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なぜ春告"窓"なのか?——杜野凛世「春告窓」感想・考察【シャニマス】
3月19日より、フェスイベント「スプリング・フェスティバル」が始まりますよ~♪
— アイドルマスター シャイニーカラーズ公式 (@imassc_official) March 16, 2022
是非、お楽しみくださいね~。#シャニマス #idolmaster pic.twitter.com/M5QSVBQ8Rq
あ〜凛世の妹になりてえ!!
姉の恋路をそっと見守る妹になりてえなあ……!!
——っと失礼。どうも灰猫です。突然ですが、春の訪れを感じた瞬間は今年ありましたか? 私は「暑いから上一枚脱ぐか……あー、もう春なんだなあ。衣替えするか」という感じでした。人によっては、卒業式のお別であったり、街行く人の顔ぶれの変化であったりと、まさに千差万別でしょう。
いずれにせよ、春の訪れは肌で感じるものではないでしょうか。誰かに言われて気づくことではなく、脳内だけで完結することでもない。日常の些細な変化が五感と肉体を刺激し、何とはなしに心が揺れ動き、春を感じる。季節の変化と心身が緩やかに接続されるこの現象、考えてみれば実に不思議な感覚です。
2022/3/19、スプリングフェスティバルにて配布された杜野凛世pSR「春告窓」は、そんな春の訪れを肌で感じる様子が巧みに表現されているコミュでした……そして、またしてもギミックの量が尋常じゃない!! 窓、ハンカチ、オフ、沈丁花、電話、電車——その全てに意味がある。ように思える。私の感想・考察を本記事でまとめてみます。
(※以下、「春告窓」および凛世関連コミュのネタバレを含みます。ご注意ください)
時間の流れを映し出す「窓」——「凛世夕町物語」を元に読み解く
そもそも「春告"窓"」というカード名が不思議です。カード名に単語として含まれており、イラストでもキラキラと描かれていて、コミュでは窓が映し出される演出が何度もある——ところが、なんとコミュ本文には「窓」という単語が一つも無い。
……えっなんで窓???? というのが初見時の感想でした。
沈丁花の香りで春を感じた、という凛世とプロデューサーの心情にフォーカスするなら「春告"香"」「春告"花"」でもよかったはず。しかし、選ばれたのは"窓"。コミュを流し読みしているだけでは、その意味をうっかり掴み損ねてしまう。このコミュにおける"窓"にはどんな意味があるのか、丁寧に読み解いていく必要があります。
「凛世夕町物語・中」より
そして、読み解く上で手がかりとなるのがsSSR「凛世夕町物語」。当該コミュにおいて、凛世が窓について言及しています。
窓には色んなものが映り込んでいる——果穂は真っ赤な夕日に感嘆の声を上げ、夏葉はジョギングしている人に目が留まり、智代子は意外と駅が近いことを知り、樹里は畳から空だけを見上げる(このアホ面樹里ちゃんかわいい)。凛世は時折、この窓からプロデューサー歩く姿を見かける。そして、
近頃では友の姿が映り込むようになったと、故郷への手紙にしたためています。アイドル活動を通して放クラのメンバーと友情を築き上げた結果、彼女達の姿が目に留まるようになったのでしょう。
つまり「凛世夕町物語」において、窓は「外に広がる様々な人や風景を映し出すもの、時の流れを感じさせるもの」であることが表現されています。
これを踏まえると、「春告窓」では時間の経過・凛世の心情を窓の景色によって表現していることがわかります。凛世視点の時系列順にまとめると——
試験勉強のために1週間オフになった凛世。授業中にもプロデューサーのことを考え、また会える日までの残り日数を数える。この時は昼空を映す教室の窓。
忘れ物を取りに来たという建前で事務所に来たが、結局会えずにしょんぼ凛世(かわいい)。この時は夕空を映す事務所の窓。
月「ったく見てらんねえな……俺が照らしてやるよ!」
帰宅後、意気消沈していた凛世だが、思いがけずプロデューサーと電話が繋がる。事務所にあった沈丁花の香りで春を感じたと語る。心が沈んでいた時にプロデューサーの声を聞けたこともまた、彼女にとっては春の訪れのように感じられたことでしょう。そんな彼女を窓から差し込む光が照らす。「春告窓」というカード名はこの場面を指していると考えられます。
紅みを秘める 青い紫陽花のような
この頬 照らされて また息吹く
常咲の庭
「常咲の庭」古屋真作詞
そして試験当日。今までは窓の景色がぼんやりとしていましたが、今度は街がくっきりと見えます。この変化は示唆的。プロデューサーのことをぼんやりと考え、悶々とした日々を送っていたが、いよいよ会える日になって心のモヤモヤが晴れた。そんな彼女の心情が表現されているように感じられます。
凛世は窓の外に広がる街へ駆け足で繰り出す。廊下を走っているところを教師に咎められ、電車に乗り、花屋に寄って、ずっと待ちわびていた再会を果たす——窓にくっきりと窓の風景が映し出されていたこともあり、一人の少女が思い人に会うために息を上げながら街を駆ける様子を、その手触りを、春の空気が肺に染み込む感覚を味わうことができる描写に仕上がっています。ここのカタルシスが本当に気持ちいい。最高の一言です。
以上見て来たように、コミュ全体を通して、時間の経過・凛世の心情を窓の景色によって表現することで、凛世がプロデューサーと離れ離れになり、時間の経過と共に思いが積もる様子を描き、そして、再会の喜びと肌で感じられる春の訪れを見事に一体化させているのです。
そして、それが「春告"窓"」というカード名の必然性。このカード名だからこそ、窓をクローズアップする演出の意図に気づくことができます。
ついでに言うと、春告草(はるつげぐさ)ともかかっているかもしれませんね。草と窓はどちらも音読みが"ソウ"。
テキスト上では一切現れないのがまた巧妙。冒頭でも述べた通り、春の訪れとは言われて気づくものではなく、五感を通して何となく感じられるもの。言外の表現に留めることで、その感覚を味わえるようになっています。そして、凛世という少女の奥ゆかしさすら見事に表現しています。
……いやはや、ため息が出るほど素晴らしいコミュです。大満足。時間の経過(凛世花伝、283プロのヒナ、常咲の庭)、自然物と心情のリンク(われにかへれ、さよならごつこ)はこれまでの凛世コミュでも普遍的に描かれてきましたが、それが窓という題材で、奥ゆかしい表現で、こんなにも巧みに語られるとは。これからの凛世コミュにますます期待が高まりました。
ということで本記事は以上です。ここまで読んでくださりありがとうございま——
対比的なイラスト——「凛世夕町物語」と「春告窓」
……これだけで終わらないのが凛世コミュ!!
先に「凛世夕町物語」について少し触れました。(意図的かどうかは分かりませんが)これ、コミュとイラストの構図が対比的です。
凛世の自室と、大きな窓。同じ題材を共有していながら「夕方-夜」「五人-一人」「カメラ位置が窓の外側-内側」「椅子に座って窓の外を眺める-椅子に座らず窓も見ない」という対比的な相違点があります。
この対比によって何が表現されているのか——それは私的空間であることの強調ではないでしょうか。自分以外に誰もいない空間。プライベートでプロデューサーと電話をすることが、彼女にとってどれほど特別な時間であるかが伝わります。あるいは、窓の外側に左右されない、つまりはどんな状況であろうと、プロデューサーへの思いは変わらず積もり続けることの表現か。
物体視点でアオリ構図になっている点もグッド。本来であれば誰も見ることができない彼女の姿を覗き見している、それによって萌えという感情が芽生えます。
サンキュータツオ:
萌えっていうのは「観察」にその醍醐味がある。「萌えとは無作為の覗き見である」と僕は定義してる。誰にも見られてない、カメラもないなかで彼が本当にどういうことをしてるのか、彼女がどんな行動をしてるのかっていうね、それを人物として介入するんじゃなくて、定点カメラで観察することが、実は「萌え」なんです。
[……]職場では、あまり隙を見せないあの人が、家で一人で誰もいないなかでお母さんと話しているときだけ気もそぞろに無意識にこういう行為をしている! 「この人、意外とこういうところあるんだ! かわいいじゃないか! できる子じゃないか!」と。
「俺たちのBL論」p.109-110 サンキュータツオ, 春日太一
何にせよ、凛世が夜を過ごしていた寂しさ、それが和らいだ時の嬉しさが伝わるイラストです。もりちゃんかわいすぎてヤバいわ……
凛世コミュのリフレイン——ハンカチ、オフ
まだまだ語りたいことが。今回のコミュ、他の凛世コミュを彷彿とさせる題材がとにかく多い。列挙してみます。まず凛世が事務所に「ハンカチ」を置き忘れた描写ですが——
これはW.I.N.G.編を思い出しますねえ!!(デカい声)
プロデューサーにハンカチで下駄の鼻緒を作ってもらい、それを返そうとする様子が描かれました。しかし、「春告窓」ではその立場が逆転。プロデューサーがハンカチを返す側になっています。
立場の逆転、で思い出すのはLanding Point編。厳しいダンスレッスンに励む凛世を見て、プロデューサーは自分の無力さがもどかしいと吐露します。W.I.N.G.編の頃から見違えるほど、今の凛世は一皮剥けており、プロデューサーを凌駕するほどの存在になっている。「必ず……凛世が……魅了いたしますゆえ……!」と大胆に宣言する場面もありました(大胆な告白は女の子の特権)
プロデューサーがハンカチを返される側から返す側になったのは、そうした凛世関連コミュ全体を通した、立場の逆転を象徴したものなのかもしれません。「春告窓」の衣装で髪を結ぶ位置が逆になっているのもひょっとしてそういう……さすがに考えすぎか。
続いて「オフ」。これは「階段式純情昇降機」。あの時、オンとオフを切り替える大切さを教えられたからこそ、凛世はプロデューサーと会えなくなりながらもテスト勉強のための1週間のオフを承諾したのかも……と、そんな繋がりが見えます。
「さよならごつこ」の後日譚——沈丁花、電話、電車
「沈丁花(植物)」「電話」「電車」。これらは前回pSSR「さよならごつこ」と重なります。
まず沈丁花(じんちょうげ)。「さよならごつこ」でも植物(南天)が題材なりました。沈丁花は三代香木のひとつで、春に香り高い花を咲かせる花木。寿命は20〜30年ほどで、これは花木としては短命らしい。
コミュを見ていくと——沈丁花は「その香りは人を寄せ、春を感じさせる」「花の命は短い」と語られています。
これはやはり凛世の暗喩か。アイドルとして観客を、プロデューサーを寄せる美しい彼女だが、その活動は永遠のものではなく、プロデューサーと過ごす日々はあっという間に終わりを告げる。
で、そんな沈丁花をプロデューサーは偶然手に入れて、事務所に迎えることになる。これは、凛世と偶然出会い、アイドルとしてスカウトした流れを思い起こさせます。
沈丁花が緑で表されているのも示唆的。沈丁花が置かれた事務所で二人が出会うことはない。つまり、赤(凛世)と青(プロデューサー)と緑が同時に交わることはない。赤、青、緑は光の三原色であり、これらが交われば全ての色を思い通りに作り出すことができるが、それは決して叶わない——「さよならごつこ」を踏まえればそんな解釈ができます。
よく見たら「春告窓」のイラストは凛世が微かに赤いですね。ここにも凛世コミュ特有の赤と青の対比がある……いや本当によくできてるな……
しかし、たとえすれ違ったとしても、二人が同じ沈丁花の香りに寄せられていたことは事実。たとえ交わらなくても、二人は何らかの形で心を通わせている……と私はそんな風に解釈しました。この辺りは多様な解釈がありそうですね。
凛世の緑色は三原色の調和をもたらすものなのはそうだけど、「我に返った」凛世の色は緑だったし、ローポジで凛世コミュ初?の緑葉描写が出たりと「凛世さん」の色でもあるかと。姉が選んだかんざしも緑だったし。
— まめまき (@motumotion) March 21, 2022
パーソナルカラーが「わすれなぐさいろ」なので三原色は内面的調和も示してると思う。 https://t.co/3sdW28oSzi
2022/3/21追記
こちらはまめまきさんの解釈。凛世さん・内面的調和としての緑色。これを踏まえると、凛世とプロデューサーが再会した時に緑葉が表示されるのも合点がいくなあ。
何にせよ、凛世とプロデューサーを繋いでくれた沈丁花くんと育てくれたお爺ちゃん、本当にありがとう。
「さよならごつこ」ガシャ演出より
次に「電話」。プロデューサーと会えない日々が続き、諦めかけていた時に電話が繋がる。これは「さよならごつこ」「春告窓」共通の描写です。離れているからこそ強くなる思いと、離れていても確かに通じ合う思い——G.R.A.D.編を踏まえると感慨深いものがありますね。
「さよならごつこ」より
「電車(新幹線)」は、「さよならごつこ」では、プロデューサーから遠ざかる音だったものが、帰省時にはプロデューサーに近づく音に変化した、という対比表現として使われました。
「春告窓」でもコミュの冒頭で電車の音らしきものが聞こえます。これもプロデューサーから遠ざかることの象徴か。
テストが終わった後、凛世は電車を経由して、プロデューサーのいる事務所に近づく。遠ざかる→近づくの変化が、このコミュでも描かれています。しかし、それだけではなく、二人が再会した後は——
プロデューサーのこの一言と共に、電車の警笛の音が鳴り響き、「春告窓」の物語は幕を閉じます。
「さよならごつこ」を踏まえると、電車が「来た」音、凛世が「来た」こと、春が「来た」ことの三つを重ね合わせた描写だと解釈できます。「さよならごつこ」で遠ざかる→近づくの象徴だった電車の音が、今回のコミュでは春の訪れを告げる音としてさらなる意味を持った形ですね。素敵な表現だ……
プロデューサーが「春がきたみたいだ」と言うことがまた重要。「さよならごつこ」では、プロデューサーの元に戻ったことで、凛世が新年の始まりを実感する描写で幕を閉じます。「春告窓」では逆に、プロデューサーが春の始まりを実感しています。
二人の再会——それは凛世にだけ特別なものではなく、プロデューサーにとっても新たな始まりを感じさせるものだった。「さよならごつこ」では語られなかったプロデューサー視点の心情、二人の心が通う様が「春告窓」では補完されているように感じられます。
プロデューサーと離れ離れになってまた戻ってくる、というプロットも「さよならごつこ」「春告窓」は何となく似通っていますね。「さよならごつこ」のわずか2ヶ月後に配布されたのも、プロットや題材を揃えているのも、「さよならごつこ」で語られてなかったプロデューサー側の心理を描くためのものなのかもしれません。
他にも、「さよならごつこ」の終盤では「ただいま……戻りました……」という台詞で二人が再会しますが、「春告窓」の思い出アピール名は「[春]もどりました」。「さよならごつこ」では凛世が電話をかける側でしたが、「春告窓」ではプロデューサーが電話をかける側になる(立場の逆転)という対比表現もあって……こうなるともう意図的にやってるとしか思えない。
まさかこんな形で「さよならごつこ」の続きが、しかもコミュを補完する形で登場するとは……これに気付いた瞬間、私はデカい声が出ました。まあ凛世コミュを読んでる時はいつもそうですが。こういう暗喩や婉曲的表現を自分なりに読み解いた末に、景色が一気に広がる感覚を味わえるのが、凛世コミュ、引いてはシャニマスの魅力のひとつですね。
以上、他の凛世コミュを彷彿とさせる題材たちの紹介でした。偶然こうなっただけだったり、私が変に深読みしているだけの可能性はもちろんありますが、それにしても、W.I.N.G.編から最新コミュ(さよならごつこ)に至るまで網羅するほど特徴的な描写の多いこと。考えれば考えるほど豪華な内容で感動もひとしおです。余韻が凄まじい……何これ杜野凛世最終回か……?
もちろん、シャニマスというコンテンツが続く限り、凛世の物語も続くでしょう。これからのコミュに期待が高まるばかりですね。本記事は以上——
今回の凛世は!!!! 脚がすごい!!!!!
もうちょっとだけ語らせてください。先に言っておくがここからはちょっとキモいぞ。ついて来れるやつだけついて来な……!!
左:「階段式純情昇降機」の手
右:「春告窓」の足
今回の凛世は脚がすごい。見てくださいよこの画像右の足を。静止画なのに、足をすりすりしている動きが手に取るにわかっちゃうじゃないですか。これもうGIF画像だろ。
それと、何となく「階段式純情昇降機」で手を組んでいるのを思い出します。そわそわしながら手を"さすさす"する。プロデューサーとの時間をドキドキしながら過ごしていることが伝わりますね。かわいい(かわいい)
しかも凛世が足をすりすりする音がしっかり聞こえるんです……いえ、今回はちゃんと正気です。幻聴ではありません。凛世はプロデューサーからの着信を受け取る。ハンカチを置き忘れていた、事務所で預かっておくから、とのこと。それを伝えるためにわざわざ電話してくれたのかと、凛世ははやる気持ちを抑えながら訊ねる——ここで効果音が挟まります。
あ^〜靴下すりすりの音^〜!!
クソッ……なんか足の裏がくすぐったくなっちゃうじゃねえか……(すりすり)……あっ結構気持ちいいなこれ。続いてフェス衣装ですが、
あーこれはダメですね。えっちすぎます。
フリルのミニスカ、だるだるニーソ、太ももに巻きつけられているなんかバンドみたいなやつ(語彙力)によって、そのむっちりとした太ももは素足である時より強調されてしまっており、これ見よがしにイラストの中央に据えられているではありませんか……! 許されませんよこんなの……!
「全裸より服着てる方がえっちだよね」を哲学的に表現
— 灰猫 (@schiff042) March 19, 2021
するとこうなります(バタイユ「エロティシズム」より) pic.twitter.com/r3PPsr843i
奇しくも「春告窓」実装のちょうど一年前のツイートでした。最悪の偶然。
足、太もも。凛世の「脚」の可能性。今回のイラストを踏まえた上で今までのフェスイラストをざっと見てみると、「凛世ってこんなに太ももしっかりしてたんだ……」と気づかされ、知の再発見(?)に至りました。
実際こうした肉体的なエロティシズムも時には必要となる要素でしょう。これからの凛世フェスイラストに期待が高まるばかりです。でも胸を盛るのだけはマジでやめろよ(太字強調)
……品のない話で締めるのも何なので最後に。冒頭でも述べた通り、「春告窓」は春の訪れを肌で感じる様子が巧みに表現されていたり、さらには「さよならごつこ」を補完するコミュとして読める側面があったりする(と思われる)コミュであり——そして、ふと何気なく見た窓の風景が愛おしく感じられるようになる物語です。本記事が物語をさらに楽しむ一助となれば幸いです。
気になるのは、去年の今頃に実装されたpSSR「ロー・ポジション」も春の訪れを描いたコミュだったこと。テーマが異なるとはいえ、まさか似たような情景が描かれるとは思わなんだ……春が訪れた後の話はまだお預け、ということでしょうか。いつか桜に囲まれる凛世を見たい。それが私の切なる願いです。
ここまで読んでくださりありがとうございました。もうすぐ四月ですね。環境の変化で身体を壊さぬようご自愛ください。それではまたどこかで!
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