大学受験から離脱するための言説を考えたらお金という概念が嫌いになった。
第6話
「(←ぶっちゃけ望んでない)」なんて書いたんで分かると思うんですが、
後者(「"表現"を仕事に」のほう)が"やりたいこと"なんですよ。
進路を決めるにあたって散々「やりたいことは?」と訊かれてきたんで、
埃を払って取り出してきてやったんです(暗喩)。
後者を阻むものは沢山あります。
一つに、「"表現"で食っていけるの?」です。
第2話で深掘りしましたね。貼っておきます。
noteの使い方も慣れてきました。
話を戻しますと、後者を阻むものは、他に、
「今まで培ってきた"学"は何だったのか?」と
そこから生じる"親不孝"
があります。クソが。(←本音)
私の通ってる高校は"(自称)進学校"ですし、
今春から塾も通い始めましたし、
私の学力は、低く見積もっても日本中の高3生の半分よりは上
だと思います。多分ね。
高い高い学費•塾代を払っているのは両親ですし、
そんな中急に「大学行かない」なんて言い出したら
"親不孝"と思われて当然です。
思われた時に対抗できる言説の練習をさせてください。
切り口①:人は何のために勉強するのか
人は何のために勉強するのですか。良い大学に入って良い企業に入るためですか。
…違うと思うんです。
本来、人は自分に知識を付け、深めるため、
そしてそれを社会の役に立てるために勉強するはずだったと思います。
私の"表現"には、今までに得た知識が確かに使われています。
また、社会の役に立つかですが、
立たなかたっら文学も芸術も存在してないですからね。
なので、これまでの学費は決して無駄ではありません!
……生意気か。
真っ向から対抗しても跳ね返されるだけですからね。
切り口②:大学の学費
大学の学費、浮きます!
おいしい話じゃないですか?
……ないですか。
長い目でみたら、堅実な道を歩んで良い企業に入ったほうが
リターンがデカい、ですか。騙されませんね。
(練習中断。)
お金という概念が嫌いになってきましたね。
お金という概念が無かったら、"親不孝"と思われる度合いも
大幅に軽減すると思うんですよ。
もっと"やりたい"に従えると思うんですよ。
あー、分かってますよ、
お金という概念が無いとサービスというサービスが競争しなくなって
消費者に良い事がない、んでしょ。
うるせえ。
今回やたら口悪いですね。
以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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