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【追悼】唯一無二のギタリスト ジェフ・ベック

2023年1月10日
音楽業界に轟いた衝撃的なニュース。
世界のロック・シーンに多大なる影響を与えた、唯一無二のギタリスト、ジェフ・ベックの訃報。
また一人、ロックレジェンドが天に旅立ってしまいました。

1960年代から活躍してきたジェフ・ベックも70代。
細菌性髄膜炎を患い、78歳でその生涯を閉じました。

「世界3大ギタリスト」のひとりと称され、60年代以降のロック・シーンをけん引した、ギターレジェンドのひとり。

ビートルズやローリング・ストーンズといった、誰もが名を知るバンドに所属して世界的な大ヒットをいくつも飛ばした、という訳ではありませんが、その唯一無二のギターテクニックと音楽性で、世界中のミュージシャン、特にギタリストに影響を与えました。

今回は、偉大なるレジェンドに哀悼の意を表すと共に、ジェフ・ベックとはどのようなギタリストだったのかを、私の視点から語ってみたいと思います。

昔からの洋楽ファンにノスタルジーを感じてもらいたいのはもちろんですが、より多くの若いミュージシャンに興味を持ってほしいと思います。

世界三大ギタリスト

私は「世界三大〇〇」と言った表現があまり好きではありません。
何をもってすごいのか基準がはっきりしませんし、「凄い」と思うものは人それぞれ違うと思っているからです。

ただ、そんな「世界三大ギタリスト」のひとりとして、ジェフ・ベックの名前は有名になりました。

他の二人はエリック・クラプトンとジミー・ペイジ。
いずれもイギリス出身のギタリストです。

エリック・クラプトンは、ブルースをベースに数々の神がかりなギタープレイで世界中の人を魅了しました。「泣きのギター」の第一人者。

ジミー・ペイジは70年代のロックシーンを席巻した「レッド・ツェッペリン」のギタリスト。
数々のヒット曲を世に送り出し、サウンドだけでなく、ビジュアル面でも世界中のファンに衝撃を与えました。

そしてジェフ・ベックは、唯一無二とも言える独特なテクニックとサウンドで、多くのギタリストに影響を与えました。

誰もが知るヒット曲は何か?と言われると迷いますが、有名な曲と言えばロッド・スチュワートとの「People Get Ready」でしょうか。

ヤードバーズ

世界三大ギタリスト、と言われても、スタイルは三者三様。

しかし、彼らには共通点があります。
各々が自らの道で成功する前に、時期は違いますが同じバンドに所属していました。

そのバンドこそ、「ヤードバーズ」。
1960年代、イギリスで活躍したバンド。
ローリング・ストーンズの後釜として、クラブでのライブで人気を博しました。

特徴的だったのが、若きエリック・クラプトンのギターソロ。
彼の前にはギターに興味津々な少年たちが集まったといいます。

当時、イギリスの若者の間ではアメリカの黒人コミュニティから生まれた「ブルース」や「R&B」が流行。ストーンズやヤードバーズといったバンドがクラブでそういった曲を演奏していました。

ストーンズは不良っぽいイメージで人気となりますが、ヤードバーズは次第にクラプトンのギターに注目が集まります。

しかし、バンドはクラプトンの意に反してポップ路線へ突き進んだため、ブルースを追求し続けたいクラプトンは脱退。

その穴を埋めたのが、ジェフ・ベックでした。

若きベックもブルースに傾倒。
そんな中で、当時注目され始めたファズを使うなど、新たなサウンドで注目を集めます。

その後、バンドにはベーシストとしてジミー・ペイジが参加。
後にバンドのサウンドを変えようとベースからギターへコンバートし、ベックと共にツインギターの体制となります。

ヤードバーズはイギリスのみならずアメリカでも人気で、ツアーも長く回っていましたが、その中でベックが体調を崩して脱退。
バンドの中心はペイジになります。

しかしその後、バンドは空中分解。
メンバーが次々と脱退し、残されたペイジはベースのジョン・ポール・ジョーンズ、ドラムのジョン・ボーナム、そしてボーカルのロバート・プラントをバンドに呼び込み、名前も「レッド・ツェッペリン」と変えて活動を始めるのでした。


最初にヤードバーズを脱退したクラプトンは、その後もブルースを追求。
ブルース・ブレイカーズに加入しましたが、そこも脱退。
後に世界中を席巻するグループ「クリーム」を結成。マディ・ウォーターズの名曲をカヴァーした「クロスロード」が代表曲となります。


彼ら3人はヤードバーズをきっかけにミュージックシーンに躍り出ますが、その後はそれぞれの道で成功を収めました。
「ヤードバーズ=世界三大ギタリスト」なのかどうかは議論が必要かと思いますが、ともかくヤードバーズというバンドが彼らを見いだし、ミュージックシーンに登場させた功績は大きいのです。

さて、肝心のジェフ・ベックはどうなったか。
様々なミュージシャンと組み、その時代時代で象徴的な演奏を続けます。
彼のプロジェクトは多岐にわたりますが、その中でも私が好きなアルバムや曲を、思い出と共に語ってみたいと思います。

Led Boots

1976年にリリースされたアルバム「Wired」のトップを飾るナンバー。

何と言っても特徴的なのは、この機械的なリフが作り出すグルーヴ。

ギターとユニゾンするクラヴィネットやシンセのサウンドがより機械的なイメージを作り出すのですが、そのリフを構成するベースとドラムのテクニックもすごい。

ドラムはナラダ・マイケル・ウォルデン。
大学生の頃に初めてこの曲を聴いてから、このナラダのプレイに興味津々でした。
どうやって演奏してるんだろう?と。
実際にスタジオで演ってみたりもしました。

ベックのギターが奏でるメロディも印象的。機械的なグルーヴにあって、とてもメロディアス。
そして彼の象徴であるソロもふんだんに聴かせてくれます。

ジャンルとしては、ロックというよりはフュージョン。
70年代はフュージョンが一世を風靡していた時期でしたが、ベックのサウンドやテクニックが見事にマッチした1曲です。
アルバムでは他にもバラードや様々なサウンドを聴かせてくれます。

Savoy

1989年にリリースされたアルバム「ギターショップ(Jeff Beck's Guiter Shop)」の中の1曲。

このアルバムは彼の代表作のひとつですが、Wiredからサウンドがかなり洗練されています。
その中でも特徴的なのがこの1曲。

重いリフから始まりますが、メロディがトリッキーでかわいい。
サウンドもちょっとポップス寄りです。

テリー・ボジオのドラムも、ポップな曲ですが決して軽くなく、心地いいグルーヴ。
ボジオと言えば要塞のようなドラムセットが有名ですが、当時はシンプルなセットでプレイもシンプル。

ベックのギターも、彼のテクニックの多彩さを聴くことができる1曲だと思います。

サウンドもしっかりしていて重厚。
彼のトレードマークは白のストラトキャスターですが、あのストラトでこんな音を出していたのかが気になります。レスポールとかも使ってたかも?

Superstition

時代はちょっとさかのぼって、1972年。
ドラムのカーマイン・アピス、ベースのティム・ボガートと共に組んだバンド「ベック・ボガート・アンド・アピス」の1曲。
スティーヴィー・ワンダーの名曲をカヴァーしたものです。

スティーヴィー・ワンダーの曲はソウル、ポップス寄りのサウンドですが、それを重厚なロックに変えてしまったベックのプレイは、彼の代名詞のひとつとも言えると思います。
ひょっとしたら、本人のバージョンよりも有名かも…。

※追記
元々、スティービー・ワンダーがベックのために書いた曲で、その後紆余曲折あり、先にスティービー・ワンダーがレコーディングし、リリースした経緯があるそうです。
今まで知りませんでした…。

この曲には深い思い出があります。
大学生の頃、Charさんのコピーバンドをやっていました。
Charさんをはじめ、時代を問わず主にUKサウンドが好きなギタリストと、メタルを中心に音楽全般を広く聞くマルチなベーシストとの3ピースバンドでした。

当時、カーマイン・アピスがベーシストのトニー・フランクリンと共に、田村直美さんのバンド「PEARL」に加入。
このバンド自体は田村さんがデビューするキッカケとなったバンドですが、メンバーが次々と脱退し、ソロプロジェクトになっていました。
その後、田村直美名義でヒットを連発。「ゆずれない願い」は彼女の代名詞ですよね。

ソロ活動の合間に、FENCE OF DEFENCEのギタリスト、北島健二さんと共にPEARLを復活させ、カーマインとトニーをバンドに呼んだのでした。
北島”Kenny”健二さんは、水樹奈々さんのバンドでもお馴染みですね。

このプロジェクトで2枚のアルバムを発表し、当時放送されていた「HEY! HEY! HEY!」や「MUSIC FAIR」にも出演していました。

元々「ゆずれない願い」が好きで田村直美さんのファンだった私。
この時のPEARLもホントに好きで、ものすごい影響を受けています。
ライブも見に行きました。

次第にカーマインのプレイにも魅了されるようになっていくと、当然BBA(Beck Bogart & Appice)にも辿り着くわけで。
それで、誰が言いだしたか忘れましたが、このSuperstitionもバンドのレパートリーとしてあったわけです。

カーマイン・アピスのプレイは本当に研究しましたね。
代名詞はこの曲でも聴くことができる「ダ、ピシ、ピシ!」でしょうね。
何故か練習することなく最初からできました。

彼のスティックも特徴的で、先の細い部分を持って、柄の部分を使って叩く彼のプレイがやりやすいようにできているんです。カーマイン・アピスモデルのスティックも普通に楽器屋さんで売っているので、買いましたね。

当時、ジュディマリやミスチルが流行っていた頃ですから、我々のチョイスはかなりマニアックだったと思います。
でも、サークルの仲間やライブを観てくれた人にもこの曲は浸透したんじゃないかと思っています。

前述の「MUSIC FAIR」には、同じ日にPEARLと共にCharさんも出演。
5人でこのSuperstitionを披露。
それがきっかけで、その後Charさんとカーマインがティム・ボガートを呼び、なんと「Char Bogart & Appice」を結成。BBAの曲を数多く演奏してくれたのです。

私も仲間と共に武道館へ見に行きました。
精力的にロックのライブへ足を運んでいたあの時期が本当に懐かしいですね。

ジェフ・ベックの人柄が垣間見えるCharさんのエピソード

最後にもうひとつ。ジェフ・ベックのお茶目なエピソードを紹介。
彼はギタープレイも、人間性も天才肌のようです。

10年ほど前にCSで放送していた、Charさんが様々なギタリストを呼んでトークとセッションを繰り広げる番組「Char meets XXX」の第1回目、布袋寅泰さんがゲストの回でこのエピソードを語ってくれました。

かつて一緒に「Psychedelix」を組んでいたドラマー、ジム・コウプリーとイギリスでレコーディングをしていた時のこと。

ジムがジェフ・ベックと繋がりがあるそうで、Charさんと二人でベックの自宅を訪れたのでした。
彼は手ぐすねを引いて待っていて、大喜びで迎えてくれたそうです。

早速彼のスタジオに通されると、そこにはドラムセットとベースがちゃんと用意されていました。

「セッションしようぜ!Char、ベースも上手いんだって?」
早速ベースを手渡されたCharさん。真新しいベースで、値札がまだついていたそう。
こうして、3人でフリーセッションが始まりました。

しかし、何時間経ってもセッションが終わりません。

しばらくすると・・・
「このまま演奏を続けてくれ!」とギターを持ち、演奏したままスタジオを離れたベック。
どうしたんだろう?と不振に思った二人。
その後、10秒ほど音が止まり、また演奏が始まりました。
どうやらトイレに行ったようです。

しばらくするとドアがバーンと開いて、ギターをジャ~ン!と鳴らしてベックが登場!
こんな登場をされたら、いくらギターレジェンドでも笑ってしまいますよ!w

結局一日中、夢中でセッションに興じた3人。

奥さんから「ごはんよ~」と声がかかり、ようやくセッションはひと段落。
しかし、食事中も「こんなの聞いたことある?これはどう?」といろんなCDを聴かせようとします。
ブルガリアのコーラスグループの演奏を聴かせて、「これをギターでやりたいんだよね」とか話してくれる。
たまらず奥さんに「食べなさい!」と怒られ、急いで食事をかきこむジェフ・ベック。
まるで夏休みに田舎の祖母、祖父の家に行った小学生のようです。

さんざんセッションを楽しみ、ジムとCharさんは帰ることに。
笑顔で「楽しかったよ。また来いよな!」と送り出してくれると思いきや、「え~、帰っちゃうのかよ・・・」とムスっとしてイジけてしまったジェフ・ベック。
まるで音楽とギターが大好きな子供のようです。

Charさん曰く「俺もギター持ったら高校生になるけど、アイツは中学生だったよ」。

数々の作品を残し、数多くのステージで印象に残るプレイを披露してくれたジェフ・ベック。
世界のロック史にその名を残すギター・レジェンドにして、永遠のギター・キッズだったに違いありません。

冒頭でも書きましたが、今もYouTubeに残る数多くのステージを、多くの若いミュージシャンに見てほしい。
そして、そこから多くを学び取ってほしい。
ギターソロを早送りしている場合ではありませんよ!
そこには、ブルースを基礎にした堅実なプレイと、様々な天才的なアイデアが散りばめられています。きっと何か心に残るはずです。

ジェフ・ベックのご冥福を心よりお祈り致します。

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