【Patrick Mojii】『風が強く吹いている』から読み解く「風なんかは吹いてないのに」
UNISON SQUARE GARDEN15枚目のシングルCatch up, latencyのサビ、印象的な一フレーズ。
Catch up, latencyは『風が強く吹いている』という三浦しをんさんの小説を原作としたアニメのオープニングとして制作された。
この記事はなぜ『風が強く吹いている』に宛てた曲で正反対の言葉「風なんかは吹いてないのに」と歌い上げたのかという問いから始まる。
『風が強く吹いている』と「Catch up, latency」のファンとして、またUNISON SQUARE GARDENのファンとして、小説、バンド、アルバムの3つの切り口からCatch up, latencyを読み解いた。
かなりボリュームのある記事なので、お好みのところから/お好みのところだけ召し上がれ。
1. 『風が強く吹いている』から読み解く「風なんかは吹いてないのに」
『風が強く吹いている』はたった10人、しかも過半数が陸上競技未経験者から成る凸凹チームで箱根駅伝を目指す1年間を描いた作品である。
物語はある春の夜、不祥事により陸上競技の世界から身を引いたが走ることを止められない大学1年生の主人公蔵原走と、怪我で挫折を味わうも走ることを希求し続けた大学4年生清瀬灰二が出会うところから始まる。
アニメ放送開始前に公開されたPV、Catch up, latency流れる。
https://youtu.be/32G179Izznw
この章では小説の内容・言葉を元にCatch up, latencyの要素を読み解いた。小説を読めと主張したいわけではないうえ、結末を知って読むことによっても『風が強く吹いている』の魅力は損なわれないため小説のネタバレ・引用を多分に含む。
1.1 小説と歌詞の対応
◎朝に灯った温度が 夜更け頃には逆戻りして
清瀬の呼びかけにより箱根駅伝を目指すチームが発足した。真剣に陸上競技に取り組んできたからこそ、初めのうち走にとって清瀬の考えは荒唐無稽な夢物語に思えた。しかし、次第にこの仲間たちとならば何かを起こすことができるかもしれないと期待している自分に気づくことになる。この走の気持ちを表現するのが「朝に灯った温度」である。
とはいえ校外に目をやると、走や強豪校の選手たちと比べてチームメイトたちは競技の初心者でありいくらも遅れているのに、競技に向き合う真剣さが足りないように映る。チームメイト、そして一度は期待した自分自身に失望する様子を表現するのが「夜更け頃には逆戻り」だ。
人間関係への信頼、そして自身の気持ちの揺らぎをたった一フレーズで鮮やかに描き出し、リスナーを一気に惹きつける歌い出し。小説で走の気持ちの揺らぎは朝、夜更けに限らずいくつかのシーンより読みとることができた。それでも朝と夜の対比を持ち出し、1日という短い尺度を歌詞に導入することによって、気持ちの揺れが一度きりの出来事ではないことをビビッドに表現している。
◎疼くのも面倒だな 背負うものも邪魔なんだよな
走は陸上競技の強豪高校に所属していたものの、監督を殴る不祥事により退部し、大学で競技を続ける道を絶たれていた。高校卒業後は地元を離れ、自分を知る人間のいない大学に進学するため上京した。たとえ競技の世界から離れても走りのない生き方を考えられない走の様子を表したのが「疼くのも面倒/背負うのも邪魔」である。
◎ジグザグすぎてレイテンシーが鳴ってる
レイテンシーは遅れを意味する音楽用語だ。競技未経験者が多く、同じ未経験者の中にも長距離走に適性のあったものから、3 kmより長い距離を走ったことのない根っからの文化系まで様々な背景を持つチームメイトたち。
目指す箱根駅伝どころか、予選会に参加するための記録を揃えるのにも苦戦する有様で、足並みが揃わないところからチームの戦いが始まる。
しかし、重要なのは走力の遅れではなかった。競技力においては、清瀬を含めた他のチームメイトより頭一つ抜けたところにいる走だが、始めは箱根駅伝に向けたチームの取り組みに対して適当に合わせて、誰かが音を上げるのを待とうとしていた。チームメイトの競技への向き合い方も信頼しきれずにいた。だからこそ少しのきっかけで気持ちが「逆戻り」して、仲間と衝突することもあった。
走りと気持ち、二次元に遅れが展開するからこそ、彼らを繋ぐと「点と点」ではなく「点と線」が不均等に入り混じった凸凹チームになる。だから、一本の直線上では決して描き出せない「ジグザグ」という言葉が効いてくる。そして物語では最終的に気持ちの面の遅れが埋まるので、サビでは「君の心に追いついたせいかな」と歌うことになるのだ。
◎北極星はシンプルに辿れば地図になる/太陽よ僕たちを導き出せ
北極星は自転するあらゆる天体ごとに定義できる、夜を通して同じ場所で輝く恒星である。そして太陽は地球の公転の中心であり、太陽の落とす影から私たちは方角を知ることができる。
よって北極星、太陽とは、昼夜を通して人が迷わないように導いてくれる存在を指し示す。
そう考えると、項タイトルに挙げた二つのフレーズ「太陽/北極星」は「朝に灯った温度/夜更け頃には逆戻り」と表現された気持ちの揺れ動きと対応しさえしているように思えてくる。小説にはなく、楽曲にて独自に導入された1日スパン、朝と夜の繰り返しにおいて表現される気持ちの揺らぎは、太陽、北極星に正しく導かれて定まることとなる。
ユニゾン文脈で読めば、「北極星」と聞いて思いだすのは免停待ったなしの徹頭徹尾夜な夜なドライブ(快方に向かう北極星)かもしれない。小説の作者三浦しをんさんに視点を寄せると、北極星の名前をタイトルに冠した、恋愛をテーマにした短編集『きみはポラリス』に思い至る。
恋愛小説と一口に言っても、各物語の主人公の抱く思い、そしてそれを寄せる対象のタイプはまちまちだ。例えば恋愛小説のマジョリティを占める異性愛から、同性の友人、飼い主、誘拐犯を相手に心情を綴ったものまで。彼らは必ずしも誰かを片時も忘れず思い続けたり、強く恋焦がれたりしている訳ではない。しかし、それぞれの主人公の人生を迷わないように導く相手がいる。それを北極星と呼んだ。
これを鑑みると、『風が強く吹いている』ではこの台詞が浮かび上がってくる。
競技者・蔵原走ではなく、等身大の人間一人を認めた清瀬は、走にとって単なる競技の指導者ではなく、人生の先導者になった。一方、清瀬にとっても走はかけがえのない存在である。物語は「走る」という行為を通した走、清瀬の出会いで始まった。この出会いは主人公の走だけではなく、清瀬にとっても人生を照らすかけがえのないものとなった。
時に出会いが人生に与える影響は双方にとって計り知れない程大きくなる。互いの人生の指針となる。この関係を詞で表現したら朝、夜を通して道筋を照らし出す北極星や太陽となった。このように歌詞を捉えるのは深読みのしすぎであろうか。
◎風なんかは吹いてないのに
アニメオープニングのオファーの際、楽曲の詳細に指定はなく「ユニゾンっぽいもので」と伝えられたという。Catch up, latencyの要である「風なんかは吹いてないのに」を読み解くためにまず、この楽曲の成立について作詞者の言葉をご紹介する。
原作小説には言葉の入る隙がない。走る、たすきは使えない。
ここで思い返してみて欲しい。UNISON SQUARE GARDENは風が強く吹いている以前より多くのアニメ作品に彩りを添えてきた。例えば競技ダンスを始めて人生の歯車が大きく動き出す様子を描いた『ボールルームへようこそ』のオープニング「10% roll, 10% romance」。サビではこのように歌っている。
競技ダンスの作品に「踊る」を使うのはOK。それでも今回は走る、たすきを使えないと自身に制約を課した。原作への敬意がかえって小説そのものの言葉を遠ざける。
さて、Catch up, latencyの話に戻る。風が吹いていようと無風であろうと、そもそも走り出したら風を感じるものだ。小説で「風」という言葉が使われるとき、常に風は吹いていた。唯一例外とも捉えられるのは風が止む表現によって心の動きを表した以下の一文だ。
小説の言葉にリスペクトを表していながら、一見小説のタイトルに喧嘩を売るかのような正反対のフレーズを歌い上げた。『風が強く吹いている』と名前を付けた作品に対し、「風なんかは吹いてないのに」とのたまった。
その理由は、小説の「心は凪いでいた」という言葉からもわかる通り、風という単語を気象条件や走りといった具体的な事象から切り離し、完全に心の動きの表現のために使うためではないだろうか。
こう考えてくると「風なんかは吹いてないのに」という言葉を単に捻くれ、田淵節と呼んで終わらせることなんてできない。「風なんかは吹いてないのに」は「風が強く吹いている」と叙事的な描写を前面に押し出した小説に対する挑戦であり、オファーを受けたバンドとして出した一つの答えなのだ。
『風が強く吹いている』は生き方を走りで体現する主人公走を中心に、走りを巡って起こる様々な経験・心情を表現した。すなわち、「走る」という一つの事象に徹底的に落とし込んで「生きる」を描いた。具体的な描写にこだわったからこそ『風が強く吹いている』は箱根駅伝をよく知らない人も没入して楽しめる、優れた物語になっている。(私はこの本を初めて読んだとき、まだ箱根駅伝を見たことがなかった)
対してこの小説・アニメに添えた曲Catch up, latencyは、あくまでもその内容を走りから切り離した。「走る」に落とし込まれた「生きる」を一般化することにより、より広く間口を開いた。Catch up, latencyの歌詞から原作である走りの小説を全く知らない人でも共感できる言葉が見つかるのは、そのためではないかと私は思う。
◎ヘクトパスカル 忠実に低きに流れけり
謎かけのようなこの一節は曲を通して、いや、ユニゾンの他の曲を探しても珍しい低音で歌われ、音としては非常に落ち着いているのに際立つ聴かせどころの一つとなっている。
ヘクトパスカルは気圧を表す単位である。すなわちこのフレーズは「高気圧から低気圧に流れた」と言い換えられる。何が流れるのか。風が、だ。先のインタビューの続きを引用する。
負け確定の試合に対し、『風が強く吹いている』を抽象化し、心の動きに着目して「風なんかは吹いてないのに」と歌うことで立ち向かった。しかしそれだけには留まらず、「風」を使わずにしっかりと「風が強く吹いている」と表現しさえしているのだ。
◎僕たちが正しくなくても
陸上競技はスタート地点に立った時点における実力差が覆ることの少ない、一発逆転が起こりにくいスポーツである。箱根駅伝ならば、シード権を得て出場している前回優勝校(暫定1位)と、予選会最下位で出場権を掴んだチーム(暫定全体20位前後)の順位が覆ることはほとんど考えられない。
では、予選会最下位のチームが前回優勝校より低い順位でゴールしたならば、それは負けなのであろうか。箱根駅伝には10位以内、シード権獲得を目標とするチームも多く出場する。もし彼らがシード権獲得を目指し、見事目標を達成したのであれば、たとえ前回優勝校には及ばずとも、そのレースは彼らにとっては正解ではないだろうか。
レースではただ一つ優勝を目指すのが世間一般の正解なのかもしれない。しかし、正解の形は一人一人にとって違っているものだ。こうしたメッセージを最後に伝えて曲は幕を下ろす。
1.2 音に着目して
ここまで純粋に小説の言葉と曲の言葉の対応を見てきたが、演奏を含めてもう二つ話を広げてみたい。
◎カウントダウン
1番Cメロ、サビの直前に「満を持す絶好のカウントダウン」という歌詞がある。加えて、曲を通してギター・ベース・ドラムそれぞれの演奏にカウントダウンを表現しているようなフレーズが見つかる。
ベースとギターはどちらも音階を下りてくる。そしてこのドラムが陸上トラック競技の最後の1周に入る時に鳴らされる鐘を表現しているのはよく知られた話だ。つまりこの曲は、「カウントダウン」という一か所の歌詞のみならず、音によって何度も「カウントダウン」を表現している。
個人的に、始めのうち「カウントダウン」という言葉はそこまでピンとこなかった。カウントダウンは三浦しをんさんの言葉ではない。しかし、曲を介して箱根駅伝の1ファンに立ち返ると、学生スポーツの特質を改めて突き付けられた思いだ。
プロと学生のスポーツで決定的に異なるのは、1年ごとにチームの重要な戦力が大きく入れ替わることである。一年にたった一度のレースに全てを懸け、他の全ての日々がその一度きりに向けた過程の一つに変わる。そしてレースが近づいてくることは同時にレースが終わり、現体制のチームが終わる瞬間に迫っていることも意味する。
特に『風が強く吹いている』のチームには、たった10人しかおらず、来年のチームの存続すらわからない。この点まで包括し、曲を通した「カウントダウン」の仕掛けに気づくと、またグッとくるものがある。
◎風を表す音
最後の最後に、物語を知らない人には伝わりづらい話題を挟ませていただく。結末を伏せた不親切設計の項。
感覚的な話だが、私はこの曲の疾走感を表すのがギターだと感じている。ギターが走りを表すならば、呼応するベースの表現はまるで風のようである。
3度のサビで「風なんかは吹いてないのに」の直前のフレーズのベースの効き方が異なる。最も存在感のあるのがラスサビ。「皮肉は却下だぜ クワイエット」の裏のベースは唸るような旋律を奏でる。(3:41)
シンバルで表現した最後の鐘が鳴りラストスパート、二日間に及んだ箱根駅伝200km超のレースがいよいよ終わりに差しかかる。唸るようなベースの音で表現するのは最終走者が最後の交差点を曲がったとき、一際強く吹き抜ける風だ。
この風が吹き抜けた次の瞬間に何が起きたのか。ゴールを目前にして目を合わせた走と清瀬、それぞれの「言葉にならない声」は何だったのか。想像して曲を再生すると最後の「クワイエット」の意味が違って聴こえてくる。きっと清瀬はこう言ったのではないだろうか。
*
ここまで原作小説・アニメの内容からCatch up, latencyの歌詞を読み解いてきた。
作品と向き合うのに必要な時間は本やアニメが何時間に上るのに対し、1曲の所要時間はたったの5分弱である。しかし、Catch up, latencyはここまでで読み解いてきた数々の仕掛けによって原作の魅力を濃縮還元したような、原作ファンも、自身らのファンも魅了して止まない楽曲に仕上がった。
『風が強く吹いている』とUNISON SQUARE GARDEN両方を好きな人以外には少し退屈な長話となってしまったが、以降はバンドにフィーチャーした話をもう少し淡々と進めていく。
2. ロックバンドは正しくない
15枚目のシングルCatch up, latencyの、ユニゾン史における立ち位置を考える。
UNISON SQUARE GARDENのCDには「帯」の文化がある。帯はCDをラックに立てた時、背中を一目見てタイトルとバンド名がわかるようパッケージに入れられる、コの字型に折られた紙のことだ。帯にはシングルならば表題曲の歌詞をそのまま、あるいはアレンジしたキャッチコピーが載る。
例えば、シュガーソングとビターステップならばこう。
多くが句読点で整えたり、動詞の活用や語尾を多少変えたりしたものである。対してCatch up, latencyの帯は以下の通り。
「正しくなくても」が「正しくない」になるのは通常運転だ。しかし「僕たち」という主語を「ロックバンド」と規定してしまっているのが、なんというか、異質なのだ。普段あまりCDを買わなくても、バンド自体のファンではなくてもアニメの主題歌として好きだからとCDを手に取った人はいたと思う。その人たちがCatch up, latencyのCD、帯を手にしたらびっくりしそうである。1章で読み解いてきた通りCatch up, latencyは作品にぴったりな名曲であるのに、帯のキャッチコピーが作品からかけ離れている。
2022年9月現在、アルバム、シングルを含めて帯の主語が「ロックバンド」となるCDはこの2枚だけであったはずだ。
「ロックバンドは、楽しい。」、「ロックバンドは、正しくない。」
ファーストアルバムのUNISON SQUARE GARDEN、そしてCatch up, latencyである。その意味することは何か。
2.1 曲の内容から
前の項で書いたとおり、Catch up, latencyは曲のエッセンスの多くを小説と結びつけることが出来る一方、小説の言葉を抽象化、一般化したことにより小説の内容及び「走ること」に縛られない魅力を放つ。つまるところ、タイアップ曲であるにも関わらず歌詞がリスナー各々の人生にも、そして、この曲を奏でる彼ら自身にも重なるのだ。
小説の主人公・走の気持ちの揺れと説明した「疼くのも面倒/背負うのも邪魔」は、まるでライブは止められないけれども、必要以上に見つかって人気を博すのは厄介だと語っている彼らのようでもありはしないか。
彼らはセオリーに縛られない独自で歪な成長を重ね、唯一無二を確立してきた。不変のスタンスを掲げるUNISON SQUARE GARDENは、各々のメンバーにとってある意味では彼らを縛り、しかし太陽や北極星のように人生を導き続ける存在であるとは言えないだろうか。UNISON SQUARE GARDENという信頼のおける確かな拠り所があるからこそ、それぞれバンド外で異なる活動をしていても彼らの軸は揺らぐことはない。このように、Catch up, latencyの歌詞は、バンドの文脈で読み解いても違和感がない。
そして曲の終わり「敬具 結んでくれ 僕たちが正しくなくても」にしたって、バンドと重ねて読むことができる。売れる、国民的人気歌手なんて目指さない、ただ彼らにとっての正解・好きなバンドの形を目指してライブをし続ける様にぴったりの言葉である。というか、この部分に関しては本人も自身を重ねた言葉になったと語っている。
Catch up, latencyのキャッチコピーの主語が「ロックバンド」になる一つ目の理由。Catch up, latencyはアニメの文脈から切り離して捉えることができ、UNISON SQUARE GARDEN自身の姿を明確に表す曲になっているからである。
2.2 リリースの流れから
一つ前に出た14枚目のシングルは「春が来てぼくら」、その前のリリースはバンド史のピークにしてもよいと自ら語るアルバム「MODE MOOD MODE」である。
J-POPど真ん中を狙ったCIDER ROADの脈を継ぐMODE MOOD MODEから、同期を活かし「バンド史上最もポップ」とも認識される春が来てぼくら。流れが大きくポップに傾いていた時期であった。
この流れを絶つ起点となるのがCatch up, latencyである。シンプル。3人だけで奏でるアンサンブル。直球ど真ん中のストレートロック。このような謳い文句がぴったりとはまる。
彼らはCIDER ROADやシュガーソングとビターステップがUNISON SQUARE GARDENの単一の代名詞になるのでは困る、としてそれぞれ揺り返しのアルバムをつくり出してきた。ここでは語らないが、対比として語られるCatcher In The SpyやDr. Izzy全体を見渡せば、ユニゾンの曲調のバラエティが広域に渡ることがわかるはずだ。
確かにCatch up, latencyは有名な、という意味では、ユニゾンの代表曲ではないだろう。しかし、バラエティに富んだ楽曲群全体を見渡せば、Catch up, latencyは音楽性を示す上での代表曲になり得るのではないだろうか。
もう少し曲調について踏み込む。Catch up, latencyのデモ完成時のコメントが見つかった。
センチメンタルピリオドと同じシンプルにしても演奏は成長し、変化し続けているためCatch up, latencyに原点回帰という言葉は不適切かもしれない。しかし、100を超える、曲調の様々なUNISON SQUARE GARDENの楽曲を平面に展開した際、Catch up, latencyはセンチメンタルピリオド及びセンチメンタルピリオドを収録した1stアルバム『UNISON SQUARE GARDEN』と座標が重なるように思われるのだ。そしてそれは、ユニゾンのど真ん中に当たるはずだ。
1st アルバムとCatch up, latencyの重なりは、肩の力を抜いて作ったというカップリング曲からも見つけることができる。
オリジナルアルバムというバンドの歴史を考えた際の一曲目カラクリカルカレで示されているのと同じスタンスが見つかる。これ以上はCatch up, latencyとPatrick Vegeeの話ではなくなってしまうので踏み込まないが、UNISON SQUARE GARDENのキーワードが詰まった「たらればわたがし」も含めて、Catch up, latencyという1枚3曲から成るシングルはUNISON SQUARE GARDENの中心に据えるのにふさわしい構成に仕上がっていることに同意いただける方は多い気がする。
以上を踏まえてCatch up, latencyの帯の主語が「ロックバンド」=彼ら自身となる二つ目の理由は、Catch up, latencyが1stシングル及び1stアルバムと重なる、彼らの中心に位置する楽曲だからである。
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バンドの歴史という枠組みで捉えると、曲の内容及びリリースの流れから、Catch up, latencyはこれがUNISON SQUARE GARDENだと語るに足る原点に置かれるシングルであることがわかる。ロックバンドは、正しくない。けれども、正しくないことは誤りではない。15枚目のシングルは、そんな生き方を続ける彼らを象徴する一枚に思える。
3. レイテンシーを埋めています
現時点での最新アルバムPatrick Vegee。前後の曲が歌詞によって緻密に繋げられたアルバムであることは多くの読者にとって周知の事実である。Catch up, latencyは3曲目「スロウカーヴは打てない(that made me crazy)」の最後のフレーズがタイトルコールとなり、間髪を入れずに始まる。
3:24〜スロウカーヴは打てない
対して、Catch up, latencyから続く5曲目の「摂食ビジランテ」に向けては歌詞の繋がりがなく、4:41時点で最後のドラムの音が途切れてからたっぷり5秒の空白が作られている。
Catch up, latencyがアルバムで担う役割は12曲のうち4曲目、前半パートの締めである。シングルの収録時間が4:45であるのに対し、アルバムの収録時間が4:46と1秒長くなっていることからも、Catch up, latencyアウトロからの「間」がアルバム前半から中盤に向けて故意に作られた小休止であると捉えても問題はないだろう。
アルバム前半、ユニークな「8枚目宣言」からキャリアの長さが成せるオマージュ遊び。好き勝手詰め込んで肩の力を抜きながらもリスナーの耳をしっかり楽しませる流れだ。この流れを汲みつつ、一度しっかりと芯を見せるのがCatch up, latencyなのだ。Patrick Vegee12曲の中でも101回目のプロローグに次ぐトラックの長さであるが、この位置に収まることで、重さを感じさせず、アルバムに自然なピークを作っている。
Catch up, latencyがこのポジションを担う必然性はいくつもあるのだろうけれども、アルバムの歌詞繋ぎに着目すると、スロウカーヴは打てないのこのフレーズも気になるところだ。
1.1 小説と歌詞の対応にて、「原作小説には言葉の入る隙がない。走る、たすきは使えない。」と書いた。Catch up, latencyに「たすき」という言葉を書く隙がなかったからこそ「帯に短し襷に長し」をアレンジした妙である「恋に短し愛に長し」と歌ったスロウカーヴは打てないにこの曲を導かせたとも考えられないだろうか。
真偽は不明であるが、ユニゾンの画策が張り巡らされた結晶であるアルバム、そのどこに仕掛けがあるのかと頭をフル回転しながら聴くのも楽しみの一つである。
4. 結びに
4.1 後書き
今回は、そこまで言うのは拡大解釈にも程があるのではないかと追及されそうなかなり怪しい部分まで足を踏み入れて深読みしてきた。(見当はずれなことを言っているのではないかと終始萎縮しながら書いた。)歌詞を始めとした材料に様々な意味づけを探したが、実際には関連性・意味のないオリジナルの言葉である可能性も高い。
実際、タイトルの「latency」について調べてきた記者の質問に対し、そこまでの意図はなかったと明言したこともあるくらいだ。
それでも、Catch up, latencyと風が強く吹いているを愛する者の言葉から、UNISON SQUARE GARDENを愛する読者の皆さまが新たな楽曲の魅力、切り口を見つけられたら幸いと思い書き進めてきた。
一つでも共感し、楽しんで読めた箇所があり、Catch up, latencyを聴き返してみようと思っていただけていたら嬉しい限りだ。
いい曲!
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私は『風が強く吹いている』をきっかけにしてUNISON SQUARE GARDENを聴くようになった。今回の記事、Catch up, latencyと『風が強く吹いている』の対応については、いつか腰を据えて考えて書こうと思っていたものであった。
曲単体として語るだけではなく、アルバムの1ピースとして捉えることで、本来想像していたよりも壮大なテーマを扱うことになった。それでもPatrick Vegeeツアーから落選の憂き目にあったCatch up, latencyもやはりアルバムから欠かせない重要なピースであることを私が証明するぞという生意気な思いで考え、書いた。
音楽そのものに彩りを添える帯やジャケットが大きな意味を持つように、この記事のアートワークを悩んでいたところ私にユニゾンの楽しみ方を教えてくれた一人であるさきさんがイラストを贈ってくれた。曲のパーツを拾い集めた素敵なイラストに彩りを添えてもらい、幸せな限りだ。(さきちゃん本当にありがとう!!!)
結果がどうであれ、記事に向き合う時間は大変かけがえのないものとなった。そして、私の中でCatch up, latencyという楽曲、Patrick Vegeeというアルバムを大切に思う気持ちを確かめることができた。
読者の皆さまにおかれても、曲、この記事やイラストを元に今一度自由にCatch up, latencyを楽しんでみていただきたい。この記事で踏み込んでいない謎が解けたら教えてね。
4.2 Patrick Mojiiについて
本来最初にご紹介すべきであったが、この記事はUNISON SQUARE GARDENのファンによる12連作のブログリレーの4作目である。詳細は主催のナツさんがアルバムに先駆けてトレイラー記事を公開されている。
2022年9月30日のPatrick Vegee発売 2周年に向けて各曲について自由に語ったブログリレーが開催されると知り、この機会を逃す手はないと、元々主催者のナツさんとは全く交流がなかったが手を挙げた。
個人的に記事を公開するだけよりも、はるかに多くの方の目に触れることになったのではないかと思う。このような貴重な機会を恵んでいただいたナツさんには頭が上がらない。そして、この長く拙い文章を最後までお読みいただいた皆さまも、ありがとうございました。
ブログリレーとしては今日で4分の1の記事が出揃い、明日からはアルバムを完成させるうえで重要な、しかし異端にも見える摂食ビジランテを始め更に濃い楽曲が控えている。(個人的には、企画に参加したお友達のSimple Simple Anecdote、それからやはり主催のナツさんが書く101回目のプロローグが楽しみ。)
2周年に向けて満を持す絶好のカウントダウン、完走まで目が離せない。
2022/9/30追記
Patrick Vegee 2周年おめでとう🐰🥕
ご馳走様でした!!!
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