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「海の京都」に思いを寄せて演奏した、自作組曲「細川ガラシャのアベマリア」

平和」を考えなければならない今だから思うこと


https://youtu.be/uBvDXkJA54Y

最近、少しずつ妻が回復してきたので、リハビリで丹後地方を訪れます。
思えば、コロナ前の「森の国オカリナフェスティバル」
細川ガラシャの思いを再現すべく、妻と組曲を作り、
妻のソプラノ独唱と私のオカリナで演奏するはずでした。
妻が倒れ、
私ひとりで出演、テノールで歌いました。
あのとき、
私たち二人は、
細川ガラシャにどのような思いを見出し、
どんなコンセプトで曲を作ったか?

この投稿に詳しく書いていました。

いま、
このときこそ、
私たちが思考したコンセプトを広げていく必要がある。
世界が一つになって、国際紛争や平和を破壊しようとする力に立ち向かっていく必要がある。

でも
妻の体も、私のPTSDも本調子ではありません。
心と体のリハビリをしつつ、
来年には、
オカリナ演奏に、電子書籍出版に、独立開業に、
精力的に活動できるよう

基礎力を整えたいと思います。


森の国オカリナフェスティバルで吹いた「細川ガラシャのアベマリア」

森の国オカリナフェスティバルでの演奏、
実は、細川ガラシャへの私の独自の考察と思いを込めているのですが
舞台では時間をもらっていないので語れませんでした。
私が演奏の中で、細川ガラシャにどのような思いを描いたのか、ここで語らせてください。

細川ガラシャと京丹後

細川ガラシャは京丹後にとてもゆかり深い方で
明智光秀の娘で幼名たま。
戦国時代の武将、細川忠興の正室です。
細川家は宮津城主を務めており、新婚時代は京丹後の宮津で過ごされました。


そのおり、
明智光秀が織田信長を討ち、その後、山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れ
落ち武者狩りによって命を断たれたと伝えられます。
明智光秀の死後、細川たまは謀反人の娘という責めを受け
「自害せよ」など様々な追及があったようです。


丹後の味土野と細川ガラシャ



そんな追及の嵐の中、
丹後の山奥「みどの(味土野)」という山中に幽閉されたとのことですが、
真相は、たまを愛する細川忠興が、
様々な責めから守るために「みどの」に身を隠すようにしたようです。
この味土野の地で、たまは自然の営みを肌で感じ、
神の御業を思索し、その後のキリスト教洗礼の精神的基礎を築いたと思われます。

味土野を実際に訪れて
何もないところですが、自然や鳥の声が本当に美しい場所でした。
毎年5月には丹後 味土野でガラシャ祭があり、ミサが挙げられます。


味土野の山中からようやく大阪の細川邸に戻った細川たまは
侍女の清原マリアから、キリスト教の教えを受け、
洗礼を受けます。クリスチャンネームはガラシャ。
「ガラシャ」はラテン語の「グラチア」英語では「グレイス」の南蛮言葉で
「感謝、よろこび」という意味。

洗礼後、細川ガラシャと名乗り、
多くの人の精神的なよりどころになったと聞きます。

しかし、
平和は続かず、徳川家康と石田三成の対立が深まり、その後関ヶ原の戦いへとつながっていくのですが、
その過程で、石田三成は、徳川方につくと思われる大名の妻子を
人質として大阪城に住まわせる命令を出します。
おりしも夫である細川忠興は、徳川家康のもとにすでにはせ参じており、
大阪細川邸に残った細川ガラシャは、人質として登城することを拒否します。


細川ガラシャの自害は本当?

細川ガラシャの思いは何か?について考える

定説では、人質を拒否したガラシャは、屋敷に火を放ち、
キリシタンは自害を禁止されているため、
家臣に介錯をさせて絶命したということになっています。
しかし、クリスチャンとしての文脈から思考すると
この定説は根拠がないため、他の推測に信憑性が見いだされます。
 
クリスチャンは、自分の命を最後まで尊く生き抜きます。
神の似姿であるこの命と心と体は、粗末にできないのです。
殉教者として殺される一瞬も、生きて祈ります。
「自分で命を絶つことは禁止されているので、私を殺してください」
などという、こじつけのような詭弁は、
信仰がある人なら決して考えないことです。
 
まだ洗礼を受けていなかったころ、丹後 味土野の地で
命の営みを深く悟っていたガラシャが
洗礼を受けたのち、さらに命の尊さを深く悟っていたことは明白であり、
自分の命をこのように扱う選択をすることは、ありえません。
 


いのちの尊さを悟っていたガラシャの本当の思いとは?



キリスト教の信仰という文脈で分析すると
このような選択をガラシャがすることがあり得ないと断言できるのです。
 
だから
おそらくガラシャはこれ以上の戦乱を望まず、それを止めるために
家康にも三成にもつかず、人質にもならない道を模索し
細川家のみならず、他家の子女のためにも奔走していたことでしょう。
「生きなされ。自分らしく。
空の鳥も、野の花も、だれのものでもないように、
そなたの命は、家康公のものでも、三成公のものでもない。
そなた自身のいのち。
ここから逃げてでも、生き抜きなされ」
最後の最後まであきらめずに、家臣や子女を救おうと四周奔走し、
その混乱の中で、屋敷に火がつき、殺害されたのが真相ではないかと思います。

細川ガラシャの現代に伝えたい思いをオカリナ演奏した

こうして、
戦乱を避けたかった、
世の平和を祈り、人々の命を助けたかった、
細川ガラシャの、命尽きるまであきらめることのなかった祈りを
現代のオカリナと古代笛と歌唱で再現したい。
こういう思いを込めて
今回の「桜の里のアベマリア」を妻と一緒に考えてつくりました。
「さくらさくらのアベマリア」は
細川ガラシャが大阪の細川邸の中の小聖堂で歌っていたのではないかと想像し、
妻が伝統曲「さくらさくら」にラテン語の「天使祝詞」の歌詞をマッチングしたもので
教会で歌った時には、涙を流す人もいました。
今回私がテノール独唱で歌いましたが、
実はソプラノとテノールのハーモニーがあれば、
魂を揺さぶるような共鳴が起こります。
いつか実現できると私は信じています。
 
こちらが演奏動画です。
https://youtu.be/uBvDXkJA54Y


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