見出し画像

32.「あの弓が? … あっ!」

 最高神官マヌエルは … この「時間の扉」の前でクレイたちが立ちふさがっていることに別段驚いたような様子はなかった。そんなことは先刻承知の上、という表情である。もちろん … 内心のほどは(このたちの悪い大神官のことだから)わからなかったが、少なくとも表情には何も出さない。
 クレイはマヌエルに対して止まるように言った。これは当然の措置だろう。帝国に友好的な神が守る、この時間の扉に対して踏み込もうとすることは、帝国に敵対する行動と取られても仕方が無い。
 
「おお、これは帝国の最高神官、クレイ殿ですね。」
 
 マヌエルはクレイの(ややいらいらしたような)呼びかけに対して、興味深そうに答えた。クレイがわざわざこのような上方世界の果てにまで出向いていることも興味深いことといえないことはないが … 大方は演技だろう。
 
「マヌエル猊下。この時間の扉は、我が帝国が領するもの。何者も使わぬように封印されている。御引き取りください。」
 
 クレイは珍しく「帝国」の名を前面に押し立てた。いくらマヌエルでも正式な帝国の最高神官が守るこの魔法の扉を、力ずくで破ろうとしたら(要するにクレイと戦うことになる)、それだけで「隷属の鎖教団は帝国と事を構える」ということになるというのは判っているはずである。そのリスクを犯す勇気があるのかどうかを試したわけである。
 マヌエルは怪訝そうな顔をした。(当然これも演技だろうが … )
 
「これは異なことを。われわれの情報では、われわれの神殿を汚した魔法使いが一人、この扉を通って過去世界に逃げた、ということですが、それでは帝国はその魔法使いの肩を持つことになさるつもりなのですか?」
 
 マヌエルは一歩もひくつもりはないようだった。ジークが「この扉を既に通って過去へ行った」というのである。もちろんそういう事実はないのだが(星の神の目を盗んで時間の扉をこっそり開けて、また閉めたというのなら別だが) … そう言い張るつもりなのである。これはちょっと面倒なことである。
 要するに扉を通ったという証拠も通っていないという証拠も無いのである。立ち入り調査を要求することは … まったく無茶な要求ではない。断ることも出来るがそれはそれで(全面戦争ほどではないが)勇気は要るだろう。
 クレイは少しばかり困ったような顔をしたが、気を取り直して言った。
 
「この扉をそのような狼藉物が無断で使ったというのならば、それは大変な問題だ。われわれが調査をしてご返答するだろう。」
 
 あくまでも帝国の領土だと主張するわけである。ここでどう出てくるか … これはクレイにも想像がつかない。どこまでマヌエルがやる気か、それ以前にマヌエルがいったい何を目的にして、ここまで手勢を率いて乗り込んできたのかというのだろう … それによってどうなるのかが決まってくることになる。
 マヌエルとクレイはじっとにらみ合う状態になった。しばらく相手の出方を見る… というよりもほとんど「対峙する」という状態である。まるで息をすることすらはばかられるような緊張がその場を支配した。
 
 ところが … その時レムスは大変なことに気がついたのである。

*     *     *

「ナ、ナギさん!!」
「どうしたんだ?レムス … 」
「あ、あれです!マヌエルが持っている、あの弓!!」
「弓?あの弓が? … あっ!!!」
 
 レムスはマヌエルが手にしている無骨な、そして巨大な弓を指差した。その弓は青黒い … 独特の光沢を携えたものだった。そう … 普通の弓とは決定的に違うのはその光沢である。まるで … 金属だった。金属の光沢 … そう … それは明らかに鉄弓だった。
 レムスも、そしてナギもその鉄弓に見覚えがあった。普通の人間では絶対にひけそうに無いほど太く、大きいその鉄弓は、光沢だけではなく … なんとなく神秘的な力が伝わってくる。間違いがない … あの鉄弓は … 伝説の「混沌太陽神を射落とした」げいの鉄弓だった。
 なぜレムスもナギも、その鉄弓に見覚えがあったのかというと、彼らはその鉄弓の持ち主を知っていたからである。元々の持ち主である中原の古代の英雄「げい」 … そして鉄弓を譲られた戦士 赤砦 … それは彼らの友人だったからである。
 
 赤砦は彼らの仲間だった。そう、もう5年以上前になるが … 背の高く逞しい戦士で、赤茶けた肌と黒い髪、そして爽快な笑顔を持った青年だった。臆病さと不思議な優しさ … そして残酷さを併せ持つ赤砦 …
 赤砦はナギやレムスたちとともに旅をして、ひょんな巡り合わせからあの鉄弓を手にすることになった。混沌太陽神を封印する力を持つ「隕鉄の弓」 … レムスにとっては彼の本来の主であるアルディウスを救い出すことが出来る数少ない武器 …
 
 その赤砦が持っているはずの「鉄弓」が彼らの目の前にある。そう … 鉄弓だけが、マヌエルの手にわたって目の前にあったのである。
 ナギとレムスの衝撃は、すぐに全員に伝わった。赤砦を知っているのは二人だけではない。リキュアやタルトだって赤砦のことは良く知っていた。しかし彼らの中で赤砦を最後に見たのはナギだった。帝国軍がイックスを包囲したとき、赤砦はナギとともにイックスを退去したはずである。だから…赤砦は無事だったはずなのだ。しかし…
 
「まさか!!!」
「 … 赤砦の鉄弓!?」
 
 驚きは … すぐに絶望に変わった。赤砦があの鉄弓を好んで手放すわけはない。ということは、間違いなく赤砦の身に何かがあったのである。マヌエルが赤砦を殺った…結論はそれしかなかった。
 レムスは全身の力が抜けてゆくのがはっきりと判った。赤砦が死に、鉄弓がマヌエルの手にあるということは…レムスの旅の最大の目標である「主人アルディウス」を救う手だてが断たれた、ということを意味しているのである。主人であるアルディウスは狂い、混沌太陽神に身を売ってしまった … そして親友リンクスはジークに連れ去られ、さらには赤砦すら失ってしまったことは、レムスにとって立ち直ることができないほどのショックだった。
 レムスはもう言葉を発することも出来ず、ただひざをついてぐったりとうずくまった。ぼろぼろになったレムスのそんな姿に、誰一人としてかける言葉を見つけることはできなかったのである。

*     *     *

 マヌエルとクレイのにらみ合いはそれほど長く続くものではなかった。意外なほど … 早くマヌエルは次の行動に移ってしまったからである。
 
「 … 致し方ない … それではいったん我らは引き下がるとしよう」
 
 クレイがぎょっとするほどあっけないマヌエルの引き下がり方だった。あくまで政治的な判断で … であるかのようにあくまでしぶしぶ … 引き下がるのである。
 クレイはわずかにほっとしたような表情をした。マヌエルがクレイたちの主張に折れたと考えたのである。確かに … そうだった。マヌエルは周囲の手下たちに合図をすると、隷属の鎖の手兵たちはきびすを返し、引き返しはじめたからである。
見る見るうちに小さくなるマヌエルと手勢の姿に、クレイも … そしてタルトもナギも拍子抜けしたように感じたのは当たり前だろう。
 
 マヌエルの姿が見えなくなると、タルトは慌ててクレイに言った。
 
「クレイ!マヌエルの持っていた弓は、あれはっ… 」
「…判っている。隕鉄の鉄弓だ。赤砦の持っていた弓だろう?すぐに判った。」
 
 クレイはわずかにうなずく。クレイも赤砦のことをまったく知らないわけではない。親しかったわけではないのだが、赤砦の不思議な、人懐っこい瞳はクレイにとっても印象的だったのである。
 
「知っていて … なぜ?!」
 
 レムスは一瞬抗議の声を上げた。赤砦の弓をマヌエルが持っているというのが判っているのなら、なぜマヌエルに襲い掛からなかったのだ … というわけである。
 しかし … クレイは首を横に振った。
 
「赤砦のことは気になるが … 今は奴等と戦うのは危険すぎる … 」
 
 それはクレイの本音だった。確かに … 赤砦の身に何が起きたのか、なぜマヌエルの手にあの鉄弓があるのか、クレイは気にはなっている。少なくとも一度はいっしょに旅をした仲なのだから、気にならない方がおかしい。しかしマヌエルが連れてきた手勢の数と戦力を考えると、今のパーティーの状況ではとても戦えない。
 そう、闘えないのだ!全員が心を合わせてマヌエルと闘うならともかく、今の状況では…
 
 クレイは無言でレムスに周囲を見回すように合図した。レムスはわずかに驚き、そして慌てて周囲を見る。レムスを見ている周囲の仲間…仲間たちの目、それはさまざまだった。
 それはレムスに好意的な瞳ばかりではなかった。赤砦のことを案じて積極的に闘おうと思っている奴もいる。しかし、ジークならともかく、マヌエルとは戦いにくいと思っている奴、マヌエルと戦うこと自体無意味だと思っている奴…そもそも赤砦のことを知らない奴も少なくない。そんな状態で、無茶に戦いを始めることそのものがナンセンスだった。
 
「この状態では … 闘えない … とても … 」
「…クレイさん…」
 
 クレイの表情は暗く、困惑に満ちていた。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?