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君に捧げる「奇跡」の物語——最終編4章・感想【ブルーアーカイブ】

 ある経験をなめたあとでは生きつづけることはできない——そんな経験というものがある。その経験のあとでは、もう何ものもどんな意味すらもちえないように思われるのだ。生の限界に達し、この危険な極限のあらゆる可能性を激烈に生きたあとでは、日常の行為や仕草は、一切の魅力を、一切の魅惑を失ってしまう。それでもなお私たちが生きつづけるとすれば、それはもっぱら、この限界なき緊張を客観化によって軽減してくれる書くことの恩恵によるのだ。創造とは、死の爪の一時的な予防である。

「絶望のきわみで」p.18 E ・M・シオラン
金井裕訳

・挫折の経験——永遠に癒えないその傷を身に刻みながら、なお生き続けようとするのなら、ある種の「創造」という行為が必要になる。辛いことはお友達と慰め合って、苦しいことがあっても最後は笑顔になれる「青春の物語」を、青空の下で高らかに宣言するように。苦痛を客体化する。それに倣って私も物語ることから始めたい。その身に余る苦痛を味わった少女の門出を、笑顔で見送るために。

・その少女の名前は砂狼シロコ。彼女が通学するアビドス高等学校には、度重なる自然災害によって膨らみ続ける借金を返済するための対策委員会が設置されていた。メンバーは5人いた。シロコを残して4人が死亡した。

・一人取り残されたシロコにとって、何かと気にかけてくれる先生だけが唯一の心の拠り所だった。しかし、蘇生の可能性はないと公表された。絆の象徴とも言える青いマフラーは風に飛ばされ、彼女はついに精魂尽き果てた。

(もう、苦しまなくていいんだ……)

「私達は苦しむために生まれてきた」「死ねばもう苦しまなくていい」——額面通りの意味ではない。ただただみんなといたかった、という願いから生じた嘔吐だ。しかし、ふとそう思ってしまった。生の否定、死の安息、押し広げれば「恐怖」の領域となるその思想が芽生えた。それが全ての始まりだった。「色彩」はシロコを反転させ、死の神アヌビスへ変貌させた——「子ども」の無垢なる願いは犯され、歪な形に捻じ曲げられた。

これからお前は「色彩」によって顕現した己の「恐怖」で、この世界を塗りつぶしていくだろう。
それまで——死も……安息も、許されぬ。
「色彩の嚮導者」と成り、あらゆる存在を無に帰すまで。
すべての時空の「忘れられた神々」が消滅するまで——

「プレナパテス決戦(3)」より
「こんなことを、望んだわけじゃないの……」

・ただ、みんなと過ごせる暖かな日を望んだ。奇跡的に命を吹き返した先生に、死をもたらすことで苦しみから解放する、そんなことをシロコが望むはずがない。

・その良心すらも踏みにじられた。「色彩」は使命を果たさなかったシロコの代わりに、先生を「色彩の嚮導者」に変貌させた。「私が先生を殺した」「むしろ私が色彩を利用している」——その言葉の裏には、絶望の中で死の神になってしまった自分を、嚮導者となる運命を先生に肩代わりさせてしまった自分を、償いきれない罪を犯した自分を呪う意図があったのだろう。

「最後、まで、やり通せもしない、意気地なしで、ごめんなさい。
でも、私は、もう……だめ……むり、だよ、もう……」

・もうひとりの砂狼シロコ、彼女がまた笑顔で歩き出せる日が来るのなら。かつて未来を諦めた私達が、また明日に手を伸ばせるなら。理性では証明しえない問題に、違う答えを導き出せるのなら——

 私はこの報告書を物語のようにしたためよう。わが故郷では幼時より、真実とは想像力の所産だと教えこまれたからである。まぎれもない事実もその伝え方で、みながそれを真実と見るか否かが決まるだろう。

「闇の左手」p.9 アーシュラ・K・ル・グィン
小尾芙佐訳

今こそ、沈みゆく物語の中で、私達の物語を。最終編4章「プレナパテス決戦」の感想をお届けします。

<前回の記事はこちら>


終焉を阻む奇跡——リオ、ハルナ、トキ、セイア

「「これ以上はもう?」——「天才」の貴女らしくない台詞ね、ヒマリ。」

・リオが多次元解釈の抑制機能を発動。ウトナピシュティムの自爆シーケンスカウントダウンを一時的に停止させた。これにより、箱舟の管制権を取り戻す作戦を実行するための時間が、わずかではあるが生まれた。

・これ以上はもう無理だと弱音を吐いたヒマリを叱咤したのもリオ。改めて彼女の覚悟の強さを痛感する。アリスが言っていたように、リオは世界を滅亡の危機から救うために、どんな状況でも諦めず、ずっと孤独に戦い続けてきたのだ。その火は今なお衰えることを知らない。

・作戦概要。まずは箱舟最下層セクションにある中継端末を破壊。これにより、箱舟からのハッキングを解除。ウトナピシュティムのシステムを復旧させて、箱舟の管制権を取り戻し、箱舟の自爆シーケンスを実行する算段だ。

・しかし、最下層にある端末までの高低差は1,200m。(あくまでも平面距離なので参考程度だが)令和3年度運動能力調査結果によると、16歳女子の1,000m走平均タイムは約300秒。会敵や障害物も踏まえればそれ以上の時間がかかることは必至。抑制機能はそこまで持たないだろう……クソッ、どうすりゃいいんだ!? 1,200mを短時間で駆け抜ける方法なんてどこにも——

Deja vu!
I've just been in this time before!
Higher on the beat!
And I know It's a place to go!

子犬ぅ!
And the search is a mystery!
Standing on my feet!
It's so hard when I try to be me, yeahhhh!!!!

😁👍

こんな過酷な運命の中でさえ、少女達は痛快な喜劇を築くことができる。その姿はやはり人間の可能性というものを強く感じさせてくれる。

最終編2章感想記事より
「最後に、「アビ・エシュフ」の自爆コードを教えてください。」
「私一人の命と、キヴォトスの存亡——どちらを取るかは、火を見るより明らかです。」

・作戦中、黒アロナがサンクトゥムを顕現、抑制が効かなくなるほど急激に演算を加速させていた。いち早く察知したトキがサンクトゥムに群がる守護者を蹴散らすことで顕現を阻止。おかげで作戦完了は間に合った。しかし、敵陣に単身乗り込んだトキの救出は絶望的な状況。「誰かの役に立ちたい」と思いながら孤独に戦い続けた彼女の勇姿は、かくも儚く消えようとしていた。

・トキは、リオが言っていたトロッコ問題を引き合いに出す。みんなを守るために自滅のレバーを引こうとしている。リオは「そもそも前提が間違っていた、私は手を差し伸べてくれる人を探す事もしなかった」と語るが……第4話タイトルは「安易な解」。「二択の中から選ばなければならない」という前提条件を放棄して「警笛鳴らして知らせればええやん!w」と回答することが許されるのは大喜利会場だけだ。無論、現実にある多種多様な状況では、前提を覆せることがあるかもしれないが、そんな安直かつご都合主義的な答えはそうそう見つからない。

・しかし、そんな絶望的な状況の中に、やはり解はあった。

・そう、かのエージェント集団「Cleaning&Clearing」の先頭に立つ者を差し置いて不可能だと決め付けるのは、侮辱にも等しい行為である。コールサインOO、その呼び名が意味するのは——

「そんな台詞——二度と先輩の前で言うんじゃねえぞ。」

「約束された勝利」だ。……いやもう大好きになっちゃったなネル先輩。先輩としての威厳と優しさに満ち溢れた一言だ。

「たまには、このように安易な解があっても、良いのではないだろうか?
……未来を識ってしまったが故に、苦痛を強いられた者にとっては、尚更。」

・救援が間に合ったのはセイアのおかげ。予知夢の能力を失った代わりに「勘」が働くようになっていたセイアは、トキが窮地に陥ることを事前に察知。ミレニアム生徒会書記の生塩ノアに連絡していた。

・かつて破滅の未来を見据えていた二人にとって、楽園を信じて歩むことは、あるいは犠牲なくして平和を築こうとすることは、楽観主義的な「安易な解」と映っていたことだろう。しかし、その解に手を伸ばせることを知った。だからこそ、今回の作戦において自分の能力を最大限に発揮し、最良の結果をもたらすことができた。そんな成長が垣間見える一幕だ。……こんな形で二人が交わるとは。驚きました。未実装ってマジ?

・かくして、箱舟の管制権を取り戻す作戦は死傷者0人で完遂された。これも結果だけ見れば「安易な解」であるが、無論、そこに至るまでの過程は決して安易ではなかった。最後まで信じ抜かなければ手が届かなかった、一人でも欠けていれば成し得なかった「奇跡」だ。


もうひとりの

・作戦遂行の裏で、先生とシロコは戦い続けていた。黒アロナの処理能力の一部を戦闘に割り当てさせることで、演算機能を阻害し、作戦実行までの「時間稼ぎ」を行う。奇しくもアトラ・ハシースの箱舟占領戦におけるシロコテラーと同じ行動だ。

・……同じ行動、か。もはや疑う余地はない。相手が別時間軸の同一存在であることを。シロコ、アロナ、そして——

「プレナパテスが……別の時間軸の「私」ということ?」

・……先生。

・シッテムの箱、大人のカード。同じ者、同じ物がぶつかり合う、最後の戦いが始まる。

・……ところで話は変わりますが、実在と非実在が混ざり合うその特性ゆえに、箱舟内では同じ生徒が共存することが可能である模様。だから、同一存在の干渉により不安定なるはずのシロコテラーとプレナパテスが、ここでは共存できている。よし、だったら——

シナジー皆無

行くぞカヨコ!!
うおおおおおおっ!!!!

瞬殺

あああああああああああ!!!!😭

ここすき

・ゴリ押しで突破しました。CC状態を付与しないと問答無用で一撃で皆殺しにしてくるプレナパテスの強さもさることながら、他にも強烈に印象に残る場面が二つ。

・一つは、シロコテラーが見覚えのあるガトリング砲、盾とショットガンを取り出して戦うこと。複製されたものかもしれないが……それが失くしてしまったマフラーの代わりになる唯一の形見だったのだろうか。シロコテラーは何を思いながらその重火器を使っているのだろう。ホシノとノノミ、みんながくれた温かさにすがりたい必死の思い、それが言外に伝わってくるようで本当に辛かった。シロコ……

・二つ目は、プレナパテスが青輝石を消費してシロコテラーを回復させる描写があったこと。「大人のカード」の能力とその代償だろうか。カードについては黒服やマエストロの発言から断片的な情報だけが得られるのみで、まだ謎が多いけど……青輝石、か。

・衝撃的なメタ演出だった。「私」というプレイヤーの何気ない操作が、「先生」とダイレクトに繋がった瞬間でした。エデン条約編でも先生が大人のカードを使ってヒエロニムスに挑む場面がありましたが、あの時、私も青輝石を大量に消費してレベリングすることでようやく勝てたんですよね。

・後の展開を見ると、青輝石がいわゆるソシャゲにおける「石」という記号的表現以上に意味があることが、強いメッセージ性を秘めているように感じられました。


君に贈る言葉はいつも

「こうなると、分かって、いたら……もらう、べきじゃ、なかった……」

・先生を救出するために、アビドス対策委員会がナラム・シンの玉座へ。まだ生きている彼女達を目にしたシロコテラーは、倒れ伏して慟哭する。

・一人、また一人と対策委員会メンバーが消えていった。それは自分が死の神である証拠。その背負うべき運命すら投げ出してしまったことで、今度は先生を。取り返しのつかない数々の過ち。終わらせたくとも死ぬことすら許されない。挫折と絶望の螺旋。その中で紡がれる言葉——

こうなると、分かって、いたら……もらうべきじゃ、なかった……
さむくて、おなかへってて、……なんで、ここにいるのかも、分からなくて……
でも、あたたかくて……
あたたかい、から……もう、これ以上、さむいのは、イヤ、だから……
さみしい、のは、イヤ、だから……!
私が、間違っていたの……あの時、マフラーをもらわずに、そのまま、倒れていたら……
どうせ、こうなって、しまうのなら……
そうしたら……私が……早く、そのことに気付いていたら、先生は——みんなは、生きて、いたかも、しれないのに。
私が、ここにいるから……私が、間違ったせいで……!

「プレナパテス決戦(3)」より

・目尻に涙を溜めて、首を横に振りながら、そのたどたどしい言葉をなぞった。違うよ。全然違う。シロコは何も悪くないよ。どうして友達といたいと思うことが、お腹いっぱいご飯を食べたいと思うことが、悪い事じゃなきゃいけないの……おかしいよ……

・そう思ったのは私だけではなかった。いやむしろ、私以上に生徒のことを常日頃から気にかけて、死してなお守り続ける者がいた。

「プレナパテスが……伝えたいことがあるみたい。」
「「色彩の嚮導者」になってまでここに来た理由を——」

・もうひとりの先生。戦いを終えて「色彩」の支配から解放され、ほんのわずかに意識を取り戻したのだろうか。嚮導者になったあの時、シロコテラーに伝えられなかった言葉を贈る——

「あなたのせいじゃないよ、シロコ」

自分の生を、悔やんだり——責めないで。
幸せになりたいと願う気持ちを——否定しないで。

「この無意味で苦しい人生が続くだけでしょ?」
(エデン条約編4章8話)

生きることを諦めて、苦しみから解き放たれた——だなんて悲しい事を言わないで。
苦しむために生まれてきた——なんて、思わないで。
そんな事は絶対にないのだから。
どんな生徒(子ども)も、そう思う必要なんて無いのだから。
子どもの「世界」が、苦しみで満ち溢れているのなら……
子どもが、絶望と悲しみの淵でその生を終わらせたいと願うのなら——
それは——

「子供たちが苦しむような世界を作った責任は、大人の私が背負うものだからね。」
(エデン条約編4章25話)

その「世界」の責任者のせいであって、子どもが抱えるものじゃない——
世界の「責任を負う者」が抱えるものだよ。

「私はそんな価値のある存在じゃないよ……今からでも逃げて……!!」
(エデン条約編4章25話)

たとえ罪を犯したとしても、赦されないことをしたとしても——
生徒(子ども)が責任を負う世界なんて、あってはならないんだよ。
子どもと共に生きていく大人が背負うべき事だからね。

「何も思い出せなくても、おそらくあなたは同じ状況で、同じ選択をされるでしょうから……。」
(最終編3章11話)

・何もかもいつも通りだった。もうひとりの先生の言葉は。同じ状況で、同じ選択を。平和な日常を享受しているから楽天的なことが言えるのではない。エデン条約の事件がハッピーエンドではなく、あの時垣間見た血で汚れた別の未来のように、カタストロフィを迎えていたとしても。どんな状況でも、変えがたい未来が待ち受けていようとも、悩み苦しむ生徒がいるのなら、先生のやることは変わらないのだろう。山頂から転がり落ちた岩を運び、また転がり落ちたその岩を、また運ぶ、それを未来永劫繰り返すシーシュポスの刑罰のような徒労だったとしても——子どもの幸せな未来を願い、職務を果たす。それが先生なのだ。ヒロイズムではない。神でも英雄でも主人公でもない。小さき者の献身だけがそこにある。

「人間は自然のなかでもっとも弱い一茎の葦(あし)に過ぎない。だが、それは考える葦である」——哲学者パスカルの言葉が思い浮かぶ。世界の広大さに対して、人間はあまりにもちっぽけな存在だ。「他人の心の内を証明することはできない」「全ては虚しい」——それらの事実が時として私達に重くのしかかり、押し潰されそうになる。けれど、変えがたい現実の中で、私達は主体的にものを考えることができる。どんな時でも「子ども」を信じることから始める、虚しくとも最善を尽くさない理由にはならない。そうして紡がれてきた未来が、今、ここに在る。

「アレは、お前の知る生徒(子ども)ではない!!」
「アレは「観念」で……お前が理解できない、畏怖すべき対象なのだ!!」
「想像界で表象され、現実界へと至る——象徴界の記号であり隠喩(メタファー)なのだ!!」

・あの時、もうひとり先生は、シロコの代わりに嚮導者になることを自ら望んだ。無名の司祭達の言葉を否定し、抽象的な世界でうつろう概念としてではなく、血肉の通った「生徒」として接することを主張した。

・……ふと思い出した話がある。世界的な記号学者であったウンベルト・エーコは、48歳にして自身初となる小説「薔薇の名前」を書き上げた。彼はその理由としてこう記した——「理論化できないことは物語らなければならない」と。

この惹句こそ、小説という虚構の世界によってしか表現し得ない「物語」というものへとエーコを衝き動かしたものの正体にほかなりません。たとえ論理的あるいは科学的に解明不可能なことであっても、現実の世界と異なるもうひとつの現実のなかでなら「明晰」に言い表せるのだとすれば、その可能性に賭けるべきだと決断を下したのです。

「ウンベルト・エーコ『薔薇の名前』 2018年9月 (100分 de 名著)」p.14
和田忠彦

・目の前にいる存在を「生徒」として見る。そんな彼女達の「先生」であろうとする。客観的に見れば、それらの行為もまたひとつの記号化であり、認知バイアスに過ぎない。あるいは(まだ謎が多いが)世界の成り立ちからすれば、無名の司祭達が言っていることの方が正しいのかもしれない。そんな証明しえぬものであるからこそ、先生はシロコのことを「私の「世界」で苦しんでいる、ただの「子ども」だよ」と意味付けし、もうひとつの現実を物語る語り手になることを選んだ。たとえそれが、物語と呼ぶのに相応しくない、歪な創作だとしても。「何故、破滅の未来にあえて突き進むのか」「この選択を未来永劫、後悔するだろう」と言われようとも。「子ども」に無限の可能性があることを、その「世界」の責任を負う者として担保するために。

[……]こうして、人間のものはすべて、ひたすら人間を起源とすると確信し、盲目でありながら見ることを欲し、しかもこの夜には終りがないことを知っているこの男、かれはつねに歩みつづける。岩はまたもころがってゆく。
 ぼくはシーシュポスを山の麓にのこそう! ひとはいつも、繰返し繰返し、自分の重荷を見いだす。しかしシーシュポスは、神々を否定し、岩を持ち上げるより高次の忠実さを人に教える。かれもまた、すべてよし、と判断しているのだ。このとき以後もはや支配者をもたぬこの宇宙は、かれには不毛だともくだらぬとも思えない。この石の上の結晶のひとつひとつが、夜にみたされたこの山の鉱物質の輝きのひとつひとつが、それだけで、ひとつの世界をかたちづくる。頂上をめがける闘争ただそれだけで、人間の心をみたすのに充分たりるのだ。いまや、シーシュポスは幸福なのだと想わねばならぬ。

「シーシュポスの神話」p.216-217 カミュ
清水徹訳

信じること、物語ること。先生の思想の根底にあるものを探るほどに、人間がどれほどちっぽけな存在であるかを思い知らされ、同時に、人間の奥底に眠る可能性に目を開かされる思いがした。先を生きる者と書いて先生、その名が表す孤独と苦痛が、暗闇を灯す光が、どこまでも胸を打つ。

「生徒たちを……よろしく、お願いします。」

・かくして物語は託された。先生から先生へ。生徒達の未来を守るために。


脱出

・生徒達から集中砲火を浴びる。字面だけ見れば悲劇だが……生徒達を守るために尽力してきた先生にとっては幸福な最期であったと思いたい。

・ウトナピシュティムと箱舟の自爆シーケンスが作動。生徒達はリオが用意していた脱出シーケンスで地上に帰還。残り回数は1回。先生が脱出するために残されたものだが——

・残り回数が表示され始めたその時から、何となく察していた。「そうはならないのだろう」と。そして、それが先生の覚悟であるなら、私が選ばなければならないことも。……やるからね! 押すからね! うおおおおおおおおおおいっけええええええええ!!!!

・最後の脱出シーケンスによって、シロコテラーは地上へ。爆発する箱舟に先生は取り残された。高度75,000mからの自由落下。

・……で、でもさ。先生のことだから何とかなるんじゃない?🤔 今までだってそうだったじゃん? きっと何食わぬ顔で戻ってきて——

「高度75,000mもあればマイナス60度は優に超える。呼吸をしたら肺が凍るだろうから。」
体液も一瞬で気化するだろうし……どのみち、その環境下じゃ2分足らずでヘイローは壊れる。」
(最終編3章8話)

・カヨコ!! 愛してるけど今回ばかりは恨むからね!! 最悪の想像しかできないじゃん!!

「今からあなたと私の力をあわせ、奇跡を起こします。」

・ア、アロナ!? お願い……先生を……奇跡を……!😭🙏


物語の名は

・「流れ星が消えるまでに願い事を3回唱えれば、その願いは叶う」——子どもの頃に聞いたおまじない。大人になった今ならわかる。流れ星は一瞬で消えてしまうのだから、その間に願い事を3回唱えるなんてことは現実的には不可能だ。そんな風にして、私達は大人になるに従って、叶わない夢があることを経験則で知っていく。

・しかし今、ふと空を見上げれば、そこには一瞬で消えない流れ星がある。あの二人が力をあわせて紡いだ「奇跡」の輝きが。人工光であり、落下物の軌跡なのだから幻想に過ぎないが——これまでがそうであったように、信じることから全ては始まる。

・呪縛は解かれた。もうひとりの「親愛なる、初めての君」へ。辛い時はどうか思い出してほしい。この物語を。現実は変えがたいものばかりだけれど、想像していなかった未来があったことを。解決不可能だと思われた状況の中で、数々の「奇跡」が生まれたことを。

・忘れないように名付けよう。私達がいるこの場所は。先生、あなたが帰ってくるこの場所は。この物語の名前は——






己(たがい)

「私がお姉ちゃんとしてプラナちゃんを守ります!」

アロナとプラナのお義兄(にい)ちゃんです。この度は妹の件で皆様にご心配をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした。これからは兄妹で共に手を取り合い、ベーコンエッグとサラダを毎朝食べさせて、キヴォトスの平和を守るために尽力いたしますので、何卒よろしくお願いしま——あっまた忘れ物したなアロナ!? やれやれ仕方がない、届けに行くか……

「ん。これがあれば、どんな銀行だって襲える。」

・シロコとシロコテラーが会話を交わす。あっちの先生も「銀行を襲うよ!」って言ったのかな。同じ状況で、同じ選択だもんな。

・シロコはシロコテラーに覆面を贈る。対策委員会の絆の証であるそれを。そして微笑む。……初めて会った時は怖かっただろう。自分が先生を殺める可能性を突きつけられた。それを必死に否定したくて、理解を遠ざけて、銃口を向けた。しかし、相手の言葉は額面通りの意味ではなく、自分と同じように対策委員会の仲間達と先生のことを大切に思っていた。私が同じ未来に辿り着けば、きっと同じ行動をするだろう、同じ絶望を抱えるだろう——理解できないと思っていた相手が、自己の問題として還元された。それによって、今過ごしている日常がいかに尊いものであるかを実感し、そして、相手を慈しむ心が生まれたことだろう。相手がもうひとりの自分なら、どんな言葉を贈るべきかをわかっているのも、他ならぬ自分なのだ。

「——大切なものは、決して消える事はありません。」

・シロコテラーが語る思い出に、シロコはうなずく。あの寒空の下で拾われた二人にとって、仲間と過ごした暖かな日常は何よりも大切なものだ。苦しみを生むものではなく、背中を押してくれるものとして。その意義を今まで以上に胸に刻み込んだことだろう。たとえ心に直接触れることができず、他人は他人のままであろうとも。大切な思いは巡り巡って、私達の日常に知らず知らずのうちに「奇跡」を生み出す。

・答えは導き出された。「理解できない他人(もの)を通じて、己(たがい)の理解を得ることができるのか」——それは言葉遊びのようなもので、この世界の絶対的な真理にはなり得ない。それでも、信じる先に「理解」があり、ほんのわずかでも変えられる運命がある。

「はじめましょう。あなたと私……私たちの、奇跡を。」

・あの時繋がれた二人の手が、そうして生まれた「奇跡」が、私達にとっての答えだ。


完走した感想

「裸で埃まみれ、片手にはタブレット、そして、とびっきりの笑顔を浮かべて生徒の元に駆け寄った——という目撃情報が……」

・ありがとう、せんせ……ってこっちじゃねえ!

絶対に使いません

ありがとう、先生。

・本当に本当に素晴らしい「物語」でした。想像を遥かに超えた光景を何度も見せてくれた。対策委員会編の覆面差分と銀行強盗でゲラゲラ笑わせてくれたかと思えば、覆面水着団は大切なお友達を人殺しにさせないための助っ人として再登場し、最後には友情の証として、もうひとりのシロコに受け継がれた。勇者を目指すアリスの冒険も。孤独に戦い続けていたリオも。「宇宙戦艦」という何気ないワードさえ繋がった。

・まさに集大成。まずお祭りエピソードとして純粋に面白い。しかし忘れてはならないのは、一人ひとりの小さな積み重ねが思わぬ形で交わるその過程が、いわゆる伏線回収という作劇法の工夫だけに留まらず、テーマの根幹そのものを担っていることだろう。変えがたい現実の中でいつしか未来を諦めてしまった私達は、自分自身で運命を定義する。しかし、他者によって、あるいは、理解できないものだと遠ざけていたものによって再定義され、思わぬ「奇跡」に導かれる。自己認識と、それを通じた他者や世界との接し方。「シャーレ奪還作戦」「虚妄のサンクトゥム攻略戦」「アトラ・ハシースの箱舟占領戦」「プレナパテス決戦」——一連の作戦を遂行するために生まれた理論や戦術はその奥底に、生徒達の成長と輝く精神が常に宿っていた。

・そして、そうした小さな一歩を積み重ねる姿勢を、先に立つ者として教えてくれたのが先生だった。記号や暗喩という抽象的な存在としてではなく「生徒」として見ること。そして、その「世界」を物語ること。理論化できないことは物語らなければならない——他人の心の内を証明することはできない、待ち受ける運命すらわからない、理性で割り切ることができないこの世界の中で、なお私達を生き続けさせてくれるのは、やはり「物語」の力なのだ。その真髄を深く味わうことができた。

・……少し話は変わるが、オタクとして大事な姿勢を学ぶことができたようにも思う。ブルアカの生徒達はケモミミ、メイド、横乳、挙げればキリがないほど、いかにもソシャゲ然とした記号的なキャラデザをしている。現代のオタクカルチャーを生きる我々からすれば「あーはいはい、"アレ"ね」だ。飽くなき消費と再生産が繰り返されて、飽和し、固定概念と化した記号。ともすればブルアカも一過性のコンテンツに埋没してもおかしくないが、私にとってはそうはならなかった。ふと立ち止まって考える機会を与えたくれた。

対策委員会編1章感想記事より。「誰だよさっきオギャってたやつ。ホシノのこと何も知らねえくせに」という文章が後に続きますが、自戒を込める意図があったりなかったり……

・少女達に「先生」として接する。誰かを愛し、悩み、若気の至りで突拍子もないことをやってのけて、時には転んで、また立ち上がる——その情熱の一つひとつを、絆トークなどを通じて能動的に読み解いていく。それが作中における「先生」の行動と同化していることに、青輝石の描写で気づかされた。私がクソ長え感想文を物語のあらすじに沿ってしたため続けたのは、生徒達の心理や葛藤をつぶさに感じたかったから。先生もそうだったのだろう。やっぱりオタクとして大事にしたい、この姿勢は。

ポスト・ソシャゲ(ソシャゲ以後)のソシャゲ。そんな印象を受ける。誰かがブルアカについて語る時、「懐かしくも新しい」という言葉をよく見かけるのは、そんな作品性が秘められていることにも起因しているのかもしれない。……ここまで壮大なものが見えてくるとは。いやマジですごすぎる。完膚なきまでに打ちのめされた。

・閑話休題。情けない話だが、私は先生のような立派な大人にはなれないだろう。世界の責任を負う者、なんて大層な存在になれるほど強い人間ではない。それでも、信じて少しずつ歩くことはできる、そう思うことができる。ノートPCの前でうんうん唸りながら推敲し、生徒達と共に悩み、先生と共に歩んでいくのはとても幸福な時間だった。noteを書く手が衰えていた私が、勢いのままにプロローグの感想文を書き殴り、気づけば愛読書を片手に思索に耽るようになっていた。15記事、約15万文字。一つのコンテンツについてここまで短期間で長文を量産するのは、私の人生においては後にも先にもそうそう無いだろう。それほど感化された。大人になっても未だにこんな物語に出会えるとは。人生は何が起きるかわからない。ここまでお付き合いいただいた方々、本当にありがとうございます。

・……と、何だか最終回のような書き方ですが。「ブルーアーカイブ」の物語はこれからも続く。後日談はこれから読みます。4.5thPVも公開されましたからね。私自身もやりたいことが増えました。ようやくネタバレを恐れずにTwitterや感想記事を読み漁れる。みんなが作ったもの、これから見に行くね。それに、ここまで書いたからにはやっぱり挑戦してみたい。二次小説。読書欲も再燃しました。積読本を引っ張り出しました。転職活動も頑張ろう。今まで以上にパワーアップしてやりますよ。ええ。

・ブルアカの物語に向き合い続けた約4ヶ月間。とりあえず一区切りがついた。名残惜しいけれど、これが最後じゃない。私達の人生は続いていく。なのでいつもの言葉で締めます。それではまたどこかで。

・……最後にもう一度。ありがとう、先生。あなたの言葉はいつも、私達を青空に導いてくれる。「次はあなたの番だよ」「いつでも見守っているからね」——そう背中を押された気がした。

その献身の先へ 心は行く 強く
その諦観の奥へ 言葉は行く 深く
ほら 君の疑うものすべて
いつの間にか 君から抜け出した君だ

意味なんてない 退屈で美しいんだ
今 変わらない朝の為

「街」米津玄師

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