その魅力を存分に伝えているように思える。「強風オールバック」に関しても、歌愛ユキの幼い声質にリコーダーやカスタネットが非常にマッチしているし、「熱異常」や「人マニア」に関しても、UTAUが持つノイジーな声質が不協和で混沌としたサウンドと化学反応を起こし、その無機質さがポスト・アポカリプスやシニカルな世界観と強いシナジーを生み出しているように思える。ヒップホップがパーティー・ラップに回帰していたように、このボカロの機械的なテクスチャーを重視する風潮は、ある意味でのキャラクター性への回帰に繋がっていると見ることができないだろうか?ここで冒頭の話に戻る。

2024/3/7取得 ニコニコ動画VOCALOIDタグ50曲とTOP50のボカロキャラサムネ
2024/3/7取得 ボカロキャラのMV登場一覧

 この表から分かる通り、現在のボカロシーンの隠れたトレンドはボカロキャラMVへの回帰なのだ。この表で注目したいのは、最近注目されることが多いキャラクターは重音テト、歌愛ユキ、ずんだもんといったように非常に特徴的で、キャラクターを想起させるに十分たる声質やテクスチャーを武器にしているということだ。
 グラフを見る限りこの流れは突発的なものに思えるが、先述した仮説を元に考えるならば、このボカロキャラMVへの回帰は、ボカロのテクスチャーを重視する流れの先端として捉えることができないだろうか。ボカロのテクスチャーを重視する流れがグラデーション的にビジュアルを必要としないキャラクター性(声質)へと繋がり、それがビジュアルを用いたキャラクター性への回帰へ変質していると。
 そこに通底した価値観を考えるのならば、(中にはそのように乱雑に一般化されることを嫌う者も多いだろうが)ボカロPとはボカロのビジュアル、独自性、声質などを多面的にプロデュースする者であり、そこに通底するのは、その名の通りボカロをプロデュースする存在ということだろう。

 つまりボカロシーンは常に変化を繰り返しているが、その根底はなにも変わっていないのである。ボカロPは無意識だとしても、常にボカロと人間の差別化を探究している。これこそがボカロの未来を常に切り開いてきた意識に思える。これからもボカロシーンがヒップホップシーンと似た様に進むとは限らず、この先のボカロシーンは誰にも分からない。キャラクター性への回帰は今がピークなのかもしれないし、これから先ますます深化するのかもしれない。
 私から言えることは、各々がボカロシーンの現在をできる限り楽しむこと、それがボカロシーンの未来に繋がるということだ。あくまで私の意見を元にした史観であることは繰り返しておくが、この記事があなたのボカライフを楽しむためのピースとなれば幸いだ。それでは皆、良きボカライフを。



この記事を、記念すべきヒップホップ50thと
初音ミク16thに捧げる。
Big up to HIP HOP and VOCALOID.

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