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初めてポテトサラダを作って、騒動を考察

【要約】

Twitterで、惣菜コーナーでポテトサラダを買おうとする女性に、「母親ならポテトサラダくらい作ったら」と通りかかった老人が言っていたというツイートが話題に。それをきっかけにポテトサラダを初めて作ってみるとともに、ポテトサラダは自作すべきか、老人の発言は非難されるべきか、などについて考えてみた。


【ポテトサラダ騒動】

Twitterで、惣菜コーナーで女性に、「母親ならポテトサラダくらい作ったらどうだ」と声をかけた老人の話が話題になった。

多くは老人の発言に批判的だった。曰く、他人に口を出すな。老害。ポテトサラダは買った方が良い。お前が作ってみろ。などなど。

私が最初に、このツイートを見て思ったことは、(まあこれも批判の典型例の1つなのだが)ポテトサラダって、「ポテトサラダくらい」って言うほど簡単じゃなくて、結構作るの面倒なんじゃないかと言うことである。老人はポテトサラダなんか作ったことないだろうという先入観も、この意見を尤もらしく思わせた。

次に、自分自身、小学校の家庭科の実習で「粉吹き芋」を作って以降、ポテトサラダというものを自作したことがないことに気づき、「ポテトサラダくらい」と言う老人の発言と「ポテトサラダ作るの面倒では」と言う自分の感想のどちらが正しいのか、気になり始めた。


【とりあえず作ってみた】

とりあえずポテトサラダを作ってみることにした。

初めて料理をする場合、まず飯島奈美さんのレシピを探すことが多い。ところが今回、彼女のレシピだけで4種類も見つかった。迷った挙句、アンチョビを入れるレシピを選んだ。お洒落な感じだし、酒にも合いそう。

実際のレシピはこんな感じだ。

(材料)
* じゃがいも 小6個280g
* たまねぎ 1/4個
* アンチョビ(フィレ) 2本
* きゅうり 1/2本
* バター 7g
* 塩 0.5g
* マヨネーズ 大さじ2
* 黒こしょう 0.2g

(作り方)
玉ねぎは1/8に切ってから1mm幅で櫛形切りにしたあと、水にさらす。

胡瓜は1mm幅の小口切りにして、塩0.2gを振って軽く混ぜておく。
アンチョビは縦に2つに切ったあと、細かく切る。

ジャガイモは皮のまま水に入れ、沸騰して15分、火を止めて15分。茹で上がりを熱いうちに皮を剥き、スプーンで潰して、バターを混ぜて、ついで水を切った玉ねぎ、塩0.3g、アンチョビを加え、さらに混ぜる。
15分間、常温で冷ましたあと、水を軽く絞った胡瓜を加え、黒胡椒を振ったあと、また軽く混ぜて、室温まで冷ましてからラップして冷蔵庫へ。完成。

(感想)

思ったよりも簡単。録画していた金曜ロードショーの「オーシャンズ8」を見ながら作業したが、8人のヒロインが時価数百億円のお宝をゲットするよりもだいぶ前に、原価数百円のお宝を1人で完成させた。「おっさんズ1」である。映画化は期待できない。

茹でたり冷ましたりするのに時間を取られるが、実際に手を動かしている時間は、後片付けも含めても15分もないだろう。しかも簡単な作業ばかり。野菜などの切り方も簡単だし、そもそも材料の殆どが切る必要のないジャガイモなので、切る量も少ない。

使う食材も特殊なものは不要で、今回はアンチョビを使ったが、ジャガイモ、玉ねぎ、人参、ハムと言った、いつでも冷蔵庫にありそうなもので作れるので、手軽。

味はかなり美味しい。ポテトサラダは意外と店によって味のばらつきがある。家で安定的に美味しく作れたらいいなと思う。

一方でレタスをちぎって、市販のドレッシングかければ完成するグリーンサラダと比べると、時間はかかる。作業時間自体は大したことないが、一度加熱してから冷ますわけなので、どうしても完成までに時間がかかる。加熱はレンジを使ってもいいし、温かいポテトサラダもあるので、かなり時短できるレシピもあると思うが。


【原価計算】

今回のポテトサラダにかかった費用を計算してみた。ただし、ガス代や電気代は無視した。

(材料費)

全て購入金額と重さを基準に概算。特別安いものは選ばず、ごく標準的なものを選んだつもり。15の倍数が多い。計算しやすくていい。アンチョビが高く見えるけど、代わりにハムと人参を使っても、あまり変わらない気もする。

* じゃがいも 小6個 150円
* たまねぎ 1/4個 15円
* アンチョビ(フィレ) 2本 60円
* きゅうり 1/2本 15円
* バター 大さじ1/2 15円
* 塩 0.5g 1円
* 胡椒 0.2g 2円
* マヨネーズ 大さじ2 15円

(人件費)

先述のとおり、テレビを見ながら、実際に手を動かしたのは15分足らず。拘束時間も1時間足らず。仕事としては時給1000円でも高すぎると思うが、一応これに15分をかけて250円にしておく。ビール1缶である。今回の作業の「お駄賃」としては、感覚的には悪くない。

結果、材料費と人件費で523円と決定した。

【考察】

(作るべきか買うべきか)

スーパーの惣菜コーナーでポテトサラダを見てみたら、意外と少ないことに気付いた。同じ値段ならマカロニサラダの方がはるかに多い。今回作った量の1/3ほどで本体価格298円で売られていた。つまり今回作ったポテトサラダだと約900円と言うことになる。

今回に関して、値段だけで言えば、作った方がお得である。ただ惣菜コーナーに売られていた298円のポテトサラダを、同じ量作るとなると話は違う。材料費は1/3になるが、人件費はほぼ変わらないので、合わせて約340円になり、逆転してしまう。

したがって、費用で言えば、ある程度たくさん作るのであれば、自作する方が有利だが、少量だと買った方が得と言うことになる。

また完成までに要する時間も全然違う。作業自体が簡単とは言っても、手作りするには食べるよりもかなり前に準備を始める必要がある。昼休みにパンを買ったけど、ちょっと物足りないからポテトサラダも付けようと思いついても、手作りだと間に合わない。

したがって、自作すべきか購入すべきかは、必要量、時間的余裕などを考慮して、都度判断すべきで、一概に決めない方が良いと思う。常に買うのも、常に作るのも不正解である。

(母親なら)

話題になった老人の発言で、まず気になるのは「母親なら」である。母親ならば、なぜポテトサラダを作るべきなのか、全く分からない。

「ポテトサラダくらい」と言うところに「ポテトサラダ=簡単な料理」と言う意図は汲み取れる。そして、母親たるもの子供のために簡単な料理は購入すべきではないと言うことだろうか?父親はどうなんだろう?

母親と父親の役割分担は決まっていない。これが昨今の風潮だろう。どれくらい実際に定着しているかは別として、この考えが広く支持されていると思う。

老人の発言が反感を買った理由の1つが、この風潮に逆行しているからだと思う。せめて「母親なら」ではなく、「親なら」と言えば、少し批判のトーンは違っただろう。

だが、それでも批判は消えない。ポテトサラダを買うことは、上記したように少量しか必要ない場合は手作りよりも合理的だし、急に必要となった場合は手作りすると言う選択肢はほぼないからだ。少なくともこれらは老人を批判する根拠になり得る。

手作りすることの意義として、「親の愛情」を挙げる人もいるだろう。だが、それもあくまでも、状況とのバランスで判断すべきことで、一律にポテトサラダを購入する親を批判すれば、逆に批判に晒されることは避けられない。

最近、他人を攻撃する人に対する批判として「主語が大きい」と言うのがある。

誰もが気楽に世界に向けて意見を発信できる現在、「男は」「女は」「老人は」「若者は」「教師は」「政治家は」などなど、主語を大きくすると社会の流れを大きく変えるきっかけになるかもしれないが、一方で、少数の目立つサンプルに基づいて全体を定義づける行為はかなり慎重にやらないと大きな誤りとなる。気楽に世界に発信した意見は、気楽に世界中から批判されうる。

「母親なら」の最大の問題点は、状況を理解しないで、全ての母親に1つの価値観を押し付けようと言う姿勢ではないかと思う。

(赤の他人)

老人が赤の他人である女性を批判したことも問題となっている。上記のように女性の置かれた事情も分からずに批判しているからだ。

尤もこれは批判する人たちも事情が分からないまま、赤の他人の女性を擁護して、老人を非難しているのだから、同じ穴のムジナではないかとも思える。

そもそも赤の他人を批判することは、控えるべきなのだろうか?

どんな発言であっても、受け取る側が非難、中傷と受け取ることはある。最初はそのつもりがなくても、話の流れでそうなることもある。

極端な話、赤の他人に話しかければ、必ず赤の他人を非難することに繋がるリスクを伴う。

では、赤の他人に話しかけるべきではないのか?だが、全ての人が赤の他人に話しかけるのをやめてしまうと、社会は成立しない。他人とのコミュニケーションを深めることは、社会の繋がりを深め、結果的に社会の機能も高める。隣人に興味を持つことで治安が高まったりもする。

無二の親友も、最初にどちらかが話しかけるまでは、赤の他人である。喧嘩になることを無闇に恐れずに他人に話しかけることは、(方向性や程度の多寡はケース・バイ・ケースだが)得手して人生を豊かにすることにも繋がる。

特に初対面ならば、相手との距離の測り方が重要なのは間違いないが、赤の他人を批判した行為そのものを無条件に非難するのは、何かと無理がある気がする。

(売り手の問題)

話は違うが、コロナ対策は、「自粛」から「自衛」へと舵が切られている。営業自粛の要請はしないけれど、感染対策が甘い店には行かないようにしてねと言うことである。感染対策が甘いところは営業しないでねとすればいいのに、そうすると補償の問題がのしかかると考えているのだろう。「店に行かないで」と堂々と営業妨害しておいて、補償しなくていいと考えるのもおかしな話だと思うが。

さて、ポテトサラダの話に戻る。そもそも合法的に売っているものを、合法的に買う行為は批判されるべきではないと思う。少なくとも買い手のみが批判されるのはおかしな話ではないか?

仮に老人の主張に彼なりの正義や信念があるのであれば、老人は売り手にも批判の目を向けるべきではないか?対面販売の惣菜屋などで、母親には惣菜を売る売り手を非難する方が、個々の買い手を非難するよりも効果的だ。

そうしないのは何故か?理由はいくつか考えられる。

惣菜屋を責めると営業妨害で訴えられる可能性がある。もちろん客を責めるのも営業妨害なのだが。

若い女性客の方が責めやすい。少なくとも責めやすそうな相手を選ぶことができる。

実はその女性そのものの格好、態度などが気に食わなかったので、因縁をつけたかった。

(手作りとは)

手作りの料理が親の愛情の証だとして、手作りとはどこまでが求められるのだろう。

親ならばジャガイモくらい作りなさいと言う人はいない気がする。

マヨネーズくらい作りなさいと言う人もいないと思うが、マヨネーズははっきり言ってポテトサラダよりも簡単に作れるし、1回作ればかなり日持ちする。

肉はもちろん、魚も野菜もカットした状態で売られている。これはOKなのか?NGなのか?

インスタント食品や冷凍食品が手作りとは言えないのであれば、うどんや蕎麦は自宅で打たないと手作りとは言えなくなる。これだってやってみると、思ったほどの手間ではない。「親ならばうどんくらい手打ちしなさい」となる。

缶詰めは一律にダメだと言われると、デミグラスソースを作るのはかなり厄介だ。手間も時間もかかるし、色もよくない。

漬物も作ること自体は割と簡単だが、ぬか漬け、梅干し、沢庵、ピクルスなど、種類が多いので、置き場にも困る。

実際、手作りできるかどうかで言えば、簡単に手作りできるものは多い。だが普通の人は、多くのさほど難しくない料理を、全て自作することは現実的にできない。時間や手間やコストを考えて、手作りするものを選択する。その数が多い人も少ない人もいるし、その選択肢にポテトサラダが入る人もいればマヨネーズが入る人もいる。


【まとめ】

・ポテトサラダは思ったより簡単。

・作った方がいい時と、買った方がいい時がある。

・赤の他人に意見を言うこと自体は間違いとは言えないが、赤の他人に間違いのない意見を言うのは難しい。

・人生の選択肢は無数にあり、意見も無数にある。どれを選ぶにせよそれぞれに理由がある。それは全て批判されるべきではないとも言えないが、批判が常に妥当とは言えない。的確に批判するためには、しっかりとした話し合いが必要だろう。それが嫌なら、無闇に他人を批判しない方が楽である。



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