「志望理由」ってなんだよ

第85話

お久しぶりです。

週6投稿はどこやったんですか。

やらなきゃいけないことがあって、それどころじゃなかったんですよ。
そのやらなきゃいけないこととは、指定校推薦の志望理由書を書くことでした。

ゆうて下書きなんですけど、昨日の今日まで書き終わらなくて、
持ってくるように言われていた日を過ぎてしまいまして、

提出日を過ぎた分際でnoteという趣味をやるわけにはいかないと罪の意識から
ここ数日"謹慎"してたんです。

1記事書くのに私は1時間かかりますから、
さすがにそれをしちゃダメだろう、という意識です。
逆にYouTube見ることとかは短時間で切れるんで
自分の中でなんとなく許していたら、そいつに先週の日曜日を潰されました。
おい。

やらなきゃいけないことやっててnote書けなかったのではなく、
やらなきゃいけないことに意識が押し潰されてて(?)書けなかったんです。
分かります?


さて、
先週の土曜日のことなんですけど、

志望理由があまりにも書けなかった私は、
ふと、自分には意思(意志)がないのでは、と思い、
「意思がない」と検索してみたところ、
「意思がない人はいない」と出ました。

まぁ、そりゃそうだ。

でもなんかの記事に、
「『ご飯はあれが食べたい』も立派な意思だ」
みたいなことが書いてあって、
これにはちょっと違和感があったんですよね。

夏休み中の話ですと、
午前も午後も塾がある日には、
お昼ご飯は、塾が駅から近いし、定期券持ってるから改札内入り放題なので
駅構内の立ち食い蕎麦で済ますんです。
そこより手っ取り早くて安いものを知らないので。
メニューはピリ辛のやつととろろのやつのローテです。

なんか消去法というか消極的というか、
自分で選んだ気がしないんですよね。

なんでかと考えると、

今、そこの蕎麦屋を選ぶ理由を挙げたことにより、
「意志」という主観的なものを客観的に見たんです。
「意志」という、自分の内から湧き上がってくるようなものを、
その元を解析し、必然の事のように語ったんです。

その時点で、「意志」は「意志」ではなくなっています。

だとすると、

「志望理由」って矛盾してませんか?

「志望」の客観的な「理由」を考えた瞬間、
それは「志望」ではなくなる気がするんです。

……

なんて思ったんですけど、
よく考えたら、
志望理由のテンプレって、

「なぜなら、私は将来◯◯がしたいからです。」

とかなんですよね。
「〜したい」(=志望)なんです。

「志望」の理由に「志望」を書くんです。
ちょっと分かりにくいですが、
「客観的な理由」を書くのではなく、「主観的な理由」を書く
ということです。

こうすることで、「志望」が「志望」でなくなることを回避できるんです。

まあ、
指定校推薦の客観的理由なんて
「受験しなくて済むから」ですからね。
それじゃあ他生徒との差別化もできませんからね。


結論:「志望理由」は理由の種類によっては矛盾してない。

以上です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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