MacBookシリーズは人を堕落させる

机の上にはM1 iMacがあって、膝の上にはMacBook Air "11が乗っていた。
なにしろMacBookときたら場所を選ばずに使うことができるので、(ただそれだけの理由で)もう9年も前のそれはそれは非力でOSだってMontereyまでしか走んないようなEarly 2015のMacBook Air(ついでに書いとくと、メモリだって4GBしかない)でも、その稼働率で比較すると、たぶんM1 iMacの10倍くらいは使っている。
場所を選ばないと言うのは、つまり暖かい時には涼しいところで、寒い時には暖かいところで使えるわけだし、この机の前にいる必要だって全然ない。
なんなら、車で30分はかかるスタバに行って、光るリンゴを見せびらかすことだってできる。
ところが、今日は久しぶりに正しい姿勢でテキストをタイプしようと、M1 iMacを使ってこの記事を書いているのだが、いつもなら10年くらい前に購入したコールマンのキャンピングチェアに腰掛けてふんぞりかえってタイプしているところだ。
それがどうして椅子に腰掛けて正しい姿勢でタイピングしているかというと、まぁそのキャピングチェアにふんぞりかえった姿勢を長く習慣化してしまったせいで、腰が痛くなってしまったからだった。
しかも、そんな楽ちんな姿勢はこうした創造的(!)な時間を持つことはできず、ダラダラとYoutubeを見ていたり、X(旧Twitter)をしたりしていて、無意味な時間をダラダラと過ごすことになってしまう(自分比)。
そんな無意味な時間を過ごすのもたまに(ほんとにたまぁに)なら良いのだけれど、いつの間にか机の上に山積みになった小説や、部屋の散らかり具合を見ていると、あかんなぁと思う。
いやぁ、恐るべしMacBookシリーズ。
そもそもMacはクリエイター御用達のものであるはずなのに(ホントーか?)、もっとも相反するところにもあるのがMacBookシリーズだった。
いやクリエイターはデスクトップを使うので、シリーズによって(つまり、デスクトップかノートシリーズか)クリエイトもできるし、堕落もできるのがMacということなのか?

久しぶりのiMacでのタイピングは快適でした。
MacBookシリーズだと、タイプミスが多かったんですよね(姿勢のせい?)。

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